芸術は高級、世俗は低級

【ロックバンド<エアロスミス>のスティーブン・タイラーの言葉】

人生は短い。規則は守るな、許しは速やかに、キスはゆっくりと、愛はマジメに、笑いは我慢するな、最後に微笑むことができればそれでいい。

出典:大森庸雄『生きてるぜ!ロックスターの健康長寿力』PHP研究所 2016年刊

 

 

悩む人 「すいません。婚約破棄だなんて言葉だけではおわかりにならなかったでしょう。ただ、どう書いても誤解されそうで、とりあえずお会いしてからと思いまして」

由紀夫 「追い詰められていらっしゃるということはわかりました。詳しくお話いただきましょうか」

悩む人 「1年交際して婚約して、式場を二人で探し始める段階まで進んでいるのです。ところが、趣味というか、嗜好というか、些細な点に過ぎないはずのことが、僕たちの間の妨げになってしまいました」

由紀夫 「それが音楽のことなのですね」

悩む人 「ええ。僕が1970年代のロック・ミュージックに心酔しているのを、彼女は知っていました。いつも、へえ、そういうのがあるの、という感じで、好意を持って話を聞いてくれていました。CDを貸すというところまではいかず、とりあえず、趣味として理解してくれていたんです」

由紀夫 「態度が急変した直接のきっかけは何だったのですか」

悩む人 「僕が教えたロックバンドの中で、彼女は<ザ・フー>の名前だけ覚えていたんです。短くて覚えやすかったのでしょう。2週間ばかり前、彼女は自宅でふとその名前を思い出して、どんな音楽なんだろう、と興味を抱き、動画で検索したんですね」

由紀夫 「youtubeですね」

悩む人 「ええ。彼女が見たのは、おそらく1960年代のライブ映像だと思うのですが、とにかく、音が鳴り始めた瞬間、強烈な嫌悪感が全身を貫いて、すぐ画面を閉じたそうです。その3日後に僕と会ったんですけど、その時、こう言われたんです。

ああいうの、アタシの前では絶対聴かないって約束して。お願いだから。

・・・言うのが辛そうでしたから、彼女も悩んだのかもしれません。僕もショックでした」

由紀夫 「フィアンセの方は、看護師さんですよね」

悩む人 「今はそうなんですけど、5歳の頃からピアノを習っていて、将来は自宅をピアノ教室にしたいっていう夢を持っています。とても素晴らしいと僕も思いまして、いつかそうしようねって語り合いました。僕は簿記が得意で、ある企業の経理課で働いていますから、ピアノ教室を運営するなら僕が経理を担当させてもらうよって言うと、彼女、すごく嬉しそうで」

由紀夫 「フィアンセのお好きな音楽は、つまり、クラシックということですね」

悩む人 「はい。ギロックの小品からショパンの長大な楽曲に至るまで、ピアノを基調とした曲を何より愛してやまない人ですが、音楽だけではなく、芸術全般が好きでして」

由紀夫 「ロックは音楽として認められないと」

悩む人 「刹那的な風俗の一種で、通り過ぎるのを待つしかない暴風みたいなものだって。僕といっしょに暮らすことは、家中の窓を全て開放して暴風の侵入を待つようなもの、と考えているのかもしれません」

由紀夫 「かもしれないということは、あなたがそう推測されているんですよね。フィアンセご自身のお言葉ではありませんね」

悩む人 「この話題は避けていますから、彼女の本心は確かめていないですが、ロックを否定しているのは態度でわかります」

由紀夫 「婚約解消という最悪の可能性が心に浮かんだということは、あなたにとってロック音楽はとても大切なものなのですね」

悩む人 「彼女とクラシック音楽が不可分な関係にあるのと同じぐらい、僕とロック音楽は分かちがたく結ばれています。ロックの否定は、僕自身の否定と同じ意味なんです」

由紀夫 「フィアンセにもそうお話になったのですか」

悩む人 「こんなこと、怖くてとても口にはできません。誰かの歌にありましたよね。すべてなくした、でも言わずにはいられなかった、って。そうならないよう、今はただ黙っています」

由紀夫 「大瀧詠一の作品ですね。でも、今のあなたの方が状況は難しい」

悩む人 「僕は、クラシック音楽を愛する彼女の姿勢というか生き方というか、とても好感を抱いています。ステキな趣味を持つ女性といっしょになれるなんて、自分はこの上もなく幸せな男だなあって」

由紀夫「あなたはクラシックを認めている。フィアンセはロックを認めない。今の正直なお気持ちとしては、フィアンセを捨てるかロックを捨てるか、という究極的二択を迫られている、といったところでしょうか」

悩む人 「おっしゃる通りです。僕は彼女もロックも捨てたくない。たかが趣味と人は思うでしょうが、自分の全身の血肉にまで染み渡った状態は、趣味とは次元が違うんです。でも彼女は理解してくれそうにありません」

由紀夫 「あなたにとってのロックがフィアンセにとってのクラシックと同等、という理解を得るには、ある程度の時間が必要です。しかし、そこまで婚約状態を維持できるかとなると、私にも自信はありません。式場選びの段階まで進んでいるのですから、ここで足踏みするのはお互いにイヤでしょう」

悩む人 「でも、スカッと解消できる特効薬はなさそうですね」

由紀夫 「じわじわ効いてくる漢方の力を借りるのが現実的ですね。ハッピーエンドに至る道筋を探し当てるのが私の役割ですから、ここからは具体的に検討していきましょう。結論としては、お互いの好みを尊重し合える夫婦になる、という一点に尽きますね」

悩む人 「そうなれば、何も言うことはないです」

由紀夫 「あなたがよくお聴きになるのは、どんなミュージシャンですか。主な人たちを挙げていただきたいのですが」

悩む人 「ザ・フー、レッド・ツェッペリン、ゲス・フー、フリー、フォーカス、Tレックス、レーナード・スキナード、ZZトップ、セックス・ピストルズ」

由紀夫 「ありがとうございます、その辺でけっこうですよ。悩みを吹き飛ばしてくれそうな、ストレートな方々を好まれるのですね。今挙げた中に古典音楽との共通項を探すのは、逗子の浜辺でコンタクトレンズを拾うより難しいかもしれません」

悩む人 「15歳の時から聴いてますので、人生の半分を伴にしてきました。フォーカスの『悪魔の呪文』を初めて聴いた時の衝撃は、たぶん生涯忘れないと思います」

由紀夫 「好きなものは好きですからね。理由を問われても困るものです。しかし、その裏返しとして、嫌いなものは嫌い、という意見も成り立ちますよね。フィアンセの場合がこれでしょう。おそらく、じわりと不快感が意識を侵食していったのではなく、生理的な反応だと考えられます。大小便などの不浄なものの話題を嫌がるのと、ほぼ同じ瞬間的な反射ですね。これは理屈の入り込む余地のない意識の世界ですから、理解を求めるのは無理というものです」

悩む人 「そうでしょう。これは逆の意味で踏み絵を強制するようなものですものね」

由紀夫 「踏まずに跨いで通ってもらう方法を考えましょうか。要点は2つです。

要点1)フィアンセがyoutubeで遭遇したのは、ロック音楽のごく一部に過ぎない。

要点2)ロック音楽は、古典音楽の下位に納まり得るほど狭い分野ではない。

・・・いかがです。私の言いたいことが何となくおわかりでは」

悩む人 「そうですねえ。1)は確かにおっしゃる通りだと思いますが、2)はどうでしょうか。僕にはそう言い切れる自信がないです、正直申しまして」

由紀夫 「まあまあ、順番にいきましょう。あなたがさきほど名前を挙げたロックバンドの中から、レッド・ツェッペリンを例にとりましょうか。『天国への階段』という歌がありますでしょう」

悩む人 「大好きな曲です。僕の葬式で流してほしいと真面目に思っているぐらいでして」

由紀夫 「ギターをじゃかじゃかかき鳴らすバンドは、ふと別の顔を見せることがありますよね。『天国への階段』はその好例です。静寂を破壊するかの如き派手なナンバーの狭間に、一服の清涼剤みたいな楽曲を織り交ぜていますでしょ。ヘヴィ・メタルの黎明期に活躍したユーライア・ヒープや、有名なところではキッス、エアロスミスなど、意外な面を持つバンドがいます。フィアンセの理解への糸口として、まずはこのあたりを活用してみてはいかがですか」

悩む人 「静かな曲もあるんだよーって感じですか。ううん、どうですかねえ。それって、ほんの一部じゃありませんか。例外を提示して本筋をわかってもらおうというのは、どうも」

由紀夫 「あくまで糸口、導入部としてお考え下さい。次に、ひとくちにロックと言っても、実はさまざまな流れがありますね。ポップ・ミュージックとしての聴きやすさ・ノリの良さを売りにしている人たち、例えばスリードッグナイトやイーグルス、或いはカントリー・ロックとかフォーク・ロックもいいですね。さらに言えば、クラシック音楽の香りを漂わせたものを紹介するのも有力な手です。クラシックとロックの融合を目指していた初期のELO、荘厳で重層的な体系を作り上げたクイーン、オーケストラと共演したピンクフロイド、古典音楽をロック調で再現したEL&P、歌劇風のドラマを演じた前期のジェネシス等々、ロック界の異才たちを聴かせてあげてくださいな。こんなのもあるの、って驚かれるに違いありません。私の好みでは、10CC『パリの一夜』は第一級の芸術品です」

悩む人 「そうですねえ、ひょっとしたら、『ボヘミアン・ラプソディ』や『原子心母』なんか、意外と気に入ってくれるかもなあ」

由紀夫 「そうですそうです、その意気でいろいろ紹介してあげるのですよ」

悩む人 「実はね、彼女、ビートルズだけはCD持ってるんです。まあ、青盤赤盤レベルなんですけどね」

由紀夫 「なんだ、それを先にお教えくださればよかったのに。ビートルズと聞いて、思い出しましたよ。昔、藤子不二雄の『オバケのQ太郎』というアニメを観ていた時です。若い男の子が部屋でビートルズの曲を聴いている、という状況設定でしたね、そこへ父親が入ってきてこう言ったんです。

ブートルズなどという声変わりの豚みたいなものを聴くのはやめなさい。

・・・1960年代後半、ビートルズ全盛の頃ですよ。製作者側の意図はわかりませんが、決してみんなが諸手を上げて賞賛したわけではない、ということが伝わるエピソードでしょ。ああ、フィアンセにはこんな話しちゃダメですよ。ただ、興味のない人にとっては、どんな名曲も雑音か騒音にしか聞こえないということです。ですから角度さえ変えれば、フィアンセがお耳を傾けてくださる可能性もあるわけです」

悩む人 「なあるほど。面白いお話ですね。でも、1)は理解してもらえるとしても、2)はどうですかねえ。やっぱ自信ないです」

由紀夫 「音楽に限らず、絵画でも彫刻でも文学でも、古典芸術と評価されている作品群には、多くの場合、共通してある視点が欠けています。おわかりでしょうか」

悩む人 「ええと、なんでしょうね・・・ダメだ、わかりません」

由紀夫 「<生活>ですよ。<暮らし>と言い換えてもいい。芸術の本質である美しさを重視したことで、日常的わずらわしさ、泥臭さを捨象せざるを得なかったのですね。ここに芸術の弱みがあります。豪華な食卓は芸術の対象になり得ますが、食べ過ぎて腹をこわした人物が絵になるでしょうか。決して描かれますまい。芸術が不要として捨て去ったものの中にこそ、世俗の力強さがしっかり含まれているのです。確かに、真の芸術には時を超えた美しさがあります。しかし、日常を無視して芸術が存在し得ますか。誰にも日々の暮らしがあり、失敗や不満や怒りや笑いがあります。これらがあってこそ、美の世界は成り立つのですからね。つまり、世俗は芸術の下位概念ではなく、並立するものなのですよ。ロック音楽は刹那的で頽廃的だと批難する向きもありましょうが、疲労や不満はその日のうちに解消したいものでしょう。世俗界の代表たるロック音楽は、昨日を今日へ、そして明日へと、日々の活力を次へ次へと渡してゆくエネルギーを秘めた濃厚なエキスです。1日を365回繰り返すことで1年となり、その堆積が人の生涯でしょう。英国のポップ・スターのエルトン・ジョンが最近のインタビューで言ってましたっけ。ポップ・ミュージックというのは、1回聴いてわっと騒いでそれっきり、でもそれでいいんだよって。ミュージシャン経歴半世紀の彼が言うと説得力がありますよね。同じく英国の、やはり芸術的には評価されていない小説家、アラン・シリトーのデビュー作『土曜の夜と日曜の朝』では、週休二日制のなかった時代の、土曜の夜の乱痴気騒ぎが描かれていますが、その中で、主人公である若者、アーサー・シートンのこんな独白が冒頭に出てきます。

だって土曜の夜じゃないか。1週間のうち最高の、いちばん心はずむ陽気な晩。1年365日の重苦しいでかい輪のなかに52回しかない息抜きの晩。どうせぐったり寝て暮す安息の日曜日への狂暴な序曲。

・・・いかがですか。誰しもこのアーサー青年のような心持ちの時があるはずです。フィアンセにももちろんあるでしょう。世俗文化の瞬発力は、どんなに時代が変わろうとも、決して衰えることはないのですよ。そしてここには、美しさ以外を捨象した芸術では果たせない役割があります。<美>だけで私たちの日常は成り立ちません、1日たりとも。それから、怒りでも不満でも諦観でもない、うまく言葉にできないもやもやとしたつかみどころのない、同時に活性酸素のようにやっかいなもの、そんなものを私たちの心から吸い取って地球の外に吐き出してくれる強い味方、それがロック音楽ではないでしょうか」

悩む人 「ありがとうございます。まだ頭が混乱しているのですが、家に帰って、気持ちを整理してみます。そうですよね、芸術は偉大だけど、何よりまずは日々を生きることが大切ですものね」

由紀夫 「ただ生きるのではなく、良く生きる、ですね。あれ、これ誰の言葉だったっけなあ。忘れてしまった」

悩む人 「ソクラテスじゃないですか」

由紀夫 「この際、自分の言葉にしてしまいなさいな」

悩む人 「毒杯をあおぐのはごめんですよ」

由紀夫 「ロックは清涼剤。あなたと、そしてフィアンセのね」

悩む人 「彼女と2人でロック杯をあおぎますよ」

由紀夫 「ご成功を」

(了)

 

 

 

 

 

Follow me!

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

前の記事

仕事が趣味でナゼ悪い

次の記事

飲酒 vs. 喫煙