【よろずのことわり】百回記念特集・劣化する日本人(1)

【日本人は働き過ぎ=エコノミック・アニマルだなどと諸外国からやや侮蔑的に言われていたものですが、今ではどうでしょう。すっかり欧米化したと申しますか…とにかく、このままでは競争力を失い、世界で孤立するのでは?】

 

 

知る人「すっかり欧米化したというのは誤りだな。欧米の人々は、バリバリ働いて、サッサと帰宅して、ガツンと休みを取る。擬態語続きで申し訳ないがね、要はメリハリだな。休むときは休む。働くときは働く。公私の間の線引きが明確である。わたしたち日本人はだな、とりあえず出勤して、早く帰りづらいから残業して、煮え切らぬ態度で帰宅する。どこからどこまでが職場の自分なのか、本人ですらわからぬ。このような半端ビジネスマンが多いが為、モーレツ社員でもなく、アフターファイヴ派でもないどっちつかず人種があいかわらず巷には溢れている」

問う人「すっかり活力を失った気がします」

知る人「まあ、どのあたりの時代と比較するかにもよるがね。明治維新以来我が国は、欧米に追いつき追い越せでやってきた。そのやり方は正しくもあり、誤ってもいた。日本人が働き蜂だった頃を懐かしむ声は多いが、そういうのは決まって高度成長期だ。朝鮮特需に牽引されて、モノを作れば作っただけ売れたという時代だな。技術革新はすすみ、販売方法も工夫されて、優秀な技術者やビジネスマンが続出した。そしてその背景にあったのは、努力すれば報われるという信念だった。国自体が右肩上がりなのだからな、よほど見当違いなことをやらなければ、企業は伸びる。<まじめ>が報われた時代だったからこそ、それが主流となり、日本人の代名詞のようになったのだ」

問う人「今は努力が報われない時代、ということでしょうか。だから働かなくなったと」

知る人「そう短絡的に決めつけるのはよくないが、まじめな思いを受け止めてくれる場所が減ったとは言えるだろうな。今はヒト・モノ・カネの動きが速い。起業して数年で年商100億など、信じ難いスピードで事業が進んでゆく場合もある。このような時勢を支えるのは結果主義だ。ひらたく言えばだな、儲かれば何でもいいというわけだな。ウサギとカメの物語では最後にカメが勝つ。だが現代ではどうだ。ウサギがどんどん先に進み、カメは取り残される一方であろう。 下積み という概念がほぼ消滅したのは、すぐ結果を出せる世の中だからだ。ユーチューバーの如き短期的集金屋が富と知名度を一瞬で手にするものだから、世はますます、<勤勉>を忘れてゆく。額に汗して働かねば大金は得られなかったはずで、ビルゲイツも孫正義も藤田田も、みな人一倍働いて成功した。だが今は要領の良さが勝負の分かれ目のようになってしまっている。いかに楽して稼ぐか。パソコン一台あれば、自宅でも喫茶店でもどこででも仕事ができるのは実にいい傾向だ。だがその一方で、通勤電車に揺られて出勤して上司や顧客に気を遣うサラリーマンスタイルを馬鹿にする風潮が生まれた。奴らは能力がない、だから会社に縛られている、とね。何で成功したのか知らぬが、最近、遅刻を咎める上司は能がないなどと遅刻を正当化する輩のコメントをWEBで読んだ。この男には、規律という観念がない。短絡的結果主義の風潮は、このような勘違い馬鹿を大量に産みだすのだ。国家百年の計の上に立った事業であれば、じっくり時間をかけねばならぬ。そう簡単に結果を出せるものではないはずだ。何の信念もなく、ゲーム感覚で金儲けを楽しむ人種が幅を利かせる現代において、コツコツまじめに働くなどというのは、滅私奉公型旧式サラリーマンとして蔑まれるのだな」

問う人「下積みが尊ばれる時代が再びくるでしょうか」

知る人「下積み者が天下を取り、コツコツ型が有利になる世の中をつくらぬ限り、そんな時代は来ぬであろうな」

問う人「では、どうすればそういう世の中を作れますか」

知る人「これは起業家・企業家たちだけの問題ではない。世の中全体の流れが速い。これは使い捨て消費という難題としっかり繋がっており、経営姿勢だけで変わることではないのだ。社会の構造自体が問題なのであって、それを支えるわたしたち一人一人の生き方・暮らし方=人生観・職業観・国家観が問題の根底にあると言わねばならぬ」

問う人「そうとう根の深い問題なのですね。解決への道筋をつけることは可能なのでしょうか」

知る人「そうだな、一つ一つ分析して、問題点を探っていけば、少しは光が見えてくるかもしれぬ。次回からじっくり掘り起こしてゆくことにしよう」

問う人「よろしくお願いします」

(了)

1865字。

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