老人は、搾りかすではない

【この夏で90歳を迎えた爺さんです。昨今の世相を見るにつけ、ここは日本ではない、どこか別の国ではないのかという気がしてなりません。私の如き古い世代のやることなど、この国にはもう何もないのですね】

 

 

知る人「90歳ということは、失礼ですが、昭和4年のお生まれですかな」

問う人「いかにも。日本人男性の平均寿命を越してしまいましたよ。なかなか立ち去らない老兵に、若い方々はさぞかし不快感を抱いていることでしょうな」

知る人「そんなことはありません。ただ、あまりに世代が離れ過ぎていて、どう接すればいいかわからないのでしょう。それは、あなたも同じではありますまいか」

問う人「そうですね。私にはかつて兄がいましてな、昭和初年生まれで、もう鬼籍に入りましたが、いわゆる学徒出陣世代でして、ハタチになるかならないかのときに南方へ行かされて、命からがら生き延びた人でした。その兄が、戦後世代の日本人を見ていると、本当にこの人たちは自分と同じ民族なのか、と思うことがある、と時々話していましたね。まあ、隔世の感あり、ということなのでしょうが」

知る人「戦地に赴いた方々は、とりわけそのような思いを抱かれるようですね。あまりにも変質し過ぎたということでしょうか」

問う人「まあ、ただ単に苦労したのしなかったのというレベルの認識ではなく、何か本質的な差異とでもいったものを感じたのでしょう。それは私もありますね」

知る人「今回のご質問にありますように、世代間の断絶が著しく、今の世をどう理解すればいいかわからぬというご心境なのですな」

問う人「ええ。私個人としては、過去の苦労がおおいに役立ったのです。もちろん、いい経験をしたとは思っておりませんがね。しかし、民族単位で考えますと、我ら戦前派の苦労を役立てる余地などどこにもないのでは、という気がしてならんのですね」

知る人「昭和20年というのは、私たち日本人にとってあまりにも深い断層なのでしょう。あそこですべてが断ち切られてしまい、今風に言いますならば、 リセット されてしまったのですな。経験の蓄積こそが人生の要諦なのですが、肝心かなめのそれが破壊されたのですから、まあ、歴史の中で、戦前世代を切り離してしまったようなものかもしれないですね。ああ、少々言葉が過ぎましたかな」

問う人「どうしてどうして、おっしゃる通りですよ。我ら戦前派は、大海に投げ出された小舟でさ迷う民なのです。波に呑まれて消えてしまっても、誰もいっこう気にかけない。戦後派の人々からすれば、意識の圏外にいる存在なのですね」

知る人「戦前に苦労なさった方々から何も学ぼうとしないのは、戦後教育がいかに間違っていたかの証左と言ってよいでしょうな。クサイものに蓋をして、小奇麗な世界しか見ようとせぬ刹那的日本人が、今の我が国の主流として居座っています。このような亡国的現代人に対して、あなたのような苦労派にやっていただきたいことというのは、それこそ山のようにあるのですよ。困難に打ち勝つ術を心得ておられる世代の方々が、まだ私たちの身近にご健在だということを、すべての現代日本人に気付かせねばなりません。少し考えれば誰にでもわかることなのですが、わが国の歴史上、他国に国土を蹂躙された体験を持つのは、太平洋戦争世代だけなのです。大昔に遡りますならば、あのジンギスカン時代の大モンゴル帝国ですら、日本を攻めることに失敗していますね。長い長い歴史のなかで、唯一にして最悪の体験をなさった貴重な大先輩なのですよ。本来ならば、我ら戦後世代が大先輩たちに頭を下げて教えを乞うのが筋なのですが、誰にもそんな意識はありません。戦争体験を生かせるリーダーが、残念ながらわが国にはいないのですな。こうなると、私たち有志が動く以外にないのです。こうしているうちにも、戦前世代はその数を減らしていっています。あなたの身の回りもそうでしょう。同世代の、共通の体験を語れるお仲間がずいぶん減りましたでしょう」

問う人「いかにも。近所にはいませんな。兄とともに南方で戦った戦友の方々も、栃木にひとりいらっしゃる他は、すべて天に召されましたからなあ」

知る人「国家のために戦った世代が、誰にも看取られず、何の恩恵も受けず世を去るのはおかしいのですよ。少し違う話になりますが、ロシア人は、いまだに日露戦争で戦った先祖を誇りに思っているそうです。自分は日本軍と戦った○○の子孫である、と誇らしげに言うのですな。それにひきかえ我が国はどうですか。私の知る限りでは、バルチック艦隊を破った日本海海戦に参加した兵士は、四国の、ああ、どこでしたかな、思い出せないが、老人ホームで最期を迎えた大倉明治という男性が最後の生き証人でした。確か1980年代のはじめだったと記憶していますがな。アジア各地の植民地国に勇気と希望を与えた歴史的勝利に貢献した功労者が、老人ホームでひっそりと消えていかねばならぬとは、この国おかしいんじゃないか、と、その新聞記事をみた当時、私はおおいに憤ったものですよ。あれから40年ばかり過ぎて、日本はさらに情の薄い国に成り下がりました」

問う人「おっしゃる通りですな。老兵は去れ、と追い立てられてでもいるかのようだ」

知る人「去ってはなりませぬ。今こそ我が国に貢献していただきたい。ただ、若者に経験を語るだけでは足りません。ロビー活動の如く、一定の勢力にならなければ。しかし、それをどうすればいいか、実は私にも策がないのですよ。お恥ずかしい話ですが」

問う人「なんのなんの。そう言ってもらえるだけでもありがたいというものです。では、具体的にどうすればいいか、いっしょに考えますかな」

知る人「そうしましょう。だが、延々と考え続けるわけにもいきません。戦前世代の方々はそうとう高齢化されていますからな。少なくともあと2~3年以内には明確な答えを出し、一歩踏み出さねばなりませぬ。お体のこともあろうかと存じますが、ここはひとつ、御協力いただけますかな」

問う人「喜んで」

(了)

2446字。

 

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