ホームレスは国家資格者
【本を読んでいたら、一級建築士の資格を持ったホームレスがいるという記述に出くわしました。ショックです。難関資格を保有しているのに、なぜそこまで落ちていくのでしょうか。他人事ながら深く考えてしまいます】
知る人「ホームレスとは住所不定者のことだ。国家資格を持っているのに、住む場所を持っていない。妙な話だな」
問う人「いったい、どうしてそんなことになるのでしょうか」
知る人「一言で言ってしまえば、運が悪かったのだろうな。人間誰でも、何をやってもうまくいかぬときがある。それがほぼ最悪の形で現れたということだね。君はホームレスについて研究でもしているのかね」
問う人「いえ、ただそういうのを知ったので、どなたかに尋ねてみようと思ったんです」
知る人「難関資格の代名詞だった司法試験ですら、安定収入を保証するものではなくなった。他にも難易度の高い国家資格はいくつもあるが、いずれも左団扇の職業人生に導いてくれるものではない。まあ、考えようによっては、いい時代になったと言えなくもないがね」
問う人「はあ、努力が報われないのがいいんでしょうか」
知る人「そういう意味ではない。お墨付きが効力を失いつつあるということだ。つまりだな、これさえ持っていれば安泰、というような、幸せへのフリーパスがあるかの如く人々が信じるのはよくないことだよ。世の中にそんなものはない。もちろん、職業領域を明確に示して信頼を得るには資格が必要だ。無免許の医師に病気を診てもらうのは嫌だろう。だが、そうだな、少々違う例えになるが、いつだったか、評論家の竹村健一氏が出ていたテレビのコマーシャルで、手帳を示して、「私なんかこれだけですよ、これだけ」と言うのがあったね。あの後、<これだけ手帳>なるものが発売されて、そこそこ売れたのだか何だか知らぬが、ああいうのも、これさえあれば という安易な期待に沿った商品と言えるね。当サイトではしつこく指摘しているが、今は結果だけを求める怠惰な人間が実に多い。いわゆる ”資格商法” なるものが大流行しているだろう。○○士だの○○アドバイザーだのといった怪しげなクズ資格が乱造されている。このような風潮が、一流の資格にまで悪影響を及ぼしているようだな。ニセモノが増えれば増えるほどホンモノが目立つ、という方向に行かず、どれがホンモノだか見分けがつきにくくなってきたわけだ。こんな時代には、難関資格を保有していても安閑とはしておれぬ。自己研鑽を繰り返し、自分を常に鍛え上げておかねば、いつ足元をすくわれるかわからぬ。不勉強な専門家は職を失う」
問う人「ということはですね、生き残っている人は信頼できるということでしょうか」
知る人「すべてそうとは言い切れまいが、確かな目安にはなるだろうな。話を元に戻すが、そのホームレス氏の場合、資格を持ったことで自分が完成したかのような錯覚に陥ったのかもしれぬ。そこから始まるのではなく、目標を達成した気分になったのだろう。まあ、本人には本人の言い分があるだろうが、脇が甘かったのは事実だろうね」
問う人「この人、再起できるでしょうか」
知る人「わからんなあ。建築が好きでたまらぬのであれば、あくまでその方面で生き抜く道を探すべきだろうが、それにこだわらぬ方がよい場合もある。難関資格を取ったぐらいだから、建築に向いていないことはなかろうがね、ただ、人にはそれぞれ役割というものがある。建築の世界に、このホームレス氏の役割はないかもしれぬ。まったく違う方面に自分の居場所があった、ということも大いに有り得るのだ。港湾労働者でも何でもよいから、何かを始めることだな。じっとしていてもろくなことはない。動くのだ。荷役か清掃か。人の嫌がる作業をすすんでやってみれば、近いうちに展望が開けてくるだろう。誰しも必ず適した居場所があるものなのだ。そこがホームレス氏にとっての”適材適所”であり、彼の役割なのだ。乞食の身分にまで落ちたのだ、もうそれ以下はなかろう。あとは這い上がるしかない。俳優を見よ。脇役では俄然輝くのに、主役を演じたらかすんでしまう者がいる。これは多くの場合、演技力というより、役割の問題なのだ。主役と言う場にこの役者の役割はないのだ。英国のロックスター、エルトン・ジョン氏のバックを務めたことでも知られるパーカッショニストのレイモンド・クーパー氏は、もともとは俳優志望だった。養成所での同期には、『時計仕掛けのオレンジ』などで主役を務めた個性派のマルコム・マクダウェル氏などがいる。が、向いていないことを悟り、音楽の道に進む。ピアニストを志したものの、候補者はいっぱいいる。それに反して、パーカッショニストは断然少なかった。それで彼は方向転換した。結果、タンバリンひとつで大観衆を熱狂させるほどの名演奏家として不動の地位を築いたのだ。よいか、一本道の幅は限られている。押すな押すなのぎゅうぎゅう詰め状態では、いつまでたっても前へ進めぬであろう。その道が狭いと判断したならば、潔く他の道をゆくがよい。人生には、徹底的に執着するべき場面と、あっさり諦めた方がうまくいく場合の両極端がある。この見極めができるようにならねばならぬ」
問う人「どうすれば、そうなれるのでしょうか」
知る人「立ち止まらぬことだ。足踏み人生から脱却せよ。たどたどしい足取りでもかまわぬ。とにかく前へ進むのだ」
(了)
2197字。