声に出したくない日本語(4)
【日本語の誤りは、もうずいぶん前から言われていますね。その手の本やWEB上の記事もたくさんあるし。その反面、美しい日本語という主題の本も売れています。まあ、要するにそういうものなのかなあ、と…】
知る人「そういうものか、とは具体的にどういうものなのかね」
問う人「はあ、つまりですね、一方で批判し、もう一方でその対極を礼賛する。二極化しているようでいて、実はしっかりお互いに補完しあっている。これはもう、ひとつの立派な市場だな、と」
知る人「なるほど、面白い考え方だな。確かにそうだ、市場化している」
問う人「なんでも経済事象にしてしまうんですねえ、私たち日本人は」
知る人「そういうことだな。国家的危機も芸人の醜聞も同列に論じ、すべて情報商品として処理されてゆく。これが私たちの国・日本の現状である。実に嘆かわしいね」
問う人「口に出したくない日本語、というのは、まだまだありますよね」
知る人「探せばたくさん出てくるであろうな。今回で4回目だから、そろそろやめようと思っておるのだがね。思い起こせば今から三十数年前、私が関西から首都圏に移った頃だ。当時は食品問屋の営業マンだったのだが、得意先の若手社員がやたらと ”超” という言葉を使うのだな。 ”超売れてる” みたいな言い方だね。今やこれは完全に市民権を得た感があるがね、あの頃は耳についてしかたがなかった。(アホか、こいつらは)と内心思っていたものだよ」
問う人「最近、耳につくものは何がありますか」
知る人「最近でもないんだが、もうかなり前から気になっているのが、 ”ちなみに” だな。言うまでもなく、何かに因んだ話題のときに使う表現だが、まともに使われていることはほとんどない。つい先日、ある動画サイトを見ていたら、やたらと
ちなみにですね、ちなみにですね、…
…と繰り返している。これは明らかに『ついでに言えば』の意味で使用されていた」
問う人「それならそう言えばいいですのにね」
知る人「ひどいのになると、前文のないところからいきなりそう言って会話を始めたりする。いつだったかな、ウチの次女が幼かった頃、ちなみに、を連発していた時期があった。テレビか何かで覚えたのだろう。(ああ、こうやっておかしな言葉の使い方を覚えてゆくんだなあ)と嘆息したものだよ」
問う人「ぼくは『ぶっちゃけ』が大嫌いです」
知る人「同感だな。しばらく前、某有名企業の創業経営者が 『ぶっちゃけ困るんですよね』と平気で口にしていたな。まだ50代の男性だがね。他にも気になってるのは『ワンチャン』だ。何だあれは。王貞治氏のニックネームかと思ったが」
問う人「おもに若者ですよね。30代あたりまではよく使うんじゃないですか」
知る人「本来であれば、いちいち語源を探り、その是非を論ずるところなのだがね、正直言ってもうバカバカしくなったよ。現代の日本語というのは、最初に君が提示してくれた通り、しっかり商品化されてしまっている。数千年続く言語文化すら金儲けのネタに変えてしまうのだから、恐ろしい民族だよ、私たちは。評論家的な、かなり無責任な言い方が許されるなら、いずれ我が国は滅びるであろうな。もうすでにその段階に入っている」
問う人「では、無責任ではない、評論家的ではない言い方に直しますと」
知る人「正しい日本語の基準をどこに求めるか、難しい問題だがね、まずは自分の心に、自然な感覚に問うてみることだな、(今の言い方、正しかったのかな)と。まあ、仮に正しくないとしてもだな、(だから何。それがどうした)と開き直る輩が増えている昨今では、あまり意味をなさぬかもしれぬがね。とにかく、現代日本語に違和感を覚えるまともな日本人が、一人でも増えてくれるのを祈るばかりだな」
(了)
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