奉仕の精神で、メシは食えません。
【人生の目的と生きがいの違い】
1・趣味や生きがいは人それぞれだが、人生の目的は万人共通で唯一のものである。
2・趣味や生きがいに完成はないが、人生の目的には完成がある。
3・人生の目的は、臨終時に達成されても、人生の勝利者と言えるものである。
出典:『人生の目的』浄土真宗親鸞会 1999年
悩む人 「僕が幸せの青い鳥を探しているのではないということ、ご理解いただけてますでしょうか。誤解されてたらイヤだなと思いまして」
由紀夫 「あなたがジョブ・ホッパーではないということぐらいはわかっております。ご安心ください。今までの経緯から確認させていただきましょうか」
悩む人 「webデザイナーとして就職して4年目のことです。僕の技術とセンスは高く評価されてまして、大幅な昇給を約束されました。順風満帆といったところです。仕事にも職場にも不満はなかったのですが、ある時、ちょっとしたきっかけでホームレス支援の団体の人たちと接するようになりました。炊き出しのお手伝いが主な役割で、社会の枠からはみ出た人たちの生活実態を知ったことは、20代だった自分には強烈な体験でした」
由紀夫 「とてもいい経験だと思いますが、それで終わらなかったのですね」
悩む人 「ええ。僕がホームレスさんたちの話を熱心に聞いてあげている姿なんかを見て、ボランティアではなく、仕事としていっしょにやりませんか、と誘われたんです。新しくできたばかりのNPO法人で、代表者自ら熱心に誘ってくださいました。webデザインの仕事は在宅でもできるので、クラウドソーシングのサイトを利用しながらホームレス支援を本業にしようと決め、会社を辞めたんです。ところが、組織の一員になった途端につまらなくなりまして、ウソみたいに熱意が消えていったんです。僕は何に対しても自主的に動けるポジティブな人間だと思っていたのに、なぜか動けないんです。結局、半年も続きませんでした」
由紀夫 「webのお仕事は、並行して続けてらしたのですか」
悩む人 「それがですね、NPOに勤め始めたら急にやる気がなくなったんです。時間はあったんですよ。でも、たった半年のブランクでしたから、webデザイナーとして再就職先がすぐ見つかりました。以前いたところ以上に評価され、やっぱりこれが天職なんだと納得できる日々を過ごしていたんです。ところがですね、或る既婚男性がひとり途中入社してこられまして、飲み会でたまたま隣合わせになったことで、お互いの身の上話になったんです。その時、彼のお子さんが知的障害児だと知って、その方面に興味を抱き始めたんですね。調べてみるとそういう子供はたくさんいて、僕の自宅近くに知的障害児を預ける施設があると知ったんです。ああ、いえ、決して覗き見的な態度ではなくて」
由紀夫 「わかりますよ。自分にも何かできないかと、純粋にお考えになったのですね。理性あるオトナの正しい思考です」
悩む人 「ホームレスさんには、俺の息子みたいだなんて言われたんですけど、子供さんたちからはオニイサン、オニイサンって慕われまして。障害児と接する資格なんか持ってませんから、ただの遊び相手なんですけど、それでも真心を持って取り組んでいるうちに、NPOの時と同じ話を持ち掛けられたんです」
由紀夫 「職員として働かないか、と。そこはどういった法人なのですか」
悩む人 「社会福祉法人です。けっこう大きな組織でして、知的障害児以外にも、育児放棄された乳幼児だとか、親が刑務所に入ってて保護者がいないとか、そういった訳ありの子供たちのお世話にも取り組んでいる真面目な法人です。できたばかりのNPOと違って、歴史もあるところなんです。子供たちの純真な目を見ていると、とても意義深い職業のようにも思えて、また心が揺れたんです。で、それを彼女、というか恋人というか、しばらく前から交際し始めた女性に相談してみたんですね。そうしたら、素晴らしい、と賛同を得てしまったんです」
由紀夫 「それで揺れが激しくなって、よけい困ったというのが素直なご心境ですね」
悩む人 「そうなんです。ボランティアにとどめておく方がいいのか、職業として取り組むべきなのか、決めかねているんです」
由紀夫 「あなたが天秤にかけようとなさっているのは、webデザイナーと社会福祉職、ではなくて、知的障害児へ向けた労働の、有償性と無償性ですね」
悩む人 「そうなんです。彼女に反対されたとしても、同じことで悩んだような気がします」
由紀夫 「その女性とは、将来を約束なさるほどの方なのですか」
悩む人 「ええ。まだプロポーズしてないですけど、近々しようと考えています」
由紀夫 「なるほど。それならば、最善の道はひとつしかありませんね。webデザイナーのお仕事を続けて、幸せな家庭を築くことです。理由は3つあります。
1)まずは一家を構えるのが最優先である(家庭という単位を保有して自分の足場を確保する)
2)社会福祉系職業は、家庭人としての経験を積んでからの方が、より良く取り組める。
3)無償だからこそ純粋な心で取り組める、という可能性も排除できない。
・・・まずは結婚しましょう。恵まれない人の存在に気付いたとしても、自分の幸せを優先しなければなりません。家庭人としての役割を担うことで、私たちにとって最も大切な<日常>の感覚が身に付きます。これはあらゆる職業で生かせますが、社会福祉系では特に重要です。障害者や困窮者の苦しみは、<日常>を離れてはあり得ません。生きていくということは、即ち衣・食・住です。他人の暮らしへの理解は、自分が真面目な生活者であるところから生まれます。お相手の女性は、子供好きなタイプの方ですか」
悩む人 「大好きなんです。いっしょに歩いていても、小さな子を見るとすぐに手を振ったり、頭をなでてあげたり、声をかけたりで」
由紀夫 「それはいいですね。可能ならば、その方と2人で障害児のお世話をなさるとなおいいと思います。できれば自分たちの子が生まれる前が理想ですね。障害児への理解は、我が子へのより深い愛につながりますから。さて、問題は3)ですね」
悩む人 「ええ。いちばん釈然としないところですね」
由紀夫 「浄土真宗の僧侶が、こんなことを言っています。
人生の目的は、苦悩の根源を断ち切り、<本当の幸福>となることである。
・・・いかがです、何かお感じになったことがあれば」
悩む人 「ううん、苦悩が絶えないからみんな苦労してるんじゃないのかなあ、っていうのが正直な感想ですが」
由紀夫 「この人物は、<有無同然>ということも強調していましてね、要するに、モノを持つ苦悩と持たない苦悩は同根だという意味のようです。仏教上はもっと入り組んだ解釈があるのかもしれませんがね。既成概念にとらわれるなと言う人がよくいますが、世界は私たちが誕生するずっと前から在るのですから、既存物を超克せよと言われても困るというのが大方の本音でしょう。<本当の幸福>などという抽象的な漠然たる概念を提示したところで、誰ひとり救われはしません。ただ、<本当>か否かは別として、障害児と接している時のあなたが<幸福>なのは疑いのないところでしょう。イヤな現実を忘れていられるという後ろ向きな姿勢ではなく、あなたの最も美しいところ、最も汚れていないところを意識の奥から引き出すことで、周囲の何ものにも煩わされない<絶対的な自分>になっているのですね。市場原理は需要と供給が釣り合って成り立つものですが、障害児と向き合うあなたは、無報酬とわかっていながら、有償の価値ある労働力を提供しています。自分の中から、利害得失に関わるすべての感情を放棄しないとできないことでしょう。例え一時的ではあっても、純粋に奉仕することで、利得の心では決して踏み込めない聖域に自らの居場所を得る。これこそ<生きる歓び>というものです。しかし、有償行為になった途端、聖域からは退場しなければなりません。おそらくあなたは、聖なる場所から出ていくことを自分に許さなかったのでしょう」
悩む人 「奉仕の精神ではメシが食えない、ってことでしょうか」
由紀夫 「どんなに尊い行為であっても、報酬を期待してしまっては、その尊さを決して維持できないでしょうね。これは職業人が持つべき社会的使命感とは別次元のものです。ボランティアをしている自分そのままでいたいのなら、無償行為に徹するべきですね。幸い、あなたは有能なwebデザイナーでいらっしゃる。職業人としての誇りが、聖域で邪魔になることはありません。有償と無償という2つの行為に従事することは、それぞれ向く方角が違うのですから、自己矛盾に陥る心配もないでしょう。どうしても職業として取り組みたくなったら、逆に、webデザイナーを無償でやればいいのですよ」
悩む人 「さっきのお話のお坊さんなら、どんなアドバイスをしてくれるでしょうね」
由紀夫 「自分に素直になれとか、納得できることをせよとか、無難な回答で逃げるでしょうね。他人の不幸で生計を立てている彼らには、真摯な生活者の心の深奥に届く話などできるわけないですから。今のあなたに必要なのは、坊主の怪しげな説教ではなくて、市場原理の内と外それぞれに在る、という自覚です。自分を使い分ける必要はありません。土俵がふたつあると考えればいいでしょう。ご祝儀をもらえる土俵と、熱い歓声だけを得られる土俵とを」
悩む人 「座布団が舞うならいいですけど、札束が乱舞するのは見たくないです」
由紀夫 「散乱した紙屑は、ただ歩行の妨げになるだけですね」
悩む人 「拾いたい人もいるでしょうけど」
由紀夫 「あなたは前を見据えて歩けばいいのです」
悩む人 「彼女と並んで」
(了)