<日本人ファースト>という奇妙な日本語について

【参政党が存在感を増している。彼らの公約を象徴する言葉<日本人ファースト>は、いったい何を意味し、彼らは何を目指しているのだろうか。社会の閉塞感を巧みに利用したその手法について考えてみたい】

 

 

知る人「何かにつけて目立つ発言の多い人だからな、神谷という人物は」

問う人「参院選が終わっても、積極的にメディアへの露出を続けていますよね」

知る人「ニュースとして扱いやすい政党だからな。話題性があれば、マスコミは何でも取り上げて記事にしてしまうからね。まあ、当分続くであろうな」

問う人「日本人ファーストという表現は、例の ”都民ファースト” から拝借したのでしょうけど、今やすっかり定着した感がありますね」

知る人「耳障りのいい言葉なんだろうな。八方塞がりで、いったいどうすればいいんだ・・・ともがき苦しんでいた若年層の心をとらえた。支持層をさらに広げるためにも、この言葉はますます多用されるだろうね」

問う人「かなり露骨な右旋回に見えるのですが、支持者たちはどう考えているんでしょうね」

知る人「先日ようやくまとまった日米の関税交渉の結果を見ればわかる通り、わが国はもはや独立国とは言えぬ状態にある。二等国、三等国に成り下がるのではないか、否、すでにそうなっているのではないか。こういった不安な思いを吸い上げるのに、<日本人ファースト>は象徴的に機能する言葉なのだな。裏返せばこれは、われらの自信の無さ、先の見えぬ不安心理を露呈したと言ってよかろう。考えてもみよ。ここは日本で、われらは日本人なのだ。何をするにもわれらが優先なのは当たり前ではないかね。それをわざわざ公約の筆頭に掲げたということはだな、多くの日本人の不安げな視線がここに収斂してゆくと踏んだのだよ」

問う人「なるほど。なんのかんの言っても、結局みんなここに注目するんだ、みんなが必要としている姿勢・思考の礎はこれなんだ、と」

知る人「さよう。うさんくさそうな目で見ていたり、冷めた視線を向けたりしている有権者たちも、内心は若年層同様の不安や不満を抱えているからね。ここはぼくらの祖国なんだ、と高らかに叫ぶことで、有権者の中にくすぶり続けていたもやもやは、排他的愛国心または偏狭かつ狭量なる民族愛に変換されていったわけだ」

問う人「自らを多数派と再認識すれば、居心地はよくなるでしょうね」

知る人「そうだね。だが、さきほど述べたように、これはわれらの自信の無さの表れなのだ。日本で堂々たる振る舞いができなければ、われら日本人は、いったいどこでわが物顔に生きればよいのだね。そうだろう。自国にいてさえ異民族の顔色をうかがい、滑稽な忖度をし続けて、それが博愛主義だと勘違いしているのだよ。例えばクルド人をみよ。彼らはトルコ国内でさえ少数民族だ。クルド人問題は、建国の父・ケマルパシャですら手を焼いた難問だった。そのような人々がだな、日本にいるからといって、何を騒ぐ必要があるのかね。彼らは落ち着いて定住する場がない気の毒な民族なのだよ。救いの手を差し伸べてあげればいいではないか。出ていけだのと叫んでいる連中は、少数民族が怖いのだな。情ない話ではないか」

問う人「どっしり構えていろ、騒ぐに値せず、ってことですね」

「そう。だがね、支持層の皆さん方に言っておきたいのだが、スパイ防止法案に対する姿勢からも明らかなように、彼ら参政党の目指すところは、日本人にとって暮らしやすい国ではない。日本の為政者にとって統治しやすい国、支配しやすい国なのだ。いざというときには右向け右、国民一斉に国家に従う全体主義的な日本国が、彼らの理想なのだ。ここにはやく気付いていただきたいのだよ。参政党に権力を握らせたら、間違いなく窮屈で暮らしにくい国になる」

(了)

1542字

 

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