読書=娯楽、ではダメなのでしょうか・・・
【読書の意義について、文科省の見解】
読書することは、「考える力」「感じる力」「表す力」等を育てるとともに、豊かな情操をはぐくみ、すべての活動の基盤となる「価値・教養・感性等」を生涯を通じて涵養していく上でも、極めて重要である。また、特に、変化の激しい現代社会の中、自らの責任で主体的に判断を行いながら自立して生きていくためには、必要な情報を収集し、取捨選択する能力を、誰もが身に付けていかなければならない。すなわち、これからの時代において、読み・調べることの意義は、増すことはあっても決して減ることはない。
出典:文科省公式ウェブサイト
由紀夫 「高校1年の息子さんに読書をやめさせたいとのことですが、よほど有害な思想か何かに取り付かれてらっしゃるのですか」
悩む人 「いえ、そうじゃないんです。だいたい、海外の文豪の小説を学校の図書室で借りてきてまして」
由紀夫 「最近は何をお読みなのですか」
悩む人 「トーマス・マンの『ヨセフとその兄弟』というものです。食卓の上に置いてありましたので、少し読んでみたんですけど、最初の1ページでもうわけがわからなくて。難しそうな本だねって言ったら、母さんには無理だよって不機嫌そうに呟いてました」
由紀夫 「旧約聖書を題材にした長編ですね。高校生には難解かもしれないですが、やめさせなければならないような内容ではありません。まあ、難しくて途中でやめてしまわれるかもしれませんが、そうなればもっと簡単なものをお選びになるでしょう。母親としてご心配なさる理由をお聞かせくださいませんか」
悩む人 「5年ほど前に夫を亡くしまして、再婚はせずひとり息子を育ててきました。私は独身の頃からずっと市役所の正職員として働いておりますので、定収入があって何とか親子ふたり暮らしていけてます。で、あの、息子なんですが、中学まではスポーツ好きな子でして、日曜なんてほとんど家にいなかったぐらいなんです。ところが、高校に入学して半年ほど過ぎた頃、とてもいい天気の日曜だったんですけど、部屋から出てこないんですね。どこか具合でも悪いのかしら、と気になって部屋を覗くと、机に向かってるんです。あの子にしては珍しい姿だったものですから、何してるの、って尋ねましたところ、今のうちに教養を身に付けとかなきゃダメなんだって申しましてね。固い表紙の分厚い本を学校で借りてきては、土日ずっと部屋に閉じこもるようになったんです。たまに外出するのですが、必ず本を小脇に抱えて出ていくんです。たぶん、スタバかミスドで読んでるんでしょうね」
由紀夫 「そのご様子ですと、何かの影響を受けてらっしゃいますね、息子さんは。読みたいと言うより、読まなければならないという義務感にかられているとお察しいたしますが」
悩む人 「そうなんです。亡くなった夫は読書家ではありませんでしたが、無教養というほどでもなく、まあ、世間並みの人でした。息子の機嫌がいい日にそれとなく尋ねましたところ、体育の教師の影響だったんです。その先生のことは、食事中などに聞かされていましたので、ああ、いい先生がいらっしゃるんだな、ぐらいに思っていたんです。明るく前向きな男性で、話題も豊富で、生徒たちに人気があるようです。その先生がある時、ああ俺は失敗した、と言うので、なぜですかと尋ねると、体を鍛えることにかまけて、読書をしないままオジサンになってしまった、お前たちはまだまだ間に合うから、今のうちに教養を身に付けておけ、後で後悔するぞ、ってさんざん聞かされたそうでして。ポジティブな先生だけに、よけい影響力が強いみたいですね」
由紀夫 「文豪の作品は、その教師の薦めなのですか。それとも息子さんがご自分で」
悩む人 「教師の影響ですね。その先生が子供の頃、自宅に世界名作全集とかいうのがあったらしく、あのうちひとつでも読んでおけば、俺の人生は変わっただろうなんて言ってたそうですので」
由紀夫 「オトナのよくある述懐のたぐいですが、教育者にしては、いささか無防備と申しますか、装飾がなさ過ぎですね。多感な少年には直球だったのでしょう。それ以来、読書に取り付かれたというわけですね」
悩む人 「もう高校生ですので、いつまでも外を走り回るのもどうかと思いますが、少なくとも今の状態は、あの子らしさが全くなくて。進学したての頃は、新しい友達のことや、校庭が広くていいとか、可愛い女の子がいなくてガッカリだとか、自分からいろいろ喋ってくれてたのに、最近は黙々と食事して、さっさと部屋に行ってしまうんです。別に何かさせたいのではなくて、とにかくいつものあの子に戻ってもらいたいんです。でも、ワタシも普段は働いてて、管理職に昇格したものですから、ウチに書類なんかを持ち帰る日もありまして、思うように息子を見てやれないんですね」
由紀夫 「読書をやめさせたいということは、息子さんは、楽しんではいないわけですね」
悩む人 「老師に公案を吹っ掛けられた禅の修行僧みたいな顔になってしまいまして。どう見ても楽しんでない、というか、むしろ苦しんでいる風に見えます。それでですね、ワタシ、言ってみたんです、読書は楽しんだ方がいいのよ、って。そしてら烈火の如く怒りまして、たったひとりの息子が教養を身に付けようと必死になってるんだぞ、応援しろとは言わないけど邪魔するな、って」
由紀夫 「部活は何もなさってないのですね」
悩む人 「ハンドボール部に入ったのですけど、同じ新入生の中で反りが合わなかったらしくて、すぐやめてしまって、その後は帰宅部専従です。別の部に入ろうという気はあったのかもしれないんですけど、おそらくそのタイミングかもしれません、体育教師の話を耳にしてしまったのは」
由紀夫 「さきほどから感じていたのですが、お母さんご自身が読書家なのではございませんか」
悩む人 「とんでもないです。そんな高尚な人間じゃないですから。ただ、若い頃はアガサ・クリスティをよく読んで、今は宮部みゆき専属読者って感じですね。仕事のストレス解消にはちょうどいいものですから」
由紀夫 「宮部さんには外れが少ないですからね。面白さでは群を抜いていますよ。私もたまに読むことがあります」
悩む人 「読書は娯楽なんだって思わせるには、どうすればいいのでしょうか」
由紀夫 「中学の頃は、読書したことはなかったのですか」
悩む人 「図書館にはよく行ってたんです。でも、帰ってきて話すのは、ひとり言を呟いてたら注意されたとか、古そうな本を取る時にホコリを吸い込んでむせたとか、読書以外のことばかりで。おおかた、気休めだったのでしょう。お店と違って無料ですから」
由紀夫 「なるほど。息子さんをスポーツ好きとはじめにおっしゃいましたが、競技に参加しているところは見たことがありますか」
悩む人 「実はほとんどないんです。ただ、帰ってきたら、公園を10周してきたとか、友達とキャッチボールしてたんだとか言うことが多かったですので、夫とふたりで、あの子はスポーツが好きなんだね、って話してました」
由紀夫 「スポーツ観戦のご経験は」
悩む人 「オリンピックは観てましたけど。競技場まで足を運んだことはないです」
由紀夫 「ご主人も奥さんも仕事をお持ちでしたから、息子さんと過ごされる時間は少なかったのではございませんか」
悩む人 「そうですね。夫は完全週休二日制の会社ではありませんでしたし、ワタシも家に書類を持ち帰ることが多くて」
由紀夫 「自宅で仕事をしても、苦にはならないのでしょう」
悩む人 「そうですね。責任感の強い人間ではないのですけど、充実はしてますね」
由紀夫 「よく理解致しました。仕事に向けているお気持ちを、もう少し息子さんに注いであげる必要がありますね。観察、と言うと変に聞こえるかもしれませんが、観察不足ですよ。さまざまな競技を観戦できる場所に住んでいるのにどこへも行ったことがなく、テレビでもオリンピックぐらいしか観ない。外では公園を走る程度。これでスポーツ好きと呼べるなら、日本にスポーツ嫌いはひとりもいないでしょうね。一方、図書館にはよく行ったと。読書か情報収集以外の目的で図書館に行く人はいません。修行僧みたいな顔で本を読んでいるとのことでしたが、それはですね、机に向かうのが嫌なのではなく、単にその本が息子さんに合わなかっただけです。名作として昔から読み継がれている作品の中には、文芸評論家でさえ眠くなるとぼやいてしまうようなものもありますからね。あなたがやるべきことはふたつです。
1)読書=教養、というのは誤りだと気付かせる
2)本の楽しみ方を覚え込ませる
・・・<無教養>と<読書好き>は相反するのではなく両立する、ということをまず教えてあげてください。馬鹿が本を読むのか本を読むから馬鹿なのか、まあ、どちらでもいいのですがね、無教養な読書家が巷にごろごろいる現状を、息子さんは知らないのでしょう。最も身近な母親が実践しているではありませんか、教養を目的としない読書を。無学な百姓が名言を吐いて、大哲学者を唸らせる。本読むのは暇な奴と公言してはばからない経営者に、数千人の社員が心服する。他方、年間数百冊読むと豪語する者が、敬語すら使えない。読んだら捨てると言い放つ<知的死刑囚>が、芸能界には居るそうです。言葉がわかり、視力があれば、本は誰にでも読めますよ。高邁な思想書を理解したフリをしていても、はた目にはわかりません。いわゆる<知識人>なる者が専門用語を駆使する様子にたじろぐ聴衆は、物事の限られた側面だけを聞かされていることには気付いていないのですね。知っていることしか喋らないのですから、話の流れに細工を施せば、百科全書的人物に変身することは可能です。この私でも、池上某の如きモノ知りに早変わりできますよ、何ならやってみせましょうか。賢い節税法からイスラム原理主義や朝鮮半島情勢分析に至るまで、鼓膜が痛むほど、紋切型で言えば、それこそ立て板に水の如く喋り続けられますから。教養というのは、他人の心を正しく理解する力です。人間力と言い換えてもいいでしょう。これは、1万冊読破しても身に付きませんよ。モネの贋作を見破る眼力があっても、芭蕉並みの句を詠めても、平安貴族のように美麗な装いであっても、他人を感じ得る力は全くの別物なのですよ。かつて利休が言ったように、晴れの日に傘を用意する人格者に、息子さんを育ててあげなさい。そして、そうなるには、日々の暮らしを大切にすること、円満な近所付き合いができること、自分以外の全てを興味の対象とすること。これらを繰り返し実践し続けていれば、真の教養人となれるでしょう」
悩む人 「わかりました。うまく言えるかどうか自信ないですけど、自分の言葉にして話します」
由紀夫 「もうひとつ。図書館通いを普通にやっていた息子さんを名作から離すには、お母さんご自身の体験を話せばいいのです。あなたがやっているのは、宮部みゆきさんの作品を活用したストレス解消法であって、賢い読書のひとつです。読んでいる間だけは現実を忘れる。これは現実逃避ではなく、娯楽の王道なのですよ。おそらく息子さんは、このような経験がないのでしょう。宮部さんの中でいちばんのおススメを紹介してあげなさいな」
悩む人 「ワタシは、最近のよりも、『魔術はささやく』なんかの方が好きです」
由紀夫 「最後の最後まで読者を掴んで離さない傑作でしたね、あれも。いいでしょう。長編は苦手だということになれば、星新一さんを読ませれば十分です。大手の書店に行って見てご覧なさい。三島・川端などの大御所に負けないぐらいたくさん並んでいますよ、星さんの作品が。川端氏の『掌の小説』は文芸で、星さんのショート・ショートは俗物だと。言いたい者には言わせておきましょう。警世句のような鋭さ、古典落語にも見られない見事なオチ。名人芸と呼びたい珠玉の傑作群が、書店にも図書館にも置いてあることの幸せを、息子さんに実感させてあげることですね」
悩む人 「そうおっしゃる由紀夫さんこそ、幸せそうじゃございませんか」
由紀夫 「私は星さんを読んで育ちました。結果、文学者にはなれませんでしたが、個性派、いや、曲者かな、とにかく、隣人とは少々異なる人間になりましたよ。星傑作群の後ろ盾あってこそだと思っています。息子さんも、ユニークな何かに支えられた人物になれれば、将来何かやってくれますよ。個性的な人生を歩ませなさい。笑顔でありがとうが言えれば、いつか教養はついてきますから」
悩む人 「ありがとうございます。がんばってみます」
由紀夫 「ほら、いい笑顔。あなたの方が教養人ですよ、私よりも」
悩む人 「息子の笑顔はもっといいですけど」
由紀夫 「負けた」
(了)