戦前戦中の体験から、学ぶことはないのか
戦争体験を、歴史の中に封じ込めてはならない
問う人 「太平洋戦争でご苦労された世代の方々がいなくなってしまうことに、危機感を抱きまして」
知る人 「そう感じただけでも貴重なことだ。何でも過去のことにしたがる輩が多過ぎるからね」
問う人 「太平洋戦争の記憶が失われるのは、私たちの民族的損失ではないでしょうか」
知る人 「戦争はさまざまあったし、今も世界中で続いている。<太平洋戦争>を強調する君の意図を、まずは聞かせてもらおうかな」
問う人 「太平洋戦争が、私たち日本人にとって特別な戦争である、と僕が考える理由は以下の通りです。
1)他国への侵略を目的とした、大義名分の無い暴挙であった
2)核による惨事を経験した唯一の国となった
3)敗戦によって、明治維新以上の大改革が断行された
4)無謀な国策に翻弄された人々が、今も健在である
5)武力では欧米に勝てないことを思い知った
・・・要するにですね、納得できないこと、理不尽なことを敗戦後いっぱい抱えつつ戦後を生き抜いていかなければならず、いい意味でも悪い意味でも、過去を振り捨てて新時代を切り開くしかないという状況に追い込まれたことで、日本人は貴重なことをたくさん学ばざるを得なかった。そういう意味で、太平洋戦争は特別な戦争だったと思うんです」
知る人 「30歳そこそこの青年にしては上出来だ。どれも重要なことだが、とりわけ今すぐ取り組まなければならないのは 4)だね。敗戦から今年で73年だ。当時ハタチの青年が90代の老人だという現状に気付けば、私が思うに、為政者も大衆も皆、態度が大きくふたつに分かれると言えるだろうな。まず、君のような危機感をあらためて抱き、それを具体的な行動に結びつけようとする良識派。あとひとつはその真逆、つまり、見ざる言わざる聞かざるに徹して、クサイものに蓋をし続け、時代が過ぎ去るのを待つという問題先送り派だ。南方の海には今も日本兵の遺骨が埋まっているが、いったい誰が拾うのだろうな。太平洋戦争三大悲劇のひとつ・インパール作戦は、最も悲惨な目に遭った私たち日本人ではなく、現地のインド人たちの間で、戦闘を語り継ごうという動きがある。8万人が参加し、戦死3万・病死餓死4万という異常な惨劇を、日本人は忘れかかっているというのに、インドの良識ある人々が次代に残そうとしてくれているのだ。なぜこんなことになると思うね」
問う人 「無責任とか無関心とか、さまざまな態度を貼り合わせていったために、忘れっぽい日本人という型ができてしまったのでしょうか」
知る人 「大昔から続く私たちの特徴だな。常に上からの改革を待つという日本的態度が、敗戦を他人事のように思い、その犠牲者も自分たちとは別世界の人としか認識できない鈍い感性を育んだ、という他あるまい」
問う人 「戦争を起こしたのは為政者であって、自分たちは知らない、という姿勢ですね」
知る人 「そう。だから、戦争で苦労した人たちに対しても、せいぜい、大変でしたね、ご苦労様でした、ぐらいの態度しか示そうとはしないのだ」
問う人 「民主主義が育っていないというのは、そういうところにも表れますね」
知る人 「面白いのは、戦争のような負の体験ばかりでなく、経済的繁栄のようなポジティブな体験すら、あっさり過去に押しやる傾向が見て取れることだ。不利なことは他人のせいにして、いいことは自分の手柄にしようとする輩がいるだろう。日本人というのは、好悪いずれも他人事にしてしまうんだな。乱暴な言い方になるが、私たち日本人は、事実からはいくらでも学ぶが、その堆積層である歴史からは学ぼうとしないのかもしれないね」
問う人 「でも、歴史から学ぼうとしない態度が、かえって戦争体験を歴史の1ページにしてしまいそうで、僕は怖いんです」
戦争体験を現代に生かさない理由とは
問う人 「戦争体験世代の方々の苦労が歴史に消えていこうとしている現状は、過去を教訓としない現役世代の傲慢な態度の現れでしょうか」
知る人 「傲慢というのは、少々違う気がするね。その手前ではないのかな。つまりだ、過去を踏みつぶして驀進しようという強気な態度ではなく、過去は過去として切り捨ててしまうのが当然という、言ってみれば、大根の尻尾を切って落とすようなものかもしれん。なぜ切り落とすのか問われれば、不要だから、とあっさり答えるだろう。そこに思想・信条・信念・哲学・民族意識などは全くない。ただ、古くなった時間は新しいものに取り換えようという認識、今風に言うなら、 リセット という感覚だな」
問う人 「でも、そんなことをずっと続けていけば、どこかで時間の断層が生まれるのではありませんか」
知る人 「もう生まれているだろう。大切な遺産を次々と処分してきた過去の積み重ねが、数千年の歴史を持つ民族とは思えない軽薄な印象を私たちに与えている。先しか見ない、と言えば聞こえはいいが、実際には、先行者に追いつこうとするキャッチアップ型発展期の名残りでメシを食っているに過ぎん。目先の目標設定をおろそかにすれば、日本はたちどころに行き詰るだろうな」
問う人 「過去から学ぼうとしない割りには、昭和ブームだとか、レトロなものが流行りますね」
知る人 「過去から学ぼうとしないからこそ、そういうのが流行るのだよ。やたらと博物館や美術館巡りをして悦に入る人がいるだろう。あれと似たようなものだ。ショーケースや壁面に封じ込めることで、どんな大事件・大惨事も見世物に成り下がる。生きた時間の中にあったときは雄弁だったものが、数百円の入館料を払えば誰でも見物できる対象となって、決して自己主張しない寡黙な遺物として寿命を終えるわけだな。戦争世代もそうなろうとしている」
問う人 「結局、学ぼうとしないのは、学ぶに足りないからという浅い認識からくるのですね」
では、戦争世代から何を学ぶべきか
問う人 「戦争世代から、私たちは何を学べばいいでしょうのか」
知る人 「学ぶ以前の問題としてだな、歴史に対する取り組み姿勢の根本的な改善が必要だろうね。これも画一的な学校教育の弊害かもしれないが、例えば関ケ原の合戦を考えてみよう。西暦1600年の秋に起きた戦だとは誰でも知っていることだが、1600年という年を境にして、世の中がガラリと変わったと思っている日本人は多い。天下分け目の大戦争との評価が定着したのは後世のことであって、極端な言い方をすれば、合戦の当日も翌日も、同じように朝が来て、同じように日が暮れただろう。その中にいる当人たちにとっては、時代の変遷など意識しやしない。○○時代、△△期などと区切られているのは、歴史研究の便宜上のことであって、時間は淡々と過ぎていったことだろう。昭和20年もまったく同じだよ。それ以前の戦時中は自由のない暗黒期で、戦後は一時の混乱はあったものの、解放されて自由を得た平和の時代。舞台の書き割りを入れ替えるが如く、時代背景がゴッソリ入れ替わった、それに伴い世の中は別の国のように激変した・・・と、もういちど今風に言うと、 リセット された時間というものがあって、昭和20年の前と後は深い断層で厳然とわけ隔てられている。こんな誤認識の甚だしい日本人が多いから、戦争世代の苦労が次代に引き継がれないのだよ。大殺戮の時代と平和な現代が繋がっているなどと誰も思いたくはない。だが、流血の歴史がなければ私たちの今日は無いのだということを、目を背けずしっかり認めなければならん。それができて初めて、戦争世代からの引継ぎが可能になるだろう」
問う人 「それができたとしてですね、では私たちは何を学ぶべきなのでしょうか」
知る人 「9.11テロや3.11大震災、世界で頻発する自爆テロ。これらを予測できた日本人がひとりでもいると思うかね。世界は不測の事態で満ちているのだ。このような世界認識を持った時、本当に必要なのは、テレビでエセ知識人たちが得意げに語る世界情勢に関する知識ではない。国際情勢など次々と変わる。ゲームのように追いかけるのは愚かなやり方だよ。それより何より大切なのは、不測の事態に直面した時の行動ではないかね。これこそまさに、戦前世代の体験談が生かせる分野だ。空から焼夷弾が何十万発も降ってきたなんて、今の私たちには信じられない出来事だが、この予測不能な大惨事が、当時の平凡な日常の延長線上で起きたということ、そして、これら極限的体験と現代の私たちの暮らしとが、実はしっかり結ばれており、太平洋戦争は今という時間を遡れば達することのできる程度にしか離れていない、いわばごく最近の出来事だという事実、こういった認識を持った日本人が増えれば、極限状況でいかに生き抜くか、という、テロや震災で当事者たちが学んだのと同じことを、民族共有の財産として受け継ぐことができるようになるだろう」
問う人 「戦争体験が、特殊な体験であると同時に日常の延長線上の出来事だと認識することで、極限状況で生きる術を身につけられるということですね」
知る人 「体験とは個人的なものだからね、そこから何を学べるかも人によって違う。だが、おそらくすべての戦争世代に共通したもの、 生きる力の根源 とでも呼ぶべき尊い態度があろう。それはね、可能性を捨てない粘り強さと、決して後に引かない開き直りの姿勢だよ。どんなに時代が移り変わって、政治体制が激変したとしても、私たち庶民はとにかく生きていくしかない。そのような、何があろうと生き抜いていく雑草のような力強さは、学者や評論家の言葉から学び取ることはできん。太平洋戦争体験世代から私たちが学ぶべき最も大切なこと、それは、自分と愛する家族を守るための生き方というものを、極限的時代を背景とした大先輩たちの生きざまから感じ取ることなんだな」
問う人 「それは、どんな本にも書いてないし、どんなに偉い学者でもわかりませんよね」
知る人 「戦争世代の中には、<野の賢人>が無数にいるはずだ。どうだい、じっとしてられなくなったろう」
問う人 「第一歩を踏み出します。やりますよ、僕は」
知る人 「闘いなさい。歴史と、社会と、そして時代と」
(了)