認知症という名の商品

【父親の認知症が進行して困っています。家に居られなくなったので、老人ホームに預けようとして探したのですが、待機者七百人以上と言われて愕然としました。何とかならないでしょうか。このままでは外出もできません】

 

 

知る人「おやじさんというのは、御年おいくつかな」

問う人「この夏で八十になります」

知る人「昭和十五年生まれだな。ちょうど日本人男性の平均寿命だ」

問う人「そろそろ三途の川が見えて来ただろう、とおっしゃるのですか」

知る人「そんな失礼なことは言わぬ。老人ホームに預けようとしたとのことだが、君が探したのはいわゆる<特養>、つまり特別養護老人ホームではないかね」

問う人「そうです。要介護3から入居できると聞いたので」

知る人「特養は費用が安い上に、まあ、言葉は悪いが、死ぬまで居させてもらえる施設だ。昔ながらの相部屋ならば、年金だけで足りてしまう。待機者が多いのは理解できるだろう」

問う人「そうとう競争激しいですよね。待ってるうちに、命が尽きてしまいます」

知る人「激戦区を狙わなければ、何とかなろう。ひとくちに老人ホームと言っても、いろんな種類があるからね」

問う人「ええ、ウチの近所に<認知症対応型共同生活介護>という看板の小さな施設がありまして、そこでいろいろ聞いてみたのですが、ウチの父のレベルでは難しいって」

知る人「ああ、君が行ったのはグループホームだね。あそこは確かに認知症専門だが、実際には軽介護の部類に入るところでね、あまりに問題行動の目立つ者は受け入れないようだな。強烈な帰宅願望や不潔行為、徘徊、暴力等々、他の利用者が嫌がるようなのは入居を断られる場合が多い。君の親父さんは、どんな行為が目立つかね」

問う人「最近は、やたらと何でも解体したがるんです。数日前の夜、廊下が水浸しだと妻が叫ぶので見に行くと、父がトイレの水洗用タンクの蓋を開けて、中の部品を外しているんですね。ウチは戸建てだからまだよかったですが、マンションなら、下の住民から苦情が来ていたかもしれません」

知る人「それでは、片時も目が離せぬであろう。奥さんもまいってしまうなあ」

問う人「もう音を上げてますよ。だから、何とか受け入れ先を探さないと」

知る人「施設を探すに当たって、専門家の力を借りたかね」

問う人「いえ、自力で探し回りました」

知る人「君の住む地域を担当する相談員が必ずいる。役所に電話して訊いてみなさい。君のおやじさんに合った場所を探してくれるだろう。例えばだな、普通の老人ホームではなく、リハビリなどができる老人保健施設、いわゆる老健というところだな。中には、その運営母体が精神系の病院というのもある。精神病院一歩手前といった状態の老人でも受け入れてくれたりするらしい。精神疾患に強い施設はないかと相談員に聞いてみるのも手だ」

問う人「ちょっと検索してみたのですが、最初に一千万円も払わなければいけないだとか、べらぼうに高いのもあってびっくりしましたよ。いろいろあるんですね」

知る人「高齢化がどんどん進んで老人だらけになるから、介護は儲かる・・・政府がそうやって国民を煽っているのだからな。規制のハードルが下がって、民間企業が次々と参入している。だが、彼らが狙うのは主に富裕な老人だ。最近増えてきたサ高住(サービス付き高齢者住宅)などはそのいい例だな。或いは、法すれすれのところで運営する有料老人ホームもある。こういうのは、安く入居できるのはいいが、職員数をギリギリまで削っているから、夜間の対応がずさんだったりして、問題も多い。小規模の施設をたくさん作って利益を出す、言ってみれば薄利多売だね。お年寄りたちがコツコツ貯めて来た金融資産を、彼らは容赦なくむしり取る。そこにあるのは、需要と供給という発想だけだ」

問う人「詐欺は言語道断にしても、合法的に金を吸い上げる商人たちが、老人市場になだれ込んでいるのですね」

知る人「君の親父さんがいい例だな。認知症で最大の問題は、その家族の介護疲れだ。テレビなどで認知症関連の企画をよく見かけるが、実態はあんな生易しいものではない。誇張でも興味本位な表現でもなく、本当に殺したくなるのも理解できぬわけでもない、と言ってよかろうね。ところが世間の趨勢を見よ、多くが認知症予防の方に関心が向いている。なぜだかわかるかね」

問う人「深刻な現状から目をそらさせよう、という策略ですか」

知る人「うん、それもあるな。太平洋戦争の傷跡を隠そうとする態度からわかるように、クサイものに蓋をしたがるのは私たち日本人の習性だ。だがね、ここで強調したいのはそれではない。認知症ではなく認知症予防を主体にすれば、右肩上がりの経済成長が見込めるからなのだ。予防のために何が必要か考えてごらん。日々の健康管理だけではなく、食事・サプリメント・健康食品・薬・数々の健康関連グッズやフィットネスなどの体力づくり施設、脳科学などを持ち出して来てはボケ予防ノウハウやら脳にいい食材やら、さらに精神衛生分野へのこじつけとして旅行・娯楽等の気分転換市場も活性化させることが可能だ。このように、ひとくちに<予防>と言っても、実にさまざまな商品・サービス分野にまたがってヒト・モノ・カネを動かすことができるのだよ。利に敏い商人どもが、これを放っておくわけがない。奴らは政・官にうまく取り入って、実に多種多様な<お墨付き>を乱造させる。トクホなどはその典型だな。このようにだな、認知症予防というのは、噛むほどに味の出るオイシイ市場なのだよ。ここには言うまでもなく、認知症介護の深刻な現状への配慮など皆無だ。少々違う例えだが、戦国時代、戦場をまわって、武将の遺体から甲冑など金目のものだけをひっぱがして売りさばく商人がいたらしい。認知症介護にむらがるいかがわしい連中も、これと似たようなものだよ。ひっぱがしたあとの遺体の処理は知らん顔だ」

問う人「市場にまかせたらすべてうまくいく、という悪しき市場主義ですよね。いまだにそういう姿勢が支配的なんだなあ」

知る人「世の中そう簡単には変わらぬ。なんせ遺伝子すら商品化されるご時勢だからな。良心さえ捨てれば、もうけ話はそこらじゅうにゴロゴロある。だからね、世間は君ら親子の味方をしてくれるかどうか、実にこころもとないのが現実なのだ。行政機構の中の、良心に訴えてくるマジメな部分を活用せよ。親父さんを受け入れてくれる場所は必ずあるよ。根気よく探すことだ。もちろん、短期間でね」

問う人「自分の親ですからね。自力でなんとかしますよ。市場主義なんて、こっちから願い下げだ」

(了)

2699字。90分。

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です