反乱のために必要なこと(1)
【反乱を起こせとのことですが、具体的に何をどうすればいいのですか。<反乱>とは、一歩間違えば手が後ろに回るような、危険な行為ですね。大衆を煽るだけでなく、実践的内容が必要だと思うのですが、いかがでしょう】
知る人「前回のところで述べたように、テロ行為を推奨しているのではない。強く自己主張せよと言ったまでだ」
問う人「それはわかりましたが、実践が伴わなければ、あまり意味がないと思うのです」
知る人「確かにそうだな。では、反乱のために何が必要か、整理していこう。今回はその第一弾だ。まず、反乱の主体たる当事者が、ある特定の職業領域におけるプロであること。職業は何でもいい。とにかく、素人にはできぬことをして生計を立てていることが第一条件だな」
問う人「サラリーマンではダメということですか」
知る人「組織に所属しているか否かは問わぬ。現時点で所属している組織・団体から出て行っても、すぐどこか別の組織・団体からお誘いが来るぐらいなら、専門家として認められていることになる」
問う人「なるほど。ということは、そのレベルに達していない者は、反乱軍に加われないってことですね」
知る人「とげのある表現が好きだな。まあよかろう。自己主張を強める、ということの実践的意味はだな、例えば東京五輪に反対を表明し、そのような活動を始める。本業と並行してね。そうすると、思想・信条に偏った人物として目を付けられ、職を失うかもしれぬ。そんなとき、雇用主や顧客にすがりついて主義主張の旗をあっさり降ろすのか、それとも、偏向した危険人物と見られても構わず、それを容認してくれる雇用主や顧客を探すのか。生き方としては、これらのどちらかしかない」
問う人「つまり、いざというときのための武器を持っているか否か、ってことですね」
知る人「その通り。あまりいい例ではないが、戦前の共産主義者たちの場合を考えてみよう。彼らの多くは転向、つまり主義主張を曲げ、体制に迎合した。まあ、共産主義自体がほとんど架空の絵空事であり、実現不可能な思想であったから、そういった思想が力を失ったことは当然と言える。だが、同時に我ら民衆の<抵抗の歴史>も影をひそめてしまった。その最大の理由は、多くの活動家たちが、確固たる生活基盤を持たなかったからだ。生活物資獲得の手段が極めて脆弱であり、簡単に首根っこを押さえられてしまう。この文脈で引き合いに出して申し訳ないが、五輪開催に、内心では反対しながらも、メダルを狙わんがために参加せざるを得ぬ競技選手諸氏も、この類だと言えるだろうな」
問う人「なるほど。魂の名誉を取るか、実態としての名声を取るか。難しい選択ですね」
知る人「社会と闘うというのは、自分が少数派である場合しかない。数において、力において、或いはそれら双方において、自分は劣勢に立たされている。多数派に迎合すれば、収入は安定し、ぬくぬくと幸せに暮らしていけるだろう。香港のアクション・スター、ジャッキー・チェンが、中国共産党に向かってひたすら尻尾を振り続けるのは、まさにこの典型であろうな。体調不良をおして、あくまで闘い続けた歌手のテレサ・テン氏とは、180度逆の生き方だ」
問う人「メシが食えなくなる覚悟はできているか、と」
知る人「違う。誰もそんな覚悟などせぬ。そうではなく、苦境に陥っても、糊口をしのぐ手段を確保できるか否か。ここが、闘い続けられるかどうかの分かれ目なのだ。自らの職業人生を徹底的に再検討せよ。死角があるのならば、まずはそこを補強するのだ。我らの敵は、異民族ではない。同じ日本人なのだからな。戦後日本を芯から腐食させた張本人は、我ら自身なのだよ。弱い自分を戒めつつ、同じように弱さを持つ同胞に、改心・覚醒を促さねばならぬ。つらく、苦しい闘いだよ。日本という巨大な動物の、腹の中の虫に徹していくのだ。本物の自由を勝ち取るには、血を流すことも辞さぬぐらいの覚悟が必要だ」
問う人「誰が血を流すのですか」
知る人「君だよ。君であり、私だ。だが、腑抜けの血を吸ってくれるほど、祖国の大地は優しくないぞ。自らの熱い血が母なる大地に注がれ、その大地に育まれた若い世代が、新秩序を築くのだ。そのような捨て石になる資格のある者は、今すでに本業で地歩を固めているプロの職業人でなければならぬ。無数の職業領域で、無数の専門家たちが声を上げれば、国家の基盤はおおいに揺れるであろう。もう一度言うが、職業は何でもよい。我こそはと思わん者は、今、或いは近い将来、本業の中またはその周辺に、闘いの要素を加えるのだ。商店であれば、自らの信念を店内に貼りだすことから始めてもよい。一日も早く、まずは一歩目を踏み出すのだよ。それは、成功事例などとはとても呼べぬほど小さく、頼りないものかもしれぬ。それでいいのだ。21世紀日本において、何もしないことは最大の罪である。さあ始めよ、今すぐ」
(了)
2012字