宗教商人に騙されるな(2)

【前回(宗教商人に騙されるな(1))からの続きでございます】

 

 

問う人「宗教商人、という言葉が少々ひっかかりますが」

知る人「<宗教の仮面>と私が言ったからね、悪人のように聞こえたかもしれないな。正しく説明しておこう。宗教商人というのは、宗教を商品化して利潤を稼いでいる者のことを指す」

問う人「どんな団体であっても、維持運営にお金がかかるのですから、或る程度利益を得るのは当然ではありませんか」

知る人「君の町にもキリスト教の教会があるだろう」

問う人「ええ、小さいのがひとつありますね、行ったことないですけど」

知る人「そこが物販やら何やら、商売のようなことをしているのを見たことあるかね」

問う人「まあ、ないですけど。でも、いちいちチェックしているわけじゃないし、彼らがこっそり何かやっていてもわからないですよね」

知る人「それを言い出したらキリがなかろう。どんな立場であっても、隠蔽工作や不法行為をやろうと思えばできるからね。だが、協会がだな、神父の声を録音したCDやら、聖職者の著作やらを売っているのを見たことがあるかね。真の聖職者は常に貧しいのだ。貧困と共にあるのが、彼らの正しい姿だからね。ところが、○○苑だの、○○学会だの、○○の科学だのといった連中はどうだ。まるで株式会社だ。企業は高額の法人税を払っているが、宗教法人は非課税だね。まあ、いわゆる<坊主丸儲け>というほどボロ儲けではなく、そこにはいろいろ複雑な仕組みや出費があるのは私も知っている。しかし、彼らは『私たちは、皆さんを幸せにします』という看板を掲げている。株式会社は、その脇にちゃんと『ただし、お金はいただきますよ』と一言付け加えてある。営利目的だとわかるような体裁を整えているわけだ。それに対して宗教商人は、耳障りのいい言葉で人を引き寄せ、徹底的に洗脳して、教祖の言うことならなんにでも従う人間に作り変える。こうなればあとは楽なものだ。本やCD、DVDなどのグッズは飛ぶように売れる。競うようにして寄付をする。仲間うちで集まって美辞麗句のぶつけ合いをしていれば、何となく満たされているような錯覚に陥り、これが幸福というものだなどと納得させられる」

問う人「本人が良ければ、それはそれでいいのではありませんか」

知る人「そう思うだろうが、さにあらずだ。私は宗教商人が儲けすぎだとか、偽善者だとか言いたいのではない。違法ではない以上、誰も文句は言えないからね。最も問題視しなければならないのは、信者たちの人間的成長、人格の陶冶を妨げることなのだ。教祖の口車に乗せられて自己満足に浸った時、すでにその人の成長は止まっていると思わねばならぬ。厳しい現実を直視する目を曇らされ、牙を抜かれてしまえば、あとは強者の言いなりだな。これから日本は人口の減少局面に入る。今まで以上に、国民一人一人の役割が重くなるのだよ。そんな時代に、自己満足して闘おうとしない軟弱な生活者が少しでもいては困るのだ。宗教商法は、人間の魂と金の双方を最後の一滴まで吸い尽くす。○○学会系の政党を見るがいい。彼らが社会に何をしたね。莫大な信者数を誇りながら、株式会社のような機能しかなく、社会を変革する力はない。それは当然だ、信者は皆骨抜きにされているのだからな。上位者たちの都合のいいようにしか動かない人間に仕立て上げられてしまったことに、誰より彼ら自身が気付いていない。いいかね、もう一度言うが、宗教で儲けたい奴はせいぜい儲けるがよい。だが、日本国民の生きる力を奪うのはやめよ、と声を大にして言わねばならぬ。使えない民をこれ以上増やすな。敬虔な信者とは、毎日精一杯働きつつ、強者に対して牙をむくことを忘れぬ闘士なのだ。本物の宗教者は、信じただけで救われますよなどとは絶対に言わぬ。少しでも生活をよくしたいなら、充実した人生を築きたいなら、宗教商法にひっかかるな、宗教商人に騙されるな。正しい信仰はすぐそばにある。常に私たちと共にあるもの、それが神なのだ。教祖の口からしか聞こえてこない<神>の言葉など、無視していいのだよ。それよりもっと、真剣に生きている人々の声をききなさい。真理は常に日々の暮らしの中にあるのだ。無責任な教祖サマのあとに従って宗教商法の<消費者>に仕立て上げられる前に、自らの行いを振り返り、洗脳状態から自身を解放せねばならぬ。人生一度きりだ。商人に儲けさせるために貴重な時間と金を費やしていいのか、脳が汗をかくほど考えることだな」

(了)

1841字。60分。

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