読む・考える。そして書く
【還暦を過ぎた老人介護職員です。毎日がむなしく過ぎてゆき、生きがいも何も見出せません。いい年して恥ずかしい、とも思うのですが、人生百年と言われる時代、まだまだ生きねばならないかと考えると・・・】
知る人「介護職を始めて、どのくらいになるのかね」
問う人「もうすぐ丸6年になります。55歳から始めました」
知る人「その前は何を」
問う人「下着の製造販売の会社にいたのですが、営業成績が悪くて物流部に飛ばされて、その後、物流部自体が外部の企業に委託されることになったために、居場所がなくなって、退職を余儀なくされた、というわけです」
知る人「よくある話だな。企業にいた頃から、介護には関心を持っていたのかな」
問う人「全然。ただ、いろいろ調べてゆくうちに、介護業界は50代の未経験者でも受け入れてくれそうだとわかり、資格の学校に通って勉強して、老人保健施設に入りました」
知る人「今もそこに勤めているのかね」
問う人「いえ、いくつか変わって、今は有料老人ホームにいます。2年前に介護福祉士試験に合格して、今年はじめには認知症ケア専門士も取得しました」
知る人「前向きだな。じつにけっこうではないか。現在のような心境になったのは、いつごろからなのだろうね」
問う人「はっきりと、この時から、とは言えないのですが、いや、やっぱり、還暦を過ぎたあたりからかな。4月に60歳になったんですけど、たぶん、そこら辺からおかしくなった気がします」
知る人「20世紀の価値観は、その多くが崩壊した。還暦というのも、単なる時間的区切りに過ぎぬ。私たち現代人にとって、自分探しの旅は長いのだよ。60過ぎてなお悩み続けているのは、君だけではない」
問う人「はあ、でも、同類がいるからって、気休めにはならないですね。なんとかしたいです」
知る人「生きがいも何も、ということだが、仕事を変えれば何とかなりそうな問題だと思うかね」
問う人「思いません。第一、いくら門戸の広い介護業界とはいえ、この年でいい職場を求めてふらふらするわけにはいかないですよ。わたしには妻と娘二人いるのですが、晩婚だったので、まだ二人とも受験生なんです」
知る人「私が若い頃、転職関連の書籍に<青い鳥症候群>というのが説明されていた。幸せの青い鳥を求めてさまようチルチルミチルの如く、自分に合った職場を見つけようと渡り歩くことだ。この本を読んでから30年以上経過したが、いまや状況はさらにひどくなっている。 ”さまよう” ことすらしない者が増えているのだからな」
問う人「はあ、何だか、絶望的な方向に話がすすんでいる気が・・・」
知る人「案ずるな。当サイトは、無責任な言いっぱなしの場ではない。必ず前向きなオチを導くから安心しなさい」
問う人「はあ、そうですか」
知る人「介護職を始めたときからそういう心境だったのかね」
問う人「とんでもない。最初はもう感謝感激の連続でしたよ。なんせ、トイレにお連れしただけで『ありがとうありがとう』って喜ばれて、まあ、かなりきつい仕事ではありますけど、手ごたえ充分、やりがいの塊みたいな仕事でした」
知る人「それがなぜ今のようになったのかな」
問う人「だんだん、この職種の専門性に疑問を抱くようになったんです。なんぜ日常生活支援が基本ですから、守備範囲が広いんですね。でも、そのほとんどが、いわゆるお手伝いさん業務の延長か、看護師などの医療系専門職の助手みたいな性質のものばかりで、自分は○○のプロです、と胸を張って言えないんです」
知る人「介護保険が導入されるはるか前、介護職は<寮母さん>と呼ばれていた。文字通り、女性の役割の延長上にあったのだな。子育てが一段落した主婦などが、その中心だった。介護保険制度が始まって20年以上過ぎたが、介護士がほんとうに<士>と呼ばれるにふさわしいのか、疑念を抱きつつ働いている人は多かろうね」
問う人「とにかく毎日忙しいんです。それはもう、異常なくらいに。それだけによけい、一日が終わったあとの脱力感・無力感は強烈ですよ。(ああ、きょうもまた、ただ忙しいだけの、無意味な一日だった・・・)と」
知る人「そう感じる原因は何だと思うね。忙しさかな、それとも」
問う人「ううん、難しいですね。まあ、忙しすぎるってのも、おそらく原因の一つだろうとは思います。でも、じゃあ、もっと楽になれば生きがいが見出せるのか、と考えると、どうもそうじゃない気がして」
知る人「最初の頃に君が感じた感謝感激の気分は、おそらく、企業の仕事と違い、相手が目の前にいるという新鮮さから来たものであろうな。商売でも、お客さんに直接商品を手渡してすぐ声が聞けるのと、得意先の倉庫に収めて売り上げを上げただけ、というのとでは、商売のやりがいの感じ方が違うからね」
問う人「そうですよね。でも、それだけじゃなくて、いちばんは専門性の不透明さからきてるんじゃないか、と」
知る人「介護の現場というのは、<女性の職場>だとの声も聞くことがある。この点について、君はどう感じるかね」
問う人「同感ですね。人数の問題ではなくて、どうもそういった空気を感じますよ」
知る人「意地悪な女性職員もいるだろう」
問う人「いますいます。今までに4施設経験しましたけど、どこにも必ずいました。いじめ倒されてやめてった男性もいましたね」
知る人「組織としての機能もまだまだ低いし、非効率な作業が幅を利かせている不思議な世界でもある。そんな中で6年か。よくやっているじゃないか。向いてなければ、まあ、三か月ももつまい」
問う人「ええ、それは最初に先輩から言われましたね。『三か月できれば、三年できるよ』って。確かにその通りと実感したんですが、でも、深く考えれば考えるほど、やりがいが後退してゆくんです」
知る人「なるほど。ところで、君には特技と言えるものが何かあるかな」
問う人「ううん、特技ってほどじゃないですけど、文章を書くのは好きですね。本を読むのも」
知る人「どんな分野のものを読むのかな」
問う人「小説はあまり読まないですね。介護を始めてからは、発達心理学とか、家政学なんかに関心が向いています」
知る人「読み書きが好きな人というのは、例外なく、考えることが大好きな人だ。君もそうだね」
問う人「はあ、確かに。でも、読んでも書いても、考えても、何の役にも立ちません。メシのタネにはならないですから」
知る人「メシのタネにならない、ではなく、メシのタネにしようとの努力・工夫をしていないからだ。ここまで話を聞いてわかったが、君は私的な体験の中に客観性を見出す勘どころをつかんでいる。また、何でも他人のせいにする輩とは正反対の、何でも自分の責任としてとらえてしまう。狭い体験の中からでも、広く深い普遍性の芽を見つけ、それを育ててゆく力が、たぶん君にはあるだろう」
問う人「そんなふうに考えたことは、一度もないです・・・」
知る人「確かにメシは食えぬ。だが、不毛の21世紀世界にとって、君は稀有な存在である。すぐ役立つことは書けぬであろうが、常にものごとの源流に立ち返り、根本的原因や原理を探ってゆくことにかけて、君ほど適した人材はめったにおらぬと言ってよい。よいか、すぐ使えるものは、すぐ使えなくなるのだ。世のさまざまな商品・サービスを見よ。栄枯盛衰の、何と激しいことか。人間も同じである。君は21世紀の日本と世界にとって、ぜひとも必要な人物になれる力を持っている。目の前の煩瑣なる業務に流されることなく、常にものごとの核となる現象から目をそらさぬことだ。本質を見抜く目を養うのだ。もう還暦だから、などと遠慮してはならぬ。そとヅラしか見えぬ阿呆が充満した我が国において、的確に本質を見据え、それを正しくわかりやすい言葉で表現できる人間こそ、この混迷の時代を支える本物の指導者だ。自己を卑下せず、わが身とわが人生史を、高く評価するのだ。遠慮したら負けだ。自分の才能が世に必要不可欠なものである、という信念を持つのだ」
(了)
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