宗教商人に騙されるな(1)

【自宅の郵便受けに、ある宗教の小冊子が入っていました。時々あるのですが、とてもわかりやすく書かれていて、ためになるのです。今まで無宗教でしたが、ここらで入信しようかなあ、と考えています】

 

 

知る人「入信しようとしているのは、郵便受けに入っていた小冊子の団体かね」

問う人「いちおうそうなんですけど、他にもいろいろあるみたいなので、この際、宗教について一通り調べてみて、それからどこにするか決めようかなあ、なんて思ったりもしています」

知る人「『わかりやすく書かれていて、ためになる』とあるが、何がわかりやすく書かれているのかな」

問う人「そうですねえ、あらためて尋ねられると・・・。まあ、生き方というか、日々の心構えというか」

知る人「そういうものを読むと、安心するのだろう」

問う人「そうなんです。ふだんの暮しの中では感じられない安らぎを覚えますね。ああ、無理しなくてもいいんだなあ、って」

知る人「君の読んだ小冊子が、怪しげな新興宗教か、いちおう出所のはっきりした世界宗教の一派か、ここでは問わぬことにしよう。まず、そうだな、松下幸之助氏が、かつて天理教本部を見学に行ったときのエピソードを紹介するところから始めようか。無報酬で生き生きと働く信者たちを見て、松下氏は思った。自分の会社では、給料をもらっても文句を言う者がいるというのに、ここの人たちは一銭にもならないのに喜んで働く、この違いは何だ、とね。考えた末、氏はこう気付いたのだ。

宗教には、人の迷いをなくし、人生を幸福にするという崇高な使命がある。

・・・このときの体験が、あの有名な<水道哲学>を生んだのだよ。実業家としての使命を悟ったのだな」

問う人「おっしゃる通り、僕も迷いが消えたんです。松下さんと同じ気持ちかもしれませんね」

知る人「同じか否かは知らぬ。だが、君の質問を読んだ限りでは、真剣に進路を模索しているようには感じられないが、どうかね。普通に暮らしていて、あるときふと、小冊子が目に留まっただけではないのかな」

問う人「そう言われれば、まあ、そうですが。でも、だいたい皆さんそんな感じではないのでしょうか」

知る人「人それぞれだろう。松下氏の見た天理教は、創設当時は怪しい団体のようにも思われたようだが、今やひとつの行政区にその名を冠するほどの存在だ。多くの人々を救ったことだろう。人を導く役割を果たしていると言っていい。だがね、宗教によって救われる人というのは、日々を必死になって生きているまじめな生活者だ。私たち人間の心には、常に何らかの迷いや悩み、不安や不満などがある。どんなに誠実な好人物であろうと、心底に何を抱えているかは本人にしかわからぬ。こういった人はだな、対岸にある真理という大地がおぼろげながら視界に入りかかっているのだが、そこに到達する橋がどこにあるか探せないのだ。宗教とは、このような状況の人に対して、あなたの探している橋はここですよ、さあ、私とともに渡りましょう、と導く役割を担っている」

問う人「で、何ですか、僕にはその橋を渡る資格がないんじゃないかと」

知る人「資格がないとまでは言わぬが、それ以前にやるべきことが山ほどあるのではないかね。スマイルズの言った selp help(自助) の精神が君には欠けている。神仏に頼る前に、自力で道を開こうと必死になることだな。君のようなタイプはね、こう言っては悪いが、怪しげな新興宗教にとってはいいカモだよ。ネギをしょっているばかりか、先祖代々の地所の権利書と実印と預金通帳とクレジットカードを見せびらかして往来を歩いているようなものだ。いいかね、信者さんたちが何をどう言おうとも、宗教とは実に儲かるビジネスなのだ。人の迷いや不安というのは、噛んで二度オイシイどころか、噛めば噛むほど味が出て来て、生涯味わい続けられる貴重な財源なのだな。宗教の仮面をかぶった商人たちは、そこをうまく突いてくる。入信すれば幸せになれると説くが、幸福とは、誰もが追い求めていながら、ほとんど誰も手にすることのできない難しいものだ。信じれば救われると彼らは言う。だが、実際に救われた人がいるのかね。そう思い込んでいるだけなのだ。そして、そう思い込ませるのが、彼ら宗教商人の常套手段なのだよ」

(次回へ続きます)

1743字。60分。

 

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