揺るがぬ自分は土台で決まる

【大型台風が来る、というニュースを見ていて、ふと想像したんです。凄まじい強風のなかで仁王立ちする自分を。倒れず立っていられるだろうか、わが足は地についているだろうか、と。そんな人間でありたいです】

 

 

問う人「抽象的な質問ですいません。いや、これじゃ問いになってないですね」

知る人「どっしり立っていられる人間になるにはどうすればいいか、との質問でいいかね」

問う人「はい、そうです。それです」

知る人「そう尋ねたくなったのは、何か具体的な出来事に背中を押されたのか、それとも以前から胸の中でくすぶっていたことか、どちらだね」

問う人「両方です。ずっと前から心にあって、そしてつい最近、ああ、僕は化粧品メーカーの研究所に勤めているのですが、同僚が僕より先に主任に昇格したんです。ところが、それを知った自分は、全然反応しないんですね。へえ、そうか、って感じで。同期に先を越されたんだから悔しいはずなんですが、まったくプレーンな心もちで。その少しあとにですね、テレビで観たい番組があって、女房に録画を頼んでおいたんですけど、タイミングの悪いことに、テレビが故障したんです。このとき、仕事にならないぐらいずっと気になってしまいましてね。つまらないことが引っかかって、重要なことがスルーしてしまう。あれ、自分、おかしいぞ、って」

知る人「なるほど。一言で言えば、ちぐはぐなのだね、自分の心が。心のパズルのピースを、狭い部分に無理やり押し込んでいるのかもしれぬ」

問う人「心のバランス、でしょうか」

知る人「そうだな。研究員としての仕事に、誇りを感じているかね」

問う人「ええ、もちろん。女房は元同僚ですし。あ、関係ないか」

知る人「いや、いい情報だよ。察するに君は、あと一歩の人だな。神が敷いた人生の軌道に、あと少しで乗れるだろう。どうすればそれに乗れるか、考えていこう」

問う人「はい。よろしくお願いします」

知る人「仕事はおもしろいと思うが、まあ、おもしろくなくてもやらねばならぬ。いつだったか、小説家の筒井康隆氏が読者に仕事は楽しいかと尋ねられ、苦しいと感じたら筆を擱くことにしているから、楽しいには違いない、と答えていた。自由業ならではの回答だな。サラリーマンならこうは言えまい」

問う人「そうですねえ。筒井氏と同じ取り組み姿勢でいいのなら、職場の人数は日によって大きく変動するでしょうね」

知る人「そうだね。世の中には、仕事が趣味だと公言してはばからぬ者もいようが、これはまあ、趣味と言っていいほど好きだという意味に解釈すべきだな。職場に趣味の精神を持ち込むことはできぬし、休日に職場と同じ気持ちにはなれぬ。一方、仕事だろうが、楽しくてたまらぬ趣味であろうが、そんな自分を支える土台は同じなのだな。礎石=いしずゑ と言い得る基礎の部分だ。仕事は義務、趣味は権利だが、このどちらも同じ礎石の上に成り立っている。おそらく今の君に必要なのは、この礎石が何であるか探り当てることではないかな」

問う人「ううん、なるほど。支え、ですか」

知る人「支えではない。支えと言うと、杖のごときものを想像してしまうだろう。それがなければ転倒するね。いしずゑとは、それとは似て非なるものなのだよ。もっと根本的なところで自分を受け止めてくれる。どっちに転ぼうとも、必ずそれがクッションになって、自分の身は無事だ。いしずゑとはそんなものなのだな。もっと言えば、これがなくなれば、怖くてたまらぬ。世渡りできぬようになろうね」

問う人「ものすごく大事な存在ですよね、それ。何だろう。僕にもそんなのがあるんでしょうか」

知る人「ある。好き嫌いから少し離れて考えてみよう。一日三度の食事を忘れるくらい、トイレに行くことすら忘れるくらい、没頭し切ってしまうことは何かないかな。何でもいい。くだらないと思うことでも」

問う人「少し残念ですけど、それは、仕事じゃないですね。研究員としての仕事は文句なしに素晴らしいのだけど、寝食を忘れるほどじゃない。ううん、何だろ」

知る人「これをやっている時の自分こそが、本当の、掛け値なしの自分である。そう言えることがあると思うのだがね」

問う人「ホントに馬鹿馬鹿しい答えになりますけど、僕は昔の漫画が大好きで、小遣いにゆとりができるたびに買い集めるんです。『あしたのジョー』『ワイルド7』『夕焼け番長』『ほらふきドンドン』など、僕が生まれる前の人気作品を読むのが何より楽しくて、今おっしゃったような、三度のメシを忘れる状態に陥りますね。あ、こんなのでいいんですか」

知る人「実に結構。そこに大いなるヒント在りだな。最近どうだね、あまり漫画を読んでいないのではないかな」

問う人「ええ、言われてみればそうですね。そうだそうだ、もう一か月近く離れてしまっています」

知る人「それがひょっとしたらだな、単なる趣味を超越した、君の礎石かもしれぬ。そのものではなくとも、礎石のありかを教えてくれる鍵がそこにあるに違いない。仕事とも趣味とも別次元の何か。これこそが いしずゑ なのだ。まずは休日に漫画を読みふけってみることだな。礎石の全貌が見えてくるはずだ」

問う人「さっそくやってみます」

(了)

2113字。

 

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