根拠なき自信を持て

【きょうで戦後75年。あの時代を知る人がどんどん減っている現状を、なんとかしなければ、とがんばっています。近い将来、老人ホームを作って、戦前世代のみなさんを受け入れる場所を確保したいのですが、少々不安になってきました】

 

 

知る人「職業は」

問う人「介護福祉士です。特別養護老人ホームで、高齢者およそ40人のお世話をしています」

知る人「その仕事を始めてどのくらいになるのかね」

問う人「5年めに入っています。老健で2年、特養で3年めです」

知る人「 ”戦前世代” を強調する理由は何かな」

問う人「戦争体験はもちろんですが、そればかりでなく、あの過酷な時代を生き抜いてきた知恵や勇気など、僕らが受け継がねばならないことはたくさんあります。それらが継承されないまま、世代交代が進んでしまっている我が国の現状を危惧するのです」

知る人「老人ホームを作れば、それを解決する道筋が見つかる、という考えかね」

問う人「そうです。もちろん、単なる既存型の老人ホームではなくて、体験談や意見を傾聴し、それらを戦前世代の方々の言葉として社会に発信します。同時に、平成生まれの若い職員を雇用し、利用者<戦前派>と職員<21世紀人>との間に架橋したいんです」

知る人「なるほど。戦前と戦後の間に橋を架けて、民族として正しい世代交代を、という考えだね」

問う人「おっしゃる通りです。僕はね、ホント、いろいろ考えたんです。過去をあっさり捨ててしまう私たちの無責任体質を、民族の遺産を正も負もいっしょに置き去りにして平気な恥ずべき性質を、どうすれば正せるか。でも、問題があまりに大きく、根が深すぎて、また、対象となる人の数も多過ぎて、マクロ的発想と視点ではいっこうに解決の道筋が見えてこない。やはり、自分にできることを絞って、徹底的に一点突破で攻めるしかないんじゃないか。ということで、介護士という立場をフル活用して、目標を達成する道を探っているわけです」

知る人「実に正当な理由だと思うが、ここへきて不安になったわけは何だね」

問う人「はあ、お恥ずかしい話ですが、僕は元営業マンでして、出来が悪くて人員整理の対象にされた者なんです。もう50歳を過ぎていますから、再就職先なんて見つかりません。女房が市役所の職員だから、何とかやっていけていますが、娘は二人いて、一人は大学受験を控え、お金がかかります。さて困ったぞ、といろいろ調べた結果、介護業界は比較的、途中採用の門戸が広いと知りまして、資格を取って転職したんです。やってみるとこれがもう素晴らしい仕事で、これぞ天職! と感謝感激で働いてきました。でも、施設を運営するとなれば、介護士とは別の能力が必要です。ビジネスマン失格の烙印をガツン!と押された僕に、それができるのだろうか、と」

知る人「なるほどね。できるかどうか、初心がぐらつき始めているというわけだ。独立するとなれば、休日返上で働くのは当たり前となろう。メシを食う暇さえ確保が難しくなるかもしれぬ。その仕事に君の全人生、全人格を賭けねばならぬ。趣味に興じる時間もなくなるだろうし、睡眠時間も削ることになるかもな。しかも、成功の保証はどこにもない。世間には、他人の足を引っ張るのを生きがいみたいにしている輩がウジャウジャいる。そういった連中に、いつ足元を掬われるか。今回のコロナウィルス感染症のような、世界的危機が襲ってくる可能性もある。つまり、いつも全方位に対して臨戦態勢を敷き、正規軍にもゲリラ軍にも備えておかねばならぬ。神経の磨り減る日々が延々と続くであろうな。それだけのことにじゅうぶん耐えられるのであれば、思い切ってやるべきだと思うが、いかがかな」

問う人「正直なところ、何とも言えない、わからない、としか言えないんです。ビジネスマンとしてぼんくらだった僕に、老人ホームの経営ができるのかどうか。でも、もう若くないですから、時間があまりありません。こうしているうちに、戦前世代の方々はさらに減っていきます。なんとかしないと」

知る人「そこまで思うのなら、もう迷うことはあるまい。今の君に必要なのは、自信だよ。根拠などいらぬ。絶対にやれる、やり遂げる、という <根拠なき自信>を持ちなさい。芸術家もスポーツ選手も、実業家も、必ず成功するという保証や確信があって成功した者などおらぬ。奥さんはどう言っているのかな」

問う人「一度きりの人生だから、って」

知る人「それなら問題ない。離陸しなさい。ただ、施設を持つとなれば、少なからず資金がいる。あてはあるのかね」

問う人「ありません」

知る人「FC方式のデイサービスですら、自己資金500万ぐらいは必要なはずだ。その他は融資を受け、総額で初期投資1500万ってところだろうな。グループホームならば、物件を自前で確保となると、億単位の高額がいる。これだけの金を集めようとすればだな、それで君の社会人生活はおしまいだ。さて、どうするね」

問う人「ううん、どうしましょうか」

知る人「肝心のところが抜けていたね。まあいい。日々必死で働いて技能・知識を向上させ、講師業その他、できそうなことは何でもやって、資金とコネクションをつくることだ。FCビジネスでもよかろう。グズグズしているうちに、戦前派の皆さん方はこの世から去ってしまうからな。猛烈に走りながら、猛烈に考えなさい。人脈を作り、情報網を築いて、近い将来の自分の舞台を、まずは外堀からつくっていってはどうかな。まあ、いずれにせよ、君は熟慮の段階を既に過ぎている。断行せよ。石橋を叩くだけでは向こう岸に辿り着かぬ。よいか、君は油のような存在を目指すのだ。ジワリジワリと、油のように滲み出てゆく。世間がそれに気付いたとき、君はもうすっかり社会の土台に食い込んでいるであろう。今の我が国を見よ。政治家も経済人も、知識人も、もはや誰一人頼りにはできぬ。自分だよ。自分しかないのだ。決めなさい、今」

(了)

2427字。

 

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