医療従事者の忙しさを思えば
【東京五輪が終わり、開催してよかった、との声が60%を超すとの数字が公表されました。大成功、ともろ手を挙げて喜ぶ人たちもいますね。いったい何が良かったのでしょう。メダルの数。国際交流。一体感。そして】
知る人「東京五輪が成功裡に終わったと信じている幸せ者の心境は、たぶん次の四点であろう。
1)五輪もコロナとの闘いの一コマである。
2)感染リスクを冒してでも、世界平和の祭典を日本で開催する意味はあった。日本として責任を果たせた。
3)そもそも、五輪開催と感染拡大の因果関係は立証されていないし、できない。感染拡大を五輪のせいにするな。
4)何があろうと、スポーツは別物。この感動を成功と言わず、何と言うのか。
…まあ、こんなところであろうな」
問う人「あの、思うんですけど、どんな議論や主張にしても、いちばん大事なことが抜けてる気がするんですね。医療従事者の立場というものが」
知る人「その通りだな。最近よく聞くのが、『感染は増えても、死者は減っている。騒ぎ過ぎだ』というものだ。これほど無責任な発言はないと言ってよかろうね。なぜ無責任と言えるのか。理由は次の四点だ。
㈠ 感染の程度に関係なく、医療従事者の仕事は増える。
㈡ 死者を数で評価すること自体が異常である。今起きているのは、戦争ではない。
㈢ 今後、重篤な患者が急増したらどうするのか。先手を打つのが重要ではないのか。
㈣ 最近の人手増からわかる通り、大丈夫と思えば人はさらに増え、町の密度が上がる。
…四点と言ったがね、とりわけ、㈢と㈣は㈠と密接に関連がある。私がもっとも強調したいのもここだ。医療従事者とは、保健所など、治療以外の現場で深く関わっている人たちも指す。たとえ無症状であったとしても、陽性反応が出た人を放置しておくわけにはいくまい。何らかの措置が必要だ。つまり、感染者が増えれば、関係者はそれだけ忙しくなるというわけだな。入学試験を例に考えてみればわかるであろう。千人が受験した場合、試験の実施に関わった人は、結果がどうであれ、千人分の事務仕事を片付けねばならぬ。不合格者にも、不合格通知を送らねばなるまい」
問う人「感染者の数だけ、仕事が発生するということですよね」
知る人「そう。逼迫した医療現場の様子はテレビや動画サイトでやっているから、知らぬ者はおるまい。死者が一人もいなくても、感染者が一人いれば、彼らの仕事は減らぬのだ。さきほどから感染者のことを言っておるがね、検査結果が陰性であっても、あるいは検査を受けていなくても、不安を感じて病院や診療所を受診する者も多かろう。感染者増は、その周辺の人数も増やしてしまうのだよ。基礎疾患を抱えている人ならば、自分の症状に感染症が加わるとどうなるか、不安に思うであろう。そういった人たちからの問い合わせだけでも、看過できぬ数であるに違いない」
問う人「医療従事者のみなさんは、今の『五輪やってよかった!』という声をどう聞いているのでしょうね」
知る人「まあ、多くは苦々しい心境であろうな。だがね、この先も医療現場の混乱が続けばどうなると思うかね。コロナ以外の患者が我慢せねばならぬというのは、現実に起きている。しかしだな、ことはさらに深刻なのだ。医師・看護師など、私たちが体調を崩したときに助けてくれるはずのプロフェッショナルたちがだよ、疲弊し、憔悴し切って、職務の継続を困難だと言えばどうなる。どんなに安くて品ぞろえ豊富なスーパーや便利なコンビニ、快適なエステサロンがあったとしても、それらはみな、いざというときに助けてくれる医療機関があるから営業できるのではないか。全国の医療機関が一か月休業してみよ。我が国はおそらく、国家の体をなさなくなるであろう。わかるかね。今いちばん苦労しているのは患者ではなく、医療関係者なのだ。彼らのいなくなった日常を想像してみるがいい。ここなのだ、五輪礼賛論者の視点から抜け落ちているのは。そしてこれには、何かにつけて日常を軽視し、どこかに何か楽しいことないかな、つまらぬ日々を忘れさせてくれるものはないかな、と、刹那的に生きることをひたすら煽り続けたテレビなどマスコミの責任が深刻に存在する。毎日コツコツと地道に暮らすことを馬鹿にし、お笑いのネタにして、今さえよければいいという風潮を築きあげてきた彼らの偉大なる成果なのだよ。日常に不可欠な医療機関が破綻寸前であるというのに、その現実をうまく薄めて適当に報道し、五輪の勝者たる位置を不動のものにして、またしても、そう、またしてもだ、難題を先に送ろうとしているのだ。どこかのアホタレントが言った『手のひら返しは日本のお家芸』ではないのだ。我ら日本人のお家芸、いや、いまや伝統芸能の域に達しているかもしれぬ。それはだな、臭いものにフタをして、難題を先送りすることなのだ。NHKの<チコちゃん>ではないが、今こそ全国民に問わねばなるまい。病院も診療所もない街で暮らしたいのか、とね。バカ騒ぎもほどほどにして、現実を直視せねばならぬ。今すぐに」
(了)
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