悩むのは、高尚なことですよね
知る人 「30歳のひとり息子がうつ病になったとのことだが、父親、つまりあなたのご主人は何とおっしゃっているのかな」
問う人 「休んでれば治るだろう、ぐらいです。あまり危機感ないですね」
知る人 「そういうあなたも、強い危機感にあおられてここへ来た、という風ではなさそうだが」
問う人 「息子のことは誰よりも心配しておりますが、そう見えませんでしょうか」
知る人 「気にしているのはわかる。だが、赤の他人である私にわざわざ相談するほどにも見えない。まあ、それはいいだろう。息子さんが発病して1年近く経つようだが、医師の診察はどのぐらいの間隔で受けているのかね」
問う人 「月1回です。自宅からちょっと遠いのですけど、必ずふたりで行きます」
知る人 「ふたり、というと、あなたと息子さん」
問う人 「ええ、そうです」
知る人 「もう何回ぐらい」
問う人 「11回です」
知る人 「毎回ふたりで行くのかね」
問う人 「そうです。あの、おかしいでしょうか」
知る人 「おかしいね。30歳だろう。高校生でもひとりで行くぞ。初診だけは親が付いて行って、再診以降はひとりというのが一般的だと思うが。よほどの重症なら別だがね」
問う人 「ふらふらとどこかに行ってしまうのではないかと思うと、やはりワタシがそばにいなければ、という気になります。過保護だとお感じになったようですね」
知る人 「誰が聞いてもそう思うだろう。息子さんは嫌がらないのかね」
問う人 「またふたりで行くのか、とは言いますけど、特に嫌がっている風ではないですね」
知る人 「1年もいっしょに通っているのだから、あなたがそばにいれば安心なのだろうね。まあいいだろう。さて本題に入りたいのだがね、あなたのメッセージから受けた印象を正直に言えばだな、悩むという行為の正当性について承認を得たいという感じだ。違うかね」
問う人 「承認と申しますか、何と言えばいいでしょうか、その、倅がうつになって以来、ワタシたちの周囲の反応に対して納得がいかないというか、世間様の考えは間違っているように感じられまして、それについてご意見を伺いたいと思ってまいりました」
知る人 「世間の反応とは、要するに、精神病者へのよくある偏見かな」
問う人 「それもありますね。でもそこからもっと踏み込んで、うつ病を動脈硬化などと同列に論じられるとしたら、それはちょっとおかしいと思うんです。大昔のヨーロッパでは、精神病者を神格化する風潮があったそうですけど、まあそこまではいかずともですね、病気というのは、だいたいが生活態度の乱れからくるのでございましょう、倅は品行方正でして、乱れた生活だなんてとんでもないことです。病気から最も遠い人と申し上げていいくらいですわ。それでも心を病んだということは、病気などという表面的なことにとどまらず、もっと人間的というか、人格的というか、精神の深奥から滲み出る知的な世界観の現れではないでしょうか。ワタシが申し上げたいのはこの点なんですね」
知る人 「それはあなた自身の考えか、それとも思慮深い倅の心情か、どちらかな」
問う人 「母子共有の感覚とお考えいただいてけっこうですわ」
知る人 「人間は考える葦、というのは言い古された格言だが、あなた方親子はそれをまさに地でいっているわけだ。か弱い存在だが、同時に思考する偉大な生き物である、と」
問う人 「自分たちを偉大だなんて、もちろん思っておりませんわ。でも、それが他人への敬意に結びつかないのも確かです。ワタシ、精神的なものは肉体的なものの上にあると信じているんです。どんなに体が不健康になっても、精神さえしっかりしていれば生きていけますから。病むほど心を使ったということは、それだけウチの倅が気高い精神を持っているからではないでしょうか」
知る人 「持論を滔々と述べるのは、私の前だけにした方がよかろうね」
問う人 「ここだから安心してお話しているんですの」
知る人 「少し時間を与えよう。いささか興奮しているようにも見えるのでね。頭を冷やしなさい。後ほど会おう」
問う人 「ああ、すいません、ワタシ、いつの間にか眠ってしまって」
知る人 「けっこうけっこう。いちど弛緩した心の方が、より落ち着いて話せるからね。さっき自分で言ったことに補足・訂正、何でもいいが、何かあるかな」
問う人 「特にございません。今度はワタシがお考えを伺う番ですわ」
知る人 「あなたの言葉がそのまま息子のものだとすれば、うつ病は一生治るまい。悩むのが高尚だとするあなた方の考えは、誰の影響か知らんが、自分たちの問題の解決につながらないだけではなく、周囲に害毒を垂れ流す異臭の発生源にもなるだろう。今のうちにもとを断たねばならん。精神と肉体を分けるのは古典的な思想であってだな、それらのどちらかの優位性を説く者など現代にはおらん。肉体に対する精神の優位性というのは、実践に対する理論の優位性でもある。あなたの話を聞いていると、頭の中だけで解決しようとしているのがよくわかる。精神の優位を主張するのは、頭ばかりでかくて動きの鈍い、考えるだけで何もしない役立たずの穀潰しを育成することにつながる。百害あって一利なしとはこのことだ。そればかりではなく、他人に対する優越感の現れでもあろう。悩むワタシたちは周囲の人々より偉い、という具合に、馬鹿な大衆の中に孤立する高等人種だと、自分たちを位置づける。こうすることで、誰とも意思を通じ合わなくても済むからな。まわりが馬鹿に見えれば、誰とも口をききたがらなくなる。こうして、自分は賢者、周囲は愚者というパターンを作り上げることに成功だ」
問う人 「愚者は言い過ぎではございませんか。ワタシはそこまで」
知る人 「あなたの表情はそこまで訴えていたよ。悩むのが高尚と思っている限り、あなたたち母子に明るい明日はないとアドバイスするしかないな」
問う人 「倅は考えるのが好きなんです。好きな事を奪うなんて、とても」
知る人 「程度によりけりだ。悩むのは高尚な行為だから、それが過ぎたうつ病を患うのは高等生物の証。あなたの正直な気持ちはこれだろうが、さにあらずだ。いいかね、あなた方母子に必要なのは、高等生物の証ではない。思慮深さの延長線上には、あなた方の未来はないと思いなさい。息子に言うんだな、アンタが部屋に閉じ籠って病的に考え塞いでいる間に、世の中がどれだけ動いているか、悩んでいる間に世間はどんなに先へ進んでしまっているか、よく自分の眼で確かめろと。世の中は即行動する実践家の力で動いているのを思い知るがよい。息子には強力なカンフル剤が必要だ。それから、アンタ、息子を思いやっている風を装っているが、実際には波風立てたくないのではないかね。倅をなだめすかすのにエネルギーを使い、息子の将来の可能性を探ることに全く意識が向いていない。穏便にことを済ませようとしてはならぬ。そのような態度では、何も成し遂げるには至らぬであろうな。いいか、悩むというのは、それが自分と社会を良い方に向けるということを前提にすれば、社会的に有益な行為だ。が、そうでなければ有害だ。5分考えて結論が出ないなら、それは考えるのをやめろという天地の意思と思いなさい。悩み苦しんでいるその先に待つのは、さらに結論から遠くなった、まさに悩みの為の悩みに過ぎん。息子が可愛いのなら、泥沼から救い出すために母親生命を賭けてはどうかね。家に帰ったら、息子を部屋から出てこさせ、しばらく自室閉じ籠り厳禁とせよ。毎日外へ連れ出しなさい。できるだけわずらわしい、猥雑な喧騒の中へ。思い通りにならない他人だらけの、煩悩の壁が障害となって先に進めない世間という学校に再入学させることだ。必死で息子の可能性を探ることだ。わかったかね」
問う人 「あの・・・圧倒されました。帰ったらそのまま息子に伝えます」
知る人 「考える葦、悩みて腐食土と化す」
問う人 「まだ間に合うでしょうか」
知る人 「あなた次第だ」
(了)
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