他人の道は歩き難い
【一流大学を出て一流企業に就職し、並み以上の女性と結婚して子供が二人います。順調なはずなのに、なぜか最近、苦しくてしかたありません。もう何もしたくないのです。原因がわからず困っています】
知る人「出勤はしているのかな」
問う人「いちおう、というか、何とか型通りには」
知る人「今いくつだっけ」
問う人「三十八になります」
知る人「君の経歴は、社会通念に照らして言えば、エリートコースというものだ。それが行き詰ったとなると、二方向から原因を探らねばならぬ。短期的なものか、それとも中・長期的か」
問う人「上の子ができたのが八年前なのですが、その頃から悩み始めました」
知る人「長いな。仕事が面白くないのかね」
問う人「そういうわけでもないのですが、楽しくもないですね。仕事だから、と割り切ってやっているというのが現状です」
知る人「ほとんどのサラリーマンがそうだろう。楽しく働いている者などめったにおらぬ。が、長くやっていくうちに、その人なりの役割や使命などを見出していくものだ。君にはそれが見えていない。働き方が浅いか、仕事そのものが合っていないかのどちらかだな」
問う人「浅いと言われても、今以上に深入りしたくはないです」
知る人「覇気がないな。それでは早晩、社内の出世競争に敗れるだろう。さらに悲観的となって、精神科医のお世話になるようになるかもしれぬ」
問う人「そうなる前になんとかしたいです」
知る人「君の半生を延々と聞くわけにはいかぬが、察するに、第一歩から踏み誤った感じだな。おそらく受験エリートでもあったのだろうが、自分に向いている学問は何か考えず、どんな社会人になりたいかも考えず、とりあえず”型”にはまっていった結果だろう。少々違う例えだが、貝殻型のマドレーヌを作りたくて、味付けなど二の次で型に流し込んだところ、形はいいが味はマドレーヌとは似ても似つかぬものができてしまった・・・とまあ、イマイチ切れの悪いたとえ話で申し訳ないが、君はおおかたそんなところだろう。違うかね」
問う人「とりあえず流れに乗った、ということですよね。自分でもそんな気がします。でも、もう三十八歳ですから、修正はききませんものねえ」
知る人「情けないことを言うな。人生百年などと愚かなことは言わぬが、あと三十年は現役で働けるのだよ。軌道修正は可能だ。君はだな、エリートコースという名の既製品の上を滑ってきたのだな。それは他の誰かが準備し整備してくれた、実に歩きやすい楽な道なのだ。が、不測の事態に対応できるようには作られていない。いわば丸腰の一本道だよ。エリートとはそんなものだ。東大卒のエリート官僚が突如自殺したりするだろう。彼らは確かに武装した。が、それは知識や情報だけで、肝心の、いかに生きるかという肝の部分はまったく身につかぬまま、出世の階段を登ってしまったのだ。我が国だけで億の民が暮らしている。どこから弾が飛んでくるかわからぬ危険な環境に生きているという自覚が足りなかったのだな。今の君も同じだよ。このままいけば、自殺するか否かは知らぬが、納得のいく形で職業人生を終えるのは望み薄だな」
問う人「他人の道を歩くのをやめて、自分の道を、ですか」
知る人「その通り」
問う人「どうやってそれを探せばいいのか、わかりません」
知る人「私にだってわからんよ。だがね、君の家族がヒントをくれるはずだ。こんどの休日でもいつでも、時間のある時に、家族全員で話し合ってみることだ」
問う人「おとうさんに向いている仕事は何だと思うか、と尋ねるのですか」
知る人「まあ、それでもいいが、父親としては訊き難かろう。それよりもだな、こう尋ねてみてはいかがかね。
おとうさんと一緒に居て、楽しい時ってどんな時かな。
・・・おそらくこれは、君がもっとも生き生きと楽しそうにしている時と一致するはずだ。生き抜くヒントはそこにあるだろうな」
問う人「でも、そんな時は全然ないよって言われたら」
知る人「どんなお父さんでいてほしいか訊きなさい。とにかく家族で話し合うのだ。君のようなタイプは、自分の家族すら上から見てしまいがちだからな。同じ目の高さで、腹を割って話し合えば、何か見えてくるはずだ。きょうはこのあたりで終わろう。私を操作しているU氏が夜勤明けで疲れていてね。U氏が元気を取り戻したら、また諸君にお目にかかろう」
(了)
1776字。