AI使用作品、芥川賞受賞す

【表題の通り、AIを使った作品が芥川賞を受賞しました。この異常な事態をどう考えたらいいのでしょうか。本来なら『総理大臣とは、何者か』の続きを書くはずなのですが、急遽予定変更し、AI時代の文学について論じてみたいと思います】

*なお、この問題については、姉妹サイト【破壊の為の小道具】の中でも論じられています。そちらもぜひお読みください。

 

 

知る人「ここ数年の動きを見ていれば、こうなることはじゅうぶん予測できたね」

問う人「そうですよね。人工知能の方が良い仕事をする、っていう報道がさかんになされてましたから、小説の執筆だって、そうなるものなんでしょうね」

知る人「ことは文芸だけの問題に非ず、と、対象を拡大して議論することは可能だ。また、そうせねばならぬほど重要な難題とも言えよう。だが、今回についてはだな、まずは文芸だけに限定して考えてみたいのだ。今はまだAI時代の幕が開いたばかりだからね、未経験の分野を総論的に語るのは危険なのだよ、いろんな意味でね」

問う人「では、このたびの芥川賞を受賞した作品に限って考えてみましょうか」

知る人「最初に断っておかねばならぬのは、第一報をもとにこの話をしている、という点だね。審査委員諸氏の考えもわからぬうちに議論するわけだから、全貌が明らかになれば、かなり修正せねばならぬかもしれぬ。だが、当サイトの方針として、誤字脱字以外の修正は一切せぬからな、勘違いや誤認識が出てきても、お許しいただきたいものだがね」

問う人「どうせ誰も読んでないんだから、気にしなくていいんじゃありませんか」

知る人「どうせ、という言い方が気になるところだが、まあよい、先に進もう。芥川賞というのは、新人の純文学作品に与えられる賞だね。純文学とは何か、などと議論していては先に進めぬから、まあ、三島・川端・谷崎を代表とする文芸分野だと言っておこう。そこにだな、よりによって、生成AIを5%も使った文章の作品が選ばれた。おそらく当人は、電子辞書みたいなものだと思っているであろう。何が悪いのか、と逆に問われるかもしれぬ」

問う人「そうなんですよね。確かに、電子辞書との間の線引きも難しいって気がします。辞書だってどんどん進化しますものね」

知る人「そうだな。だが、いわゆる<字引>としての用途ではなく、辞書が提示する例文を拝借したのであれば、この時点ですでに純然たる自作品とは言えぬ。ましてや、人工知能の力を借りたとなれば、AI某との共作です、と言うべきであろうな」

問う人「でも受賞してしまいました。審査委員や、主催者の文藝春秋社はどう考えてるんでしょうね」

知る人「肯定的にとらえているのは間違いなかろうね。世の流れを見よ、いずれは文芸の世界もAIとの共存を迫られるのだ、だから芥川賞が率先してその時代を開いてゆくのだ・・・という具合にだな、新時代への対応を余儀なくされる前に、積極的に取り込んでいこうとの判断ではないかな」

問う人「それは理解できますよ。でも、商売とは一線を画す分野でしょう、文芸っていうのは。確かに、雑誌に載ったり、本になったりすれば、いわゆる ”商品” ですよね。でも、文芸の根源である作家自身が商品化に手を染めるのはどうでしょうか。何かが間違ってる気がします」

知る人「自作が商品化され、市場で売買されるのをよしとしなかった物書きはたくさんいただろうな。ホーソーンの文名が上がった頃は、ちょうど出版物の商品化が進んでゆく時代だった」

問う人「 『緋文字』 の作者ですよね」

知る人「そう。彼は純粋に芸術を追求したかったんだな。同時代の人、例えば宗教家のR.W.エマーソンなども、そんなホーソーンに理解を示していた。だから、商品化される自作に対して、苦々しい思いをしていたのだ。でも、市場化という大波には逆らえぬ。今回のことも、文明の進歩という視点で考えれば、逆らえぬことであろう」

問う人「でも、ことは文芸の命としての<ことば>の問題ですから」

知る人「そうなんだな。まあ、さらに技術が進めば、どれがAIでどれが筆者の自作か、見分けもつかなくなるであろう。そうなればもう、自己申告以外に選別の方法はない。が、どうなろうとも、文芸とは言葉の芸術なのだ。作家の感性だけで書かれた文章を評価するのが当然であろう。5%ぐらいは、などと、程度の問題ではないのだ。文芸とは、純然たる<人>のいとなみだ。人が人たる所以は、自分の言葉を持つか否か、ただここだけにかかっていると言ってもよかろう。それを機械に頼り、そしてその作品に純文学としての最高の評価を与える。言語道断の暴挙と言わねばならぬ。いつかそんな時代が来るのだから、今やっておこうというのか。時代は変わったのだ、と世間に示したいのか。真の動機はわからぬが、先人たちが必死で築き上げた文芸の世界を、出版社が先頭に立って、一瞬で瓦解させてしまうつもりなのか。ここには、古いものすべて時代遅れ、という、わが日本人の悪しき時代認識が横たわっている。廃仏毀釈の歴史を思い出してみよ。いいも悪いもみな廃棄してしまう。このたびのAI作品受賞は、われら日本人の審美眼を崩壊させることにもつながるであろう。古くても、手間がかかっても、守らねばならぬものはあるのだよ。右だと思ったらすぐ左へ。われら日本人の悪しき習性が、ここにも出ておる。しかたない、ではないのだ。どう時代が移ろうとも、芸術は不滅である。神をも恐れぬ愚行と言わねばなるまい」

(了)

2246字

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