コロナよ今夜もありがとう
【いよいよ二度目の緊急事態宣言が出ました。東京都の一日の新規感染者は2000人を大きく上回り、とどまるところを知りません。いったい、日本と世界はどうなっていくのでしょうか。この先を考えると、とにかく不安でたまりません】
知る人「君のように思っている人は世界中にいるだろうね。アメリカを見よ。トランプが支持者を煽り立て、ついに人命が失われる騒ぎにまで発展している。コロナだけでも必死だというのに、国をいたずらに引っ掻き回す低能男のおかげで、目も当てられぬ惨状だ。米国民はおそらく、私たち日本人以上に深い失意、強烈な危機感で、心身ともにギリギリのところにいるであろうな」
問う人「そこへもってきて、コロナ発祥の地・中国の傍若無人ぶりが目に余る状況です。鬱病持ちでなくとも、抑鬱的気分になりそうで…」
知る人「緊急事態宣言を出すに至るまでの、わが政府の対応を見ただろう。『宣言を出す方向で検討している』、決まってもすぐには出さず、旅行キャンペーンのとき同様、『〇月〇日からです』と、いったいどこが ”緊急” なんだかわからぬような、悠長で牧歌的な仕事ぶりだった。コロナと闘う医療従事者の方々や、その他、感染を食い止めようと必死で働く職業人の皆様方には本当に申し訳ないが、コロナのおかげでようやくこの国と私たち日本人の正体が見えてきた。この点で、コロナに感謝せねばならぬと私は思っている」
問う人「はあ。でも、それ、ここは誰も読んでいないWEBサイト上だからいいですけど、人目に触れると炎上しそうな言葉ではありませんか」
知る人「案ずるな。ここは実質立ち入り禁止区域も同然。誰の目にも触れぬから心配は無用だ」
問う人「日本と日本人の正体、というのは、具体的にどういうことなのでしょうか」
知る人「昭和元禄に平成デモクラシーが続き、我が国のゆでガエル現象は極みに達したと言ってよい。経済最優先の疑似平和体制が延々と続いたことにより、我が国の支配体制は完全に<平和型モデル>となった。危機管理を忘れたのだな。国家存亡の危機など、来るわけがない。日本の繁栄はまだまだ続く、と、国家体制のすべてが、逆風が吹いた際を前提としなくなってしまった。このまま平和が続けば、という具合に、自分たちに好都合な未来像しか描けなくなってしまったのだな。だから、新たな感染症に対して、ほとんどなすすべがないわけだ。いかに脆い政治体制であったことか。なんと脆弱な屋台骨、なんとはかない楼閣であったことか。このことに、私たち国民は気付き始めている。これだけでも大きな収穫だと言ってよかろうね」
問う人「日本人の正体、というのは」
知る人「阪神淡路大震災はじめ、近年の大災害時に、いつも言われてきたことがあるね。日本人は規律正しく、冷静に対応する。お互い助け合って行動できる、と」
問う人「海外メディアはよくそういうとらえ方をしますよね。僕らもそれに慣れてしまい、自分たちは規律正しい国民なんだ、と思っている人は多いのではありませんか」
知る人「それが日本人の美徳だ、などという論調もすっかりお馴染みとなった。だが、実はそんな美しいものでないということが、今回のコロナで明らかになってしまった。私たち庶民の歴史とは、常に、天から降ってくるものを黙々と受け入れることによって紡がれてきた。自ら血と汗を流して勝ち取ったものはほとんどない。戦国時代を終わらせたのは徳川であり、明治維新の立役者は幕末の下級武士たち、戦後復興はアメリカの強力な庇護がなければ不可能だった。朝鮮特需も追い風となった。こうして歴史の節目を振り返ってみると、どれもこれも、上から与えられた改革ばかりなのだな。以前に当サイト上で書いたことと重複するが、島崎藤村の傑作『夜明け前』の中で、 御一新 という表現が何度も登場する。明治維新を当時の民衆はそう呼んでいたのだ。与えられたものを押し頂く、という、極めて日本的な精神が見事にあらわされた言葉だな。今までの日本を自由と呼ぶのならば、それはまさに、お上からばらまかれた制限付き自由であったに過ぎぬ。このような体質に染まり切った私たちは、コロナという ”目に見えぬ敵” にはお手上げなのだ。いつもお上の誘導の通りに生きてきたから、どんな愚策であっても、盲目的に従うしかない。町行く人を見るがいい。他人と何十メートルも離れた道路でも、マスクを外すことができぬ。商店の入り口にある消毒液の前に並び、一心不乱にエタノールを手にすりこむあの姿はどうだ。徳川の愚民政策で徹底的に虐げられた祖先たちも悲しむくらいに健気な盲従ぶりではないかね。これが規律正しい日本人の正体なのだ。薄暗い明け方にマスクで顔を覆ってジョギングにはげむあの ”勇士” こそ、勤勉日本人の真の姿なのだよ」
(次回に続く)
1973字。