『好きなこと』って、どんなこと
【好きなことを仕事にする、とか、好きなことしかやらない、とか、近ごろ、 ”好き” がとても強調される傾向にあるように思います。口で言うのは簡単ですが、実際にそれを見出すとなると、困難な人もいるのではありませんか】
知る人「仕事、という言葉が最初に出てきたが、君はどんな仕事をしているのかな」
問う人「海外の食料品の営業をやっています。大卒で入社して、来年で丸8年になります」
知る人「冒頭の如き問いかけを口にしたところを見ると、君自身、好きなことを仕事にしていないのかな、それとも、自分はそうだが他人は違うのではないか、っていう意見かね」
問う人「はあ、どちらかといえば最初の方ですね。ぼくは衣食住のような、生活に密着した商品やサービスを扱う専門家になろうと考えて、食品輸入商社に入社したんです。でも、まじめにやればやるほど、自分の理想からかけ離れてゆく気がして、最近、何のために働いてるのかがわからなくなってきました。そうなるとよけいに、好きなこと云々、が気になりだして・・・」
知る人「なんせ昨今は小うるさい連中がわんさといるご時世だからな。ネットご意見番などともてはやされて、いい気になっている輩だよ。通勤に時間をかけるのは馬鹿だとか、そんな報われない仕事はさっさとやめろ、等々、奴らは言いたい放題だ。パソコンの前に座って、夏は涼しく、冬は暖かい環境でキーボードをかちゃかちゃやっていれば銭が転がり込んでくるような人種どもは、いっしょうけんめいに汗をかく、というのを何よりも嫌う。もはや時代は変わったと信じ込んでいるのであろうな」
問う人「はあ、でも、確かに、時代は変わったのではありませんか。20世紀にインターネットはなかったでしょう」
知る人「まあ、おおげさに考えることはあるまい。その昔、T型フォードが登場した時と、本質は似たようなものだからな。文明の急速なる進歩によって、いろんな可能性が一挙に開花したかのように思い込む。が、その実、強力な流れに乗せられただけで、選択肢が増えたわけではなかった。常に他人の暮らしをうかがい、他人に合わせなければならず、自分だけ遅れている、と思うといてもたってもいられなくなる。強力なる何かに大衆がどっと群がる、という構図は、いつの時代も変わりはせぬ」
問う人「はあ、でも、それと、好きなことと、どう関係してくるのでしょうか」
知る人「皆が同じ方を向いていれば、自分だけ別方向にすすむのは難しくなる。AIを見てもわかるように、作業だけではなく、ものを考えるということ=思考までもが、文明の利器がとってかわるようになってきている。かつて、洗濯機や冷蔵庫、電子レンジなどが次々と開発されたとき、これで主婦の家事が楽になり、女性の社会進出が促されると期待された。だが、今の時代の便利さというものは、家電とは大きく違う。開発した私たち自身、(ここまで便利になる必要があるのか)と疑念を抱いている。でも、開発が始まればもう止まらぬ。行きつくところまで行くであろうな。何が言いたいかといえばだな、こうして時代の基調が決められてゆくと、君の言う ”好き” も決められてゆくのだよ。インターネット、AI、ゲーム等々。手間を省いて楽ができる<何か>か、或いはそれと好対照をなす静的な落ち着いたものか。まあ、スポーツや芸能・芸術などは別だよ、これらは特別な才能が必要だからね。一般人にもできる ”好き” は、時代の大きな流れの周辺に集中する。多くの人々が、これこそ自分に最も向いてるんだ、と信じ込む。が、冷静に考えて見よ。これをやっているときの自分が、一番生き生きしている。そう言える瞬間は、楽なこと、楽しいことをやっているときと同じとは限らぬのだ。ゲームほどおもしろくはないけど、これに取り組んでいるときの自分が、いちばん自分らしい。そのような、自分の中にある<核>または<芯>と呼べるものを、いかにして見出すか」
問う人「楽なこと=好きなことではない、と」
知る人「人に楽させるのは、商売人や実業家の仕事だ。それに乗せられた立場がいわゆる<消費者>だな。多くの場合、『ぼくは○○が好きです』と言っている、その『○○』は、商人たちが整備した道を歩くことに過ぎぬ。<好き>を仕事にするというのは、これを否定したら自分がいなくなる、自分はただの一消費者になってしまう、と思わざるを得なくなるもの、そんなおのれの芯を思い切って抜き取って、磨きをかけることなのだよ。仮に、それが市場性に乏しく、メシのタネになり辛いものだったとしても、それがその人の<好き>なのだから、死ぬまで守り通すしかない。メシのタネなど、贅沢を言わなければ、そこら中に転がっておるであろうが。消費社会、そしてそれの根幹となる市場主義にとらわれ過ぎて、おのれの本質がみえなくなっている人の、何と多いことよ。よいか、何があろうと、メシは食わねばならぬ。だが、おのれの芯が育っていなければ、何を食っても、どんな仕事をしても、決して身につかぬ。君は商品・サービスを購入するように作られた購買機械ではない。意志を持った人間なのだ。時代という言葉に惑わされるな。世がどうあろうと、おのれの素顔と向き合う努力を怠らぬことだ。そうしていれば、他人だけが生き生きしているような、自分の周りだけが輝いているような、強迫観念にも似た劣等感を抱くこともなくなるだろう。じっくりとわが胸に手を当て、自分らしい瞬間とはどんなときか、落ち着いて考えなさい。そうして、それと今の現実との折り合いをどうつけるか、ひとつひとつ順序だてて、自分の思考回路にのせてみることだな。いずれ必ず、日常の光景が、今までと違って見えるようになるであろう。そのときこそ、君の決断のときなのだよ」
(了)
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