批判に対する批判
【森会長に対する批判の声が、国際的にも高まってきています。辞任して当然、と思うのですが、ああいうヒトは、辞めても反省しないのでしょうね。それに、擁護論もチラホラ聞かれるようになりました。結局、うやむやになるんでしょうか】
知る人「擁護論、というのは」
問う人「東京オリンピック推進に向けた森氏の手腕を評価する声です」
知る人「ああ、橋本某だとか、幾人かの著名人や、社会的地位のある人たちが何か言っているようだな」
問う人「ギリギリのところまで追いつめてから、反対の極に振る。誰も傷つかないようにして矛先を収める常套手段かな、と」
知る人「そうだな。或いは、世論が森批判一辺倒に傾いている現状を危惧してのことかもしれぬが、まあ、いずれにせよ、擁護派の連中も、真剣に森氏を護ろうとは思っておらぬ。彼らの考えは、以下の4点である。
1)一方が不利だとわかれば、有利な方に肩入れする。弱い者いじめ、とも言えるね。まあ、元首相を弱いとは言えぬが。
2)批判する者は、森氏の業績を考慮していない。これは片手落ちな気がする。
3)批判に対する批判は、メディアで発言者の露出度を高めるには絶好の手段である。
4)そもそも、森氏の発言を問題視していないため、本音としてはどうでもいいのだが、世論がうるさいので、静かにさせようと思って発言した。
…まあ、これら以外にも、発言者が、自身の政治力を強めようとたくらみ、与党の有力者に色目を使った、というのも考えられなくもないが」
問う人「なるほど。では、1)~4)について、順番に解説していただけませんか」
知る人「まずは1)だな。web時代になって以降、世はますます ”言いっぱなし” の大放言社会に成り下がった。ツイッターに代表されるように、匿名による意見や情報が飛び交うご時勢だ。ただでさえ、コロナ禍で多くの人々の不満・不安が増大している。こんなときには、勝ち馬に乗ろうとする輩が多く出てくるのが世の常だ。今だ、森を袋叩きにしてしまえ、とばかりに、有利な方の見方をする。確かにこれはよくない傾向であり、今回の件においても、このような連中がある程度は紛れ込んだであろうな」
問う人「webはフリートーキングの場ですから、仕方ないのでしょうね」
知る人「かなりの程度まで、容認する他なかろう。続いて2)。森氏の政治的手腕への正当な評価もなく、ただ発言の批判ばかりしている、ということだが、これはまさに、君がさっき言ったこと、反対の極に振る、というのに相当する。一聴したところ、もっともな意見に聞こえるだろう。だが、批判している人々は、森氏の政治的手腕を不当に貶めているわけではない。本来、仕事と人格は別だ。下品な人物でも、実績を挙げれば高評価を受ける。だが、オリンピックという祭典の主旨や、本来の目的などを考えあわせれば、今回の性差別発言は、手腕への評価がかすむほど許し難い内容であったと言わざるを得ぬ。だから、業績を考慮しても、発言内容は容認できぬであろうな」
問う人「でも、業績をチラつかされると、中には、批判の勢いを鈍らせる人も出てくるでしょうね」
知る人「そこも、批判の批判を口にした輩は計算に入れてあるはずだな。続いて3)。モリンピックなどという愉快な造語が検索上位に出るほど、今の話題の中心は森氏だ。ここで180度違う意見を出せば、メディアでの露出度は上がる。目立ちたがり屋には絶好の機会に決まっている」
問う人「そういえば、病気になりたくなければ病院に行くな、とか、痩せたければステーキを食え、とか、世と正反対の発言をして耳目を集めようとする輩がいますよね。そのたぐいかな」
知る人「まったく同じではないが、同類だな。最後に4)。このような考えの者は、本質的に、森氏と同意見であろうな。女性を男の付属物程度にしか認識しておらぬ。おそらくいまだに、 ”おんなこども” とか、 ”おんなだてらに” ”おんなの腐ったような” 等々、男性上位時代に乱用された表現や用語を使い続けているね、こういった連中は。ちょっと違う話になるがね、サントリー創業家の一人で、現会長の父・佐治敬三氏が、ああ、理由は何だったか忘れたが、あるまとまった金を手にしたとき、「このお金で何を買いますか」とインタビューアーに尋ねられた。佐治氏はこう答えた。
そら、美女ですわ。
…サントリーに恨みがあるわけではないのだがね、これなど、森氏と同根だと言う他あるまいね」
問う人「そうですね。女性というか、誰かを蔑むような人って、少なくとも自分はコイツらより上だ、みたいな優越感を抱いているような気がしますね」
知る人「まったくその通りだよ。上記1)~4)すべてに共通して言えるのは、今回の森発言を重大なものと思っていない、という点だ。いつか『オリンピック史』という本が編纂されるとき、こういった連中が書籍刊行の中心にいたとしたら、今回の森発言は記載を見送るであろう。否、記載事項候補にすらあがらぬかもしれぬ。女性に特徴があるというのは、男性にもそれがある、というのと等しく扱うべきことなのだ。どちらが上位であってもだめだ。男女がお互いの特徴を、優劣の意識なく、単なる違いとして純粋に認識できるようになれば、森氏のような人物は、目立つ場所に出て来れなくなる。もとより、差別というのは決してなくならぬ。未来永劫続くであろう。が、だからこそ、許し難いものには反旗を翻さねばならぬのだ。世は常に、強い者にとって有利なようにできている。森氏の発言は、政治生命を絶たれるにじゅうぶんな、致命的発言である。批判の批判に目を曇らされてはならぬ」
(了)
2308字。