日本は能天気な国か
【いよいよオリンピックが始まりました。熱狂はないけど、お茶の間では、みなさんそれなりに楽しんでるみたいですね。予想通りの金メダルラッシュとも相まって、開催に対する批判や疑念など、忘れられてゆくのでしょうか。不安です】
知る人「君の懸念を、おそらく今、多くの日本人が共有しているだろうね。おとといだったか、ラグビー界のスター・平尾氏がこんなことを言っていた。
空気を読むのと水を差すのとは違う。
…補足すればだな、その場の空気を読みつつ慎重に発言するのと、ただ水を差すだけとは違うのだ、という意味だね。声を上げないアスリートたちへの批判という文脈で使われた表現だが、すべての言論に適用可能な、実に汎用性の高い名言であると私は思う」
問う人「まったくですね。容姿だけでなく、思想・信念に至るまでカッコイイんですね、平尾さんって」
知る人「天に二物を与えられた稀有な人物なのだろうね、うらやましい限りだ。まあ、それはいいとしてだな、君、今現在の状況下で、平尾氏の言うような態度は可能だと思うかね」
問う人「できると思います。例えば、競技とは別の場で反対運動を続けるとか」
知る人「すでに競技が進行している今でも、反対運動は有効だと」
問う人「効果があるかどうかはわかりませんけど、黙ってるわけにはいかないでしょう」
知る人「そうだな。が、運動に参加できない人も多い。なんせ、五輪のしわ寄せで苦境に追い込まれている人々はいっぱいいるのだからな。反対運動どころではなかろう。そんな人たちはどうするべきだと思うかね」
問う人「ううん、そうですね。飲食店の方であれば、店内のテレビでオリンピック中継をつけないとか」
知る人「それも一つだな。だが、店主の強固な信念が店員にも浸透していなければ、その態度を継続するのは難しいかもな。客から文句を言われることもあり得るだろうし」
問う人「そうなんですよね。そういう抵抗の姿勢って、なんだ、無駄なことやってんなあ、って感じで、かえって馬鹿にされたりもしますしねえ」
知る人「いかにも。まあ、そうだな、もっとも紳士的かつ力強い態度としては、選手たちの熱闘に敬意と称賛を送りつつ、五輪運営とは距離を置く、といったところかな。ニュースで確認する程度にとどめ、もちろん、中継は見ない。メダル獲得に沸く人々の輪にも入らない。そうして、五輪を推進した勢力を権力の座から引きずり下ろす準備を着実にすすめてゆく」
問う人「はあ、でも、それこそ馬鹿にされそうな気もしますが」
知る人「いつだったか、テリー某というタレントが、手のひら返しは日本のお家芸、どこが悪いんだ、と、何の臆面もなく ”信念” を披歴しているのをネットで見たよ。ああいった態度を恥とも思わぬ空気が、我が国にはある。なぜなら、私たちの中にも同じようなものが隠れているからね。太平洋戦争の時代のことを引き合いに出すと嫌がられるが、実際、反戦から好戦へ、帝国主義から民主主義へと、まさに手のひら返しを演じてきた我らは、21世紀の今も似たような態度をとろうとしている。たかがオリンピックというなかれ。先を見ず刹那的に生きる我ら現代人の生き方は、我が国の ”消費大国” たる地位を確固たるものにしていくことだろう。魂のない消費者だけが生息する極東の島国に、我が国はまさに成り下がろうとしている。五輪祝勝ムードに押されて反対の声がかき消されるのは、インドシナでの連戦連勝に酔って反戦を忘れたかつての苦い歴史と完全に重なるのだ。我が国は今、亡国の道をまっしぐらに歩んでいると言わねばならぬ。アスリートたちを称賛するのはおおいにけっこう。だが、選手の活躍と、民意を踏みにじった強引な開催・運営とは別次元なのだ。一人でも多くの国民がこれに気付かねば、やがて暗雲が日本全土を覆うであろう。そのときになって、誰かがしたり顔で言うのだな。『それ見たことか。あのとき反対しなかったからだ』とね。後付けでしかものが言えぬ評論家ではなく、私たちは、今を真剣に生きる生活者なのだ。お祭りに惑わされてはならぬ。平尾氏の言葉を頭の中でしっかり咀嚼して、自分には何ができるか考えなさい。この問題に百点満点の回答はない。置かれた状況はひとそれぞれだからね。他人を頼るな。他人を批判するな。まずは自分だ。一歩踏み出す勇気を持て」
(了)
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