名作を、無理して読む。

【超難解本 4選】

トリストラム・シャンディ/ロレンス・スターン 1767年

フィネガンズ・ウェイク/ジェイムズ・ジョイス 1939年

死霊/埴谷雄高 1948年

重力の虹/トマス・ピンチョン 1973年

出典:BOOK-OFF Onlineコラム

 

 

弟 「兄さん、先月貸してあげた『アンナ・カレーニナ』はどうだった」

兄 「ああ、トルストイか。すまんすまん、まだなんだ。お前と違って俺は、あんなに長い小説は読んだことが無くてね。もう少し時間をくれないか」

弟 「いいんだよ、いつでも。忙しそうだものね。今夜だって、出張帰りでしょう、営業課長は大変だね。どこ行ってたんだっけ」

兄 「北陸だよ。福井・金沢・富山と回ってきた。新幹線が開通してから楽になったよ。以前は越後湯沢まで特急で行って、そこで新幹線に乗り換えてたからね」

弟 「僕は経理マンだから出張はないし、決算月以外はほとんど定時退社だし。だから家に帰ってじっくり読書する余裕があるんだね。恵まれてるんだよ」

兄 「趣味を持つのはいいことだけど、簿記1級持ってるんだから、そろそろ上を目指したらどうだ。税理士とか、公認会計士とか」

弟 「ううん、どうしようかなあって、考えてるんだ」

兄 「まだ30歳で独身なんだから、今やらなきゃタイミングを逃してしまうぞ。ぼちぼち身を固めなきゃならんしな。例の幼馴染みはどうした。近頃とんと話題に上らないようだが」

弟 「有希子ちゃんのことかい」

兄 「そう。てっきりあの子といっしょになるもんだと思ってたのに」

弟 「僕らは親友なんだ。彼女にはちゃんと彼氏がいるからね、3歳上の。広島に転勤が決まったとかで、彼氏といっしょに広島に引っ越したよ」

兄 「お前の押しが足りなかったんじゃないかなあ。よく文通してたのは知ってるぞ。今時珍しいと思ってたんだ」

弟 「有希子ちゃんはね、手書き派なんだ。どこへ行くにも必ず便箋と万年筆をバッグに忍ばせてて。そばにいるんんだから言えばいいのに、わざわざ手紙書いて、はいこれ後で読んで、なんて言いながら渡されたねえ。いい思い出さ。幸せになってほしいよ」

兄 「実家で母さんが心配してたぞ。もう30なんだからって。お前は愛嬌のある男だ。その気になれば相手ぐらいすぐ見つかるさ。ウチはもうすぐ3人目ができる」

弟 「義姉さんと仲いいものね、羨ましいな。男・男と続いたけど、今度はどっち」

兄 「まだ性別がわからないんだ。有希子ちゃんみたいな可愛い女の子だと嬉しいんだがな」

弟 「仕事も家庭も大忙しだね。『アンナ・カレーニナ』はいつでもいいから、ホント」

 

 

弟 「女の子だとわかったんだってね。母さんから聞いたよ」

兄 「ありがとう。いやあ、嬉しくてね、仕事中もつい思い出してニヤけてしまうんだ。課長何思い出し笑いしてるんですか、なんて言われて恥ずかしくてさ」

弟 「お得意先に笑われるよ。きょうはどこから帰ってきたんだっけ」

兄 「名古屋・浜松・静岡と2泊3日で回って、最後に小田原に寄って。とにかく忙しいよ。お前に借りたドストエフスキーの『白痴』を車内で読むつもりで、ほら、こうして鞄に入れてあるんだが、レポート作成してたら時間がなくなってね。すまん。少しだけめくってみたんだが、同じ題名でも、高校生の頃に学校で読まされたヤツより難しそうだな」

弟 「坂口安吾だね、それは。短篇だし、主題もハッキリしてるから、ドストエフスキーよりはずっとわかりやすいよ。でも、難しいけど深いよ、ドストエフスキーは」

兄 「今度の土日でがんばって読むよ。で、お前の方はどうなんだ、税理士の勉強を始めたと言ってたが」

弟 「1科目ずつ取っていけばいいからね、目標が立てやすくて気が楽だよ」

兄 「国家資格が楽だなんて、さすがは俺の弟だ。何年ぐらいで有資格者になれると見込んでる」

弟 「5年以内に取って、税理士事務所に転職するつもりさ。兄さんみたいな商才には欠けるけど、金勘定は得意だからね」

兄 「文学作品は、しばらくおあずけだな」

弟 「うん、今読んでるこれでひと区切りにしようかと思ってる」

兄 「何だか分厚い本だな。『失われた時を求めて』か。題からして難しそうだ」

弟 「個性的な文体でね、まあ、わかりやすくはないんだけど」

 

 

兄 「いきなり5科目合格なんて凄いじゃないか。やはり、並の経理屋で収まる器ではなかったようだね。読書を我慢した甲斐があったってものだ」

弟 「たまに気晴らしで読んでるけどね。今までとは違うけど。で、話って何だろ。出張から戻る道中にラインくれたぐらいだから、よっぽど何かあったのかって気になってしまったよ。広島からの帰りでしょ」

兄 「ああ、これはすぐお前に知らせなきゃと思ってさ、大急ぎで送信したんだ」

弟 「でもこの内容では何かわからないよ。何なの。悪い話ならイヤだなあ」

兄 「お前に考えてもらおうと思ってね、あいまいにしたのさ。想像つかないか」

弟 「わからないよ、これじゃ。教えてよ」

兄 「広島市内をきのうから回ってたんだが、思ったより早く商談が済んでね。帰りの新幹線までかなり時間があるから、原爆ドームを見に行ったんだ。その後に資料館にも入って、出て公園を歩いてたら、ベンチに座って缶コーヒーを両手で抱えるようにして飲んでいる女性の姿が目に留まった。どこかで見た顔だという気がしてね、少し近づいていくと向こうも俺に気付いてさ」

弟 「知ってる人だったの」

兄 「ううん、わからないかなあ。広島だぞ。お互い顔知ってるとしたら、ひとりしかいないだろう」

弟 「平和記念公園でねえ、ううん、誰だろう」

兄 「その鈍さのせいだな、あの子をつなぎとめておけなかったのは。広島に行ってしまった女性がいるだろうが」

弟 「・・・それ、ひょっとして、有希子ちゃん」

兄 「やっと通じたか、やれやれ。俺も子供の頃から顔馴染みだからね。お前が税理士目指してるって話したら、応援してますってさ」

弟 「そう。彼氏といっしょじゃなかったのかな」

兄 「俺もそう思って訊いたんだ。そしたら、何と、別れたそうだ。広島まで彼氏の母親が来て、あんたみたいな女に息子は渡せないと宣告されておしまいだとさ。もう30代半ばのくせに、まだ母親の言いなりなんです、アタシ、馬鹿馬鹿しくなって、さっさと荷物まとめて、実家に送っちゃいましたとよ」

弟 「有希子ちゃん、また東京に戻って来るの」

兄 「詳しいことは、ほら、ここに書いてあるんだろ。お前の言ったとおりだ、あの子、バッグから便箋を取り出して、しばらく考え込んだ後、一気に2枚書いて封筒に入れて、これを渡してくれと頼まれたよ。開けてみろ」

弟 「・・・兄さん、コンビニに寄って、帰りに便箋買わなきゃ」

兄 「電話でもメールでもラインでもなく、っていうご希望かい」

弟 「お伝えしたいことがいっぱいありますって。僕もたくさんあるさ」

兄 「そら見ろ、何が親友だ。今度は逃がすなよ」

弟 「ごめん、先に帰るよ。ここの釜めしオイシイって評判だから、食べていけば。・・・ああ、それから、これ貸すよ、ちょうど読み終わったところなんだ。感動したよ。これに出てくる女医さん、有希子ちゃんに似てるんだ」

兄 「今度は何かな。

南木佳士『阿弥陀堂だより』

・・・ふうん、『失われた』ナントカとはずいぶん違うなあ。読みやすそうな本だ。お前にしては珍しいじゃないか」

弟 「もうだいぶ前に、それ、有希子ちゃんがくれたものなんだ。その時は内心バカにしててさ、海外の文芸作品以外は。でも、最近になってようやく読んでみて、心に沁みたよ。ああ、こんな夫婦いいなあって。実はね、僕、海外の名作なんて全然理解できてなかったんだ、ホントはね。トルストイもドストエフスキーもプルーストも、いったい何がどうなってるのかわからないうちに終わってさ。でも、それ読んで目が覚めたよ。感動って、古典的名作だけの占有物じゃないんだって」

兄 「実は俺も言うが、お前に借りた本、1冊も読み通せてないんだ。すまん」

弟 「無理はやめようよ。僕はこれから、名文ではないけど、自分らしい手紙を書くんだ。カッコつけるのはやめてね」

兄 「素顔を見せるんだな。そうすれば、きっとわかってくれるさ」

弟 「マザコン男の後ついていくからだって書こうかな」

兄 「それじゃ感動はしてくれないぞ」

弟 「もみじ饅頭は買ってきてくれたんだろうね、ってのはどう」

兄 「饅頭をふたりで食べたいから、今度お茶持って会いに行きます、の方がいいんじゃないか」

弟 「兄さんも名作は書けないね、たぶん」

兄 「お前の兄貴だからな」

弟 「この店、有希子ちゃんとふたりで来ようかな。オイシイ釜めしの店知ってるよって」

兄 「まずは便箋1枚から始めるんだな」

弟 「文学的じゃなくて」

兄 「素直にね」

(了)

 

本記事により、ひとつの疑問が抽出されます。題して、

文学とは、職業に成り得るのか

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