<大和魂>は、死語である

【大和魂という古い言葉がありますね。戦前、軍部が戦争遂行に乱用した妄言に過ぎないと思っていましたが、最近、もしかして今の日本に足りないのはこれではあるまいかと考えるようになったんです。おかしいですか】

 

 

知る人「大和魂とは、いったい何だと思うね」

問う人「よくはわからないんですけど、何て言うかな、その、私たち日本人の心の在り方みたいなものかなって」

知る人「戦前の人気漫画『のらくろ』の中に、それに関するエピソードがあった。記憶に頼って話すから、原典と一字一句同じではないが、猛犬連隊のブル連隊長とモール少佐の、こんなやりとりで始まる。

ブル連隊長「君、大和魂とは、どんな形をしているものかね」

モール少佐「は。あれはその、心の在り方でありますから、形というものは特にないのであります」

ブル連隊長「そんなことあるものか。よく調べてみたまえ」

・・・しばらくして、連隊の敷地内で火事が発生する。ボヤと言ってよいぐらいのものだったが、悪いことに、武器庫の真横の芝生が燃えていたのだな。そこをたまたま、主人公ののらくろが通りかかる。周囲には自分しかいない。防火用水など、鎮火に使えるものは何もない。そこでのらくろは、火に向かって仁王立ちとなり、こう言うのだ。

のらくろ「たとえ我が身が黒焦げになろうとも、武器庫は守らねばならぬ」

・・・そう言うが早いか、燃える芝生に飛び込み、転げまわって、おのれの肉体で火を消し止めたのだ。担架で運ばれていくのらくろが、報に驚いてかけつけた連隊長に、かすかな声で「連隊長殿、武器庫は・・・」 この様子を見ている連隊長と少佐の会話だ。

ブル連隊長「おのれの身を持って武器庫を守ったのらくろ。あれこそ、大和魂の形ではないか」

モール少佐「なるほど、あの形ですね」

・・・とまあ、こんな話だ」

問う人「なるほど。戦前ならではの物語ですね」

知る人「全国の軍国主義少年たちを意識して描いたのであろうが、どう思うかね。大和魂という美名で庶民を惑わせるとか、権威への盲従だとか、後付けの解釈はいろいろできようが、それにしてもだな、21世紀に生きる私たちにも何か教えてくれているとは思わんかな」

問う人「武士道、ですか」

知る人「まあ、それもあるだろうな。確かに、一歩誤れば危険な水域に足を取られる要注意語ではあるのだが、あまりにも緩み切った今の日本において、これは実に新鮮な話に見えてしまう。タガが外れてほぼ瓦解した大和民族をひとつに束ねるには、何らかの精神的支柱が必要だ。アメリカ人を見るがいい。彼らは自由奔放に生き、無数のベクトルを持つように思えるが、ひとたび国難に遭遇すれば、驚くほど一致団結して事に当たる。もともとが移民の国だから、いざ鎌倉という時の準備が、私たちよりもできているのだな。バラバラになりかねないことが誰にでも予測できる民族構成だからだよ」

問う人「ここを押せば国民はまとまる、という要所を、為政者たちが心得ていると」

知る人「為政者だけではなく、国民ひとりひとりにそのような自覚があるのではないかな。だが、わが国にはそのような自覚や危機感がない。戦後の”民主主義教育”が、まあ何とかなるだろうという安易な民族性を助長してしまった。70年以上も平和が続いたと思っている者は多かろうが、隣国はあいかわらずだし、中華帝国は強大なる軍備を備えている。ヒロシマナガサキなんのその、世界中核兵器だらけなのは何も変わっておらぬ。一触即発の国際状況の中にいて、のほほんとしていられるのだからな、民族精神のなかに何か欠けているのは間違いない。そのヒントをくれるのが、大和魂という言葉なのだと私は考えておる。君はどう思うね」

問う人「そうですねえ。自分から投げかけておきながら、こう言うのも変なのですけど、そんなアナクロニズムに頼らないと立ち直れないなんて、少々寂しい気もします」

知る人「アナクロニズムとは言い切れまい。日の丸・君が代の例からもわかるように、国民の目を戦争に向けるため、さまざまな概念が小道具に利用された。大和魂もそのひとつだ。武器は竹槍でじゅうぶんだ、などと言われてはたまらぬが、私たちの体から魂が抜け落ちてしまっている現状は、何かの力を借りねば改善できぬであろう。その意味では、大和魂というものを21世紀的に解釈し直してみるのも無駄ではあるまいと思うがね」

問う人「じゃあ、他に何か代わるものがあれば、それでもいいんですよね」

知る人「もちろんそうだ。が、何かあるかね」

問う人「・・・思いつきません」

知る人「そうだろうな。サッカーのワールドカップで国全体が盛り上がっていたとき、誰かがこんな発言をした。

この国がこれほどひとつになれたのは、久しぶりではないか。

・・・国民的○○、という言い方が大好きなマスコミが喜びそうな言い回しだろう。たかがサッカーでひとつになれるほど、私たちは単細胞ではない。このような直情志向が、次の戦争に利用されるのだな。どこの誰の発言か忘れたが、私たち日本人の、<民度>の低さを見事に表した言葉だと言う他あるまい」

問う人「では、大和魂を21世紀日本仕様に再加工するには、どうするべきでしょうね」

知る人「大和とはいかにあるべき民族か、という点から出発せねばならぬ。今ここで簡単に、はいこれはこうで、それはどうで、と組み立てていけるものではない。まずは君自身の考え方だな。それを我が国の現状と照らし合わせて細部に至るまで綿密に検討し続け、それから、私たちに必要なる<魂>の全体像に迫っていくのだよ。地道な作業だ。一朝一夕では成らぬ」

問う人「このままいけば、大和魂は死語になって消えますよね」

知る人「とうにそうなっている。蘇らせるのだよ、アナクロニズムではなく、新世紀の瑞々しい概念として。これもまた、私たち戦後生まれの重要な仕事なのだ」

(了)

2358字。

 

 

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