無償でいいから何かやろう
【前回、前々回と、私塾乱立時代に戻せといったことを述べておられましたね。秩序の危機を犠牲にしても、そうする価値はあると。でも、何を教える塾にすればいいのでしょうか。ご教授いただければ幸いです】
知る人「その質問のしかたから察するに、君も何かしたいのだね」
問う人「はい、塾を開くということには、ずっと以前から興味を持ってましたので。でも、世にはすでにさまざまな塾や学校などの教育機関があるでしょう。自分ごときに何ができるのかな、と」
知る人「少々不安で、というわけだな」
問う人「はい」
知る人「私塾乱立時代、と私は言ったがね、現在もじゅうぶんそんな時代なのだな。駅前にあるのは、習い事か金融か歯医者か、とにかくそこらじゅうに塾かそれに似通ったものがある。私の自宅のそばには小唄のお師匠さんがいるのだが、これも立派な習い事の場だね。君にも得意なことがあるだろう。それをやればいいのだよ」
問う人「でも、人に教えるほど長けてるわけでもないし…」
知る人「何ができるのかね」
問う人「ぼく、似顔絵が得意なんです。スポーツ選手なんか、誰に見せても褒められますね」
知る人「ほう、では見てあげよう。何か描いてごらん。はい、紙と鉛筆あげる」
問う人「はあ、それでは…」
・・・・・・
知る人「これはハンマー投げの室伏だな。こっちはダルビッシュ投手。ううん、うまい。予想以上だ」
問う人「ありがとうございます。でも、この程度なら、プロの世界にはゴロゴロいますよね」
知る人「プロの絵描きになりたいという話ではあるまい。私塾の運営についてだろう」
問う人「ええ、確かに。でも、塾を開くってことは、プロと同じじゃありませんか。授業料をいただくんですから」
知る人「それならば、授業料を受け取らなければよかろう。これだけの技量があってタダなら、門を叩く音が深夜まで響くことだろう」
問う人「タダですか…」
知る人「どんな分野においてもだな、それでメシを食うというのは並大抵の努力でできるものではない。まずは無償奉仕から始め、自信と実績がついてくれば、まとまった授業料をもらうことを考えればよいではないか。君、家族は」
問う人「妻と、娘が二人です。高校生と中学生でして。AKBに応募したのですが、写真で落ちました」
知る人「じゅうぶん親バカだな。まあよい。で、仕事は何を」
問う人「下着のセールスマンです。もうすぐ勤続20年になります」
知る人「やりがいは」
問う人「ないです」
知る人「なるほどね。今の君の場合はだな、つまらぬ日々の仕事の中に、少しでもいいから曙光を見出すことから始めるのがよかろう。おもしろくないのは、仕事ではない、君自身の考え方、そして取り組み姿勢なのだ。これから仕事を好きになろうとしても、おそらく限度があろう。だが、今のままやめてしまえば、悪いのは仕事だったということになる。それを選び、20年も働いて面白味を見つけられぬ君自身の社会人力も問われねばならぬ。まずはそこからだ」
問う人「そうなったとして、そのあとどうすればいいのでしょう」
知る人「今の仕事と並行して、無償の塾を設立する準備に入りなさい。収益がないのだから、支出は最小限に抑えねばならぬ。自宅なり、実家なりと、低い原価でできる場所を探す。WEB上で展開したければ、その道のプロに金を払って教わるのがよかろう。商売人や実業家連中は、やたらと<顧客満足>という言葉を使うがね、この基本は言うまでもなく、顧客の喜びが先だ。三方良しなんていうのは、事業がある程度まで進んでから考えればよい。人間関係もそうだね。愛は無償である。こちらから与えるのが先だね。多くは一方通行で終わるが、双方向にまで発展する可能性だってあるだろう。まずは喜んでもらうのだよ。先に相手が喜ぶ。次に、君も喜ぶ。そうしているうちに、地域が、世の中が、いっしょになって喜ぶ。こうなればまさしく、スリードッグナイトの歌のように、<喜びの世界>が形成されてゆくというものだ。コロナ禍で東京五輪を強行開催され、我らの民主主義は風前の灯火と言ってよい。こんな時期だからこそ、市場原理とは一線を画す行動がモノを言うのだ。為政者・権力者・富裕者たちにとって、タダほど怖いものはないのだよ。奴らの牙城を崩すには、真正面から門を叩くだけではダメなのだ。綿密な計画に基づく行動であれば、無償とて懸念することはない。もっとも警戒すべきは、中途放棄だ。信念を磨け。横やりを入れられたり、冷や水を浴びせられたり、ハシゴを外されたりしても、決して揺るがぬ強固な意志を持っていれば、そして、事業を継続できるだけの健康な心身があれば、怖いものなど何もないのだからな」
(了)
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