ボランティアとは、要するにタダ働きなのか
【ボランティア活動の、種類別行動者率 上位5】
1)まちづくりのための活動
2)子供を対象とした活動
3)安全な生活のための活動
4)自然や環境を守るための活動
5)災害に関係した活動
出典:社会生活基本調査 総務省 2011年
問う人 「古い話ですいません。ふと疑問に思ったものですから」
知る人 「情報は古くても、認識が新しければいいのだよ。あらためて聞かせてもらおうかな」
問う人 「2004年のことです。僕は地方都市を担当する営業マンで、新潟もそのひとつでした。新潟市内にお得意先があったのですが、地震で新幹線が分断されていまして」
知る人 「越後湯沢と長岡の間だろう。私もそのころ所用で行ってたんだ」
問う人 「そうなんです。越後湯沢から長岡までバスで移動して、また新幹線に乗り換えたのですが、出張先で被災地のことをいろいろ聞きまして、何かお手伝いしたいと思い、有給休暇を使ってボランティアに行ったんです。現地ではずいぶん喜ばれまして」
知る人 「猫の手も借りたい、という状況だったのだろうね。ああ、失礼な言い方をしてしまったかな」
問う人 「いえ、ホントおっしゃる通りで、営業の仕事より忙しかったです。まあ、人のために働けて充実感たっぷりの心境で帰宅したのですが、ワンルームマンションの我が部屋でふと気づいたんです。ボランティアに行ったのは平日でしたから、僕といっしょに作業していた役所の職員さんたちは、勤務時間中、つまり、被災地での作業も給料に入ってる。僕はボランティアだから、無報酬」
知る人 「損した気分だったのかな」
問う人 「そうじゃないんです。ただ、これがもし、無償ではなくて、時給いくらとかで募集すれば、もっとたくさん人手が集まって、被災した人たちにも喜ばれたんじゃないかなって。同じ無給にしてもですね、例えば、朝昼晩3食付きにするとか、ふるさと納税みたいに地場産品をもらえるとか」
知る人 「あてにできる有償の労働力ではなく、何人集まるかもわからない善意に頼るのはナゼか、という疑問だね」
問う人 「はい、そうなんです。ボランティアに行く人の気持ちはわかるんです。善意を受ける側の論理がよくわからなくて」
知る人 「善意者が集まることに期待する理由は、主に次の6つだろうね。
1)過去の例からの希望的観測(1995年の阪神淡路大震災等)
2)急を要する事態だから、時給等の予算を割り振る時間がない
3)奉仕活動に喜びを見出す人が多いという事実
4)学校教育の成果(奉仕の精神の涵養等の道徳的教育)
5)日本人に備わる美的性質への期待(もしくは圧力)
6)予算がない
・・・総務省がボランティアに関する調査を公表しているが、どれも職業として成立する内容だ。つまり、君の言うようにだな、時給制にして頭数を確保することも可能なわけだね。災害の場合は待った無しの非常事態だが、そうではないボランティアの方が多い。募集する側が予算を検討する時間はあるはずだ。だが、おそらくどこの自治体も、それはしていないだろう」
問う人 「何ででしょうね」
知る人 「善意の力を信じる人には怒られるだろうが、仕入れた品を店頭に並べる商店主の気持ちと似ていると私は考えている。いくら商才に長ける人物でも、絶対に売れるという確証はない。昨日売れたから今日も売れる、という単純なものではないだろう。過去の実績と経験と世の趨勢から判断する他はない」
問う人 「誰かが助けてくれるはずだ、という認識ですね」
知る人 「そうだね。ボランティア活動には優先的に有給休暇を使って良い、という企業もある。困っている人を助けるのは、当たり前と言えば当たり前なのだが、善意を奨励する社会というのはどうなんだろうね」
問う人 「社会はもっとドライであるべきだとおっしゃるのですか」
知る人 「ドライと言うか、もっと厳しくあるべきだと思うね。例えばだ、職場で頭痛を訴える者がいたとする。君がその上司ならどう対応するね」
問う人 「どんな具合なのか詳しく聞いて、それによって医者に行かせるか帰らせるか、どっちかでしょうね」
知る人 「労働力として居るのだから、役に立たなければ自主的に退社するのが筋と言うものだよ。だが、帰られては困る人財だとしたらどうだ。新潟がケガして役に立たないからといって、日本の地図から消すわけにはいかんだろう。苦境にある人や地域を助けるのはこれと同じだ。要するに、善意の対象ではなく、義務の対象なのだよ。助けてあげる、ではなく、助けるのが当然なのだ。路上に落ちた杖を拾って老人に手渡してやるのは、善意ではなくて、それに気付いた者、且つ、健常な肉体の者の義務だ。身体障害者に手を貸すのも然り。目が見えない人に対して、目の代わりをするのは、正常な視覚を持つ者の義務なのであって、いいことをしたと自己満足しているようではダメなんだ。被災地の再建に力を尽くすのは、被災しなかった地域の者全員の義務と言っていいだろうね」
問う人 「ボランティアして当然、ということですか」
知る人 「ボランティアスタッフが無報酬なだけで、現場では多額の金が動いているはずだ。被災地の例で言えばだな、お手伝いさんたちに給料を支払う余裕があるのなら、その分も復興に回した方がよかろう。金は消費するものではなく、活用するものだ。ボランティア活動という無償奉仕が、結果として資金の有効活用につながるわけだ」
問う人 「厳密に言えば、タダ働きではないということですね」
知る人 「ただし、ひとつ気を付けなければならないことがある。神奈川県の或る自治体で実際あった話なのだが、役所が繁忙期で大変な時に、有給休暇を強引に取得して災害ボランティアに行った職員がいた。職場一同大ブーイングさ。その後どうなったかは知らんが、職場に居づらくなったのは容易に想像できるね。困っている人を助けることで、自分自身が仲間を困らせてしまうようでは、本末転倒もいいところだ。極論を言えばだな、明日食うメシもない者が飢餓に苦しむ他人に気付いたとしても、放っておくしかないのだ」
問う人 「衣食足りてナントカってやつですかね」
知る人 「衣食足らぬ汝自身を知れ、とでもいうかね。食えない奴が他人に食わせたところで、結局、保護の対象者が増えるだけだ。君は今もボランティアをやってるのかね」
問う人 「ええ、今は熊本の仮設住宅に住む人たちの話し相手になったりしてます」
知る人 「年収は」
問う人 「300万ですが」
知る人 「40代でその程度か。納税者失格だ。国民としての義務を果たすのが先だな。ボランティアは禁止する。もっと働きなさい。善意の方に抜け出た労働力を本業に戻せば、少しは稼ぎにつながるだろう」
問う人 「さっきおっしゃった神奈川の職員も僕も、似たようなものなんでしょうか」
知る人 「似たようなものではない。同じだ」
問う人 「善意という名の悪意、ってとこですね。反省します」
知る人 「衣食が満たされるまで、善意はしまっておきなさい」
(了)
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