庶民とは、無閑の帝王である

【市役所に勤める主婦です。夫は普通のサラリーマンで、大学生と高校生の娘がいます。何で毎日毎日こんなに忙しいのか、考えると暗い気分になってしまいます。貧乏暇なし、ってこのことですね】

 

 

知る人「忙しいという感じ方にも、個人差がある。例えば、趣味や自己啓発など、やりたいことがあるのにできない、という時間の不足感か、或いは仕事量そのものが多過ぎて容量オーバー、さらには、これ以上できないという気力体力の限界。さて、君の場合は」

問う人「ううん、そう言われると、何でしょうね。やりたいことができない、っていう場合もあるし、体力の限界って思う時もあるし、いろいろですね」

知る人「やりたいことというのは何だね」

問う人「とくに決まってはいないんです。そのときによって、例えば、落ち着いてニュースが見たいとか、フィギュアスケートの世界選手権の録画をとっておいたのに見られないとか」

知る人「何かに継続的に取り組んでいて、そのための時間が制約されるということではないのだね」

問う人「ええ、そうですね。本を読むこともたまにありますけど、趣味と言えるほど没頭しないですし」

知る人「旦那さんと、家事などの役割分担は」

問う人「主人はワタシより早起きの人なので、朝のゴミ出しと洗濯、ご飯炊きなんかをやってくれています。共稼ぎですし、家事を厭うような態度はないですね」

知る人「でも忙しいのだね。気分転換は」

問う人「半年に一回くらい、夫婦で温泉に行ってます」

知る人「結構な話だな。でも忙しいのだね」

問う人「ええ、もっとゆとりがほしいです。お金持ちは悠々と暮らしてるんだなあって思うと、世の中不公平だなって」

知る人「不公平なのが世の中の常態だ。世界を見渡してみよ、平等な社会を築いた国がどこにある。そんな当たり前のことで不平を言うとは、武装が足らぬ。ほとんど丸腰だな」

問う人「武装って、何ですか」

知る人「知識武装、理論武装、情報武装、その他いろいろだ。世間の荒波に呑まれるのを待っているかのような生き方だな。毎日つまらぬであろう」

問う人「何の為に生きてるんだか、わからなくなるときもあります」

知る人「そういう考えはやめなさい。君ぐらいの知性・見識レベルで深刻に悩むと、一気に生きる気力を失う危険性がある」

問う人「もっと世間を知れ、とか、いい年して勉強が足りない、とか」

知る人「わかっているではないか。そう言えるのなら、ここへ何を期待して来たのかね」

問う人「このモヤモヤした気分を晴らす方法はないものかと」

知る人「庶民の生活とは何か、君はまったくわかっておらぬ。そのあたりの認識を改めれば、すぐにでも快活に暮らせるようになるだろう」

問う人「では問います。庶民の生活とは」

知る人「庶民の上に何が居座っているか、よく思い起こしてみるがいい。嘘つき政治家、ずるがしこい商売人、機を見るに敏なる御用学者などなど、庶民を玄関の足拭きマットぐらいにしか考えておらぬ輩どもが、私たち庶民の頭越しに社会を意のままに操作しようとしている。私たちが普通に働いていても決して楽ができぬように、あらかじめ仕組まれているのだよ。だから、働けど働けど……という閉塞感しか覚えぬのだな。が、だからといって、現状を打破するために何ができるね。当面、何もできぬ。それはなぜかというに、私たちには日々の暮らしがあるからだ。政治が悪かろうが、大企業が暴利を貪ろうが、とにかく生きていかねばならぬ。この段階でヤケをおこしてはいかんのだ。日々をまじめに、地道にコツコツと、薄皮を重ねるが如く僅差を積み重ねて、少しずつ少しずつ力を蓄える。そうしているうちに、いつのまにか、自分がかつての不平主婦とは別人になっているのに気づくだろう。なぜそう言えるかわかるかね。日々の些事を厭わぬ庶民こそ、社会の主役であり、偉大なる牽引車なのだよ。朝はやく起きて、家族と自分の食事の準備、終われば子供たちと旦那を送り出して自分も出勤、職場ではいろいろと煩わしいことや腹立たしいことがあろう、だがそれらをグッと呑み込んで帰宅して、また朝と同じく家族と自分のために働く。しかし、これだけ忙しく暮らしていても、一日の最後に数十分だけ自分の時間を持ち、そこで勉強するのだ。その数十分にどれほどの価値があるか。サミュエル・スマイルズの『向上心』のなかにこんなくだりがある。今ここで話していることとは違う文脈で述べられているが、共通点があるから引いておこう。或る雑誌の編集長の言葉として紹介されているくだりだ。

一日中働いて、ようやく手に入れた文章を書くための一時間は、文学を商売にしている男のまる一日の労働にまさる値打ちがある。この一時間は、まるで鹿が小川の水を飲んでかわきをいやすように、歓喜に満ちて魂をよみがえらせる。文学者のまる一日の労働は、息もたえだえにうんざりしながら、必要にせまられてみじめな道を歩いているだけのことなのだ

・・・どうかな。宗教にだって同じことが言える。純粋なる信仰者は、祈りで一日を始め、誰よりも猛烈に働き、最後は再び祈りで一日を締める。これらはみな、長時間の読書などよりよほどその人を成長させるものなのだ」

問う人「祈り、働け、ですか」

知る人「そうだ。そしてこれが肝心なところなのだが、そうやって真摯に生きていれば必ず、自分たちの上にアグラをかいている連中への怒りが湧いてくる。この集積こそが、社会を変革する原動力に他ならぬ。目先の時間不足に怒っているうちは甘い。そのはるか先にある根源的なもの、地球の中心にあるマグマの如き怒りの核心に触れたとき、自分が庶民であることが心から誇らしく思えるであろう。その日が君の革命記念日だ」

問う人「忙しさの先にあるものを見据えて生きろ、ということですね」

(了)

2353字。90分。

 

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