食べた理由に迫る

【毒味奴隷について】

古代ローマでは、毒味専属の奴隷がいた。当時は為政者に毒を盛られるのが頻繁であったので、ローマ皇帝は、紀元前27年に即位した初代皇帝アウグストゥス以降、歴代の皇帝が毒味奴隷を抱えることとなった。概ね毒味奴隷の寿命は短かったという。ハロタスはクラウディウスの毒味役で使用人頭であったが、西暦54年、クラウディウスが毒キノコに当たって死んだ後も、後継の皇帝の毒味役を務めたことから、暗殺に関わったとも考えられている。

出典:ウィキペディア『毒味』

 

由紀夫 「お子さんの離乳食から奴隷制に思い至ったとは、実に珍しいと申しますか、他に例のない希少なケースです。まだ30前とお若いのに、随分とまた深くお考えになったのですね」

悩む人 「馬鹿みたいでしょ、ワタシ。夫にも言われたんです、考え過ぎだって。でも、ひとたび気にし始めると止まらなくて、つい、ご相談に伺ってしまいました」

由紀夫 「思慮深さがブレーキにならないよう、いいところで着地点を探しましょう。さて、土日に離乳食を担当なさっているご主人は、キノコを最初に食べたのは誰なんだろう、と疑問をお持ちになったとか。まさしく<考える夫婦>ですね」

悩む人 「夫の場合は素朴な疑問と言いましょうか、(これ何だろう)みたいな、少年のようなノリだったんですけど、ワタシはその程度では済まなくて。いろいろやっているうちに、毒味、というキーワードがひらめいたんですね。夫の言う<最初に食べた人>というのは、<食べさせられた人>なんじゃないか、それは奴隷として使役されていた人たちなのでは、と考えるようになりました。古代ローマに毒味奴隷という役割を担わされた気の毒な方たちがいたというところまではわかったんです、でも、そこから先がわからなくて」

由紀夫 「お悩みの要点といたしましては、私たちの食生活の根底に、悲惨な奴隷の歴史が横たわっているのではあるまいか、ということですね」

悩む人 「ええ、そうなんです。何気なく食べている野菜や魚など、無理やり食べさせられた人がいたからこそ、普通に食卓に並ぶようになったんじゃないかな、って。こう考えると、もう、気になってしょうがないんです。あ、でもワタシ、決して悩み多き女ではございません。ただ、こういうつまらないことにとらわれることがあって」

由紀夫 「悪いことではないです。でも、今は育児に集中なさった方がいいでしょうね。お母さんが沈思黙考していると、お子さんは訝しく感じるでしょうから」

悩む人 「そうなんです。夫から、最近、眉間にシワ寄せてることが多いよって」

由紀夫 「今日でひと区切りつけましょう。さて、制度としての奴隷は、支配・被支配の関係が確立した時期、日本で言えば弥生時代あたりからでしょう、古文書に記録があります。しかしこれは、記録が残っているものに限ってのことですから、制度の起源はもっと遡らなければならないですね。ただ、記録が残っていないですから、この時期から存在した、と断定はできませんし、制度ではなく、共同体の中での暗黙の取り決めといったレベルになりますと、人間関係に上下の別が生じて間もなく生まれたものかもしれません。こうなればますます調べようがなく、タイムマシンの発明を待つ他はないでしょうね。あとは推測するしか手はないです」

悩む人 「強圧的な人間関係から出てきたものでしょうか」

由紀夫 「推測ですがそうですね。奴隷とまではいかずとも、奴隷的立場という風にとらえますならば、人間が複数いればその発生の可能性がありましょう。ご近所にもいませんか、やたらと他人に追随する、主体性に欠けるタイプが。こういうのを煎じ詰めれば、奴隷的立場に格下げできるかもしれません」

悩む人 「お追従屋さんの成れの果て、という感じですね」

由紀夫 「まあ、状況にもよりますが、未知の食材を無理やり食べさせられたとなりますと、そうとう弱い立場ですよね。王と家臣ぐらいでは説明がつかないと思います。ただ、日本には大陸伝来の食材が多いでしょう。これはもちろん風に吹かれてやってきたわけではなく、使者のような役割がいたはずですね。相手を信頼すれば、毒味係など不要でしょう。いたとしても、念のため、ぐらいの弱い意味に過ぎなかったと考えられますから、今で言う上司部下程度の関係でも成り立ちます」

悩む人 「お米も芋類も、大陸からですよね、確か」

由紀夫 「そうですね。しかし日本は海に囲まれた島国ですから、海洋生物との遭遇の機会の方が多かったのではないでしょうか。つい最近まで私たちは、生魚を食べる民族、と奇異の眼を向けられていましたね。昔は電気もガスもないですから、加熱ができません。漁獲と加熱調理、どっちが先かと問われれば、言うまでもなく前者です。火の利用方法がわからなかった頃、おそらく、魚類を収穫したのはいいけど、どうやって食べるんだ、と迷ったでしょう。この時、奴隷的立場の者が同じ集落にいたら、当然、その者に毒味させたでしょうね」

悩む人 「包丁もお鍋もないですものね」

由紀夫 「はらわたや背わたを取るなどというのは後付けの知恵に違いありませんから、毒味役がいなければ、とりあえず尻尾の先を齧ってみるなど、おそるおそる試食したのでしょう。そういうことを繰り返すうちに、新しく漁獲があるたびに命を懸けるわけにもいかない、何とかならないかと一計を案じた、というのがおおよその真相かもしれないですね。先ほどから、そうでしょう、かもしれない、と推測ばかり申し上げておりますが、何せ証拠資料のないことなだけに、こうするより他にアプローチの手段がありません」

悩む人 「わかります。結局、古代の人間関係、というところに落ち着きそうですね」

由紀夫 「推測すればそうなりますが、私はですね、そこからもう一歩踏み込んでみてはどうかと考えます」

悩む人 「どういう意味ですか」

由紀夫 「例えばですね、その奴隷的立場の者が、飢えて死にそうだとします。死にたくないと思っている時に毒味を命じられたとしたらどうでしょう。ナマコみたいなグロテスクなものでなければ、すすんで口にしたのではありますまいか。或いは、奴隷が好奇心の強い者だった場合も考えられます。つまり、(これはウマイんじゃないか)と内心ひそかに狙っていたかもしれない。でも自ら試してみるのは怖い。そんな時に毒味を強制されれば、嫌がるそぶりを見せつつも、実は胸がときめいていたとは考えられませんか」

悩む人 「面白いことをお考えになりますのね」

由紀夫 「何が言いたいかといえばですね、食材という未知との遭遇を支えていたのは、<生存の欲求>ではないのか、という推測です。食べさせる側も食べさせられる側も、等しくその欲求があり、毒味で問題なければ次は自分が食べるのだと考えている、奴隷は先に食ってやるぞ、とひそかに算段している。このように、自分の命を明日以降に繋いでいきたいという意識が、結果として食材開発に道を開いたのではあるまいか。私はそう考えます。先ほど私は、悲惨な奴隷の歴史、という言葉を用いました。これは便宜上であって、必ずしも悲惨ばかりではなかったとの認識が私にはあるのです」

悩む人 「死にそうなら、誰だって食べますものね。おっしゃるような状況、確かにあったかも、って今思っています」

由紀夫 「そう考えると、少し気分が楽になりませんか」

悩む人 「ええ。ここへ来た時よりはずいぶん心が軽くなった気がします」

由紀夫 「いい笑顔ですね。悩み多き女ではないとのお言葉、どうやらウソではなさそうですね。安心しました」

悩む人 「ウチにも安心させなきゃいけない人がひとりいますけども」

由紀夫 「ふたりでしょう」

(了)

 

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