便秘を病気とは思わない人に

【私たちは皆、他人の不幸を黙って見ていられるほど強い。・・・ラ・ロシュフーコー】

 

 

悩む人 「夫は便秘歴30年ですから、ワタシたちの夫婦生活歴の倍以上長いんです。困りました」

由紀夫 「慢性の便秘は慢性疾患のひとつだと言えましょうが、確かに、糖尿病などと同類とは思いたくないのでしょうね。お気持ちはよくわかります」

悩む人 「最長記録は何と2週間なんです。その間も食事は1日3回摂ってるんですよ。3×14=42食分をお腹に溜めこむだなんて、さぞ苦しかろうと尋ねましても、意外と平気な顔してたので、こっちがゲンナリしてしまいました」

由紀夫 「医者にかかるのがお嫌いとのことですが、それは便秘だけではなくて、すべての症状でそうなのですか。例えば、風邪で発熱した時とか」

悩む人 「風邪なんてその最たるものです。病気のうちに入らないと申しておりますので。ただ、そう言うからには自分が健康でなければ、という自覚があるのでしょうね、体調管理にはけっこう気を配っている方だと思います。営業職なのでお酒のお付き合いも多いのですけど、飲んだ翌日は必ず休肝日にしてますし」

由紀夫 「食べ物の好き嫌いはございますか」

悩む人 「ないです。ワタシたち、その点は共通しておりまして。旬のサンマは頭から食べてしまいます」

由紀夫 「ほお。背骨を食べる人は知っていますが、頭までとは初めてですね。おふたりともですか」

悩む人 「ええ。似たもの夫婦なのでしょうね」

由紀夫 「似たものを通り越して、同じ人と言ってもいいぐらいですよ。生ゴミが少なくて済みますものね」

悩む人 「そうなんです。生ゴミが・・・あら、ごめんなさい。ダメなんです、ワタシ。こういう話題になるといくらでも喋ってしまいますので」

由紀夫 「失礼しました。では本題に入りましょう。医者嫌いのご主人が便秘に対する病識を持ってくださればいいわけですが、ご主人は全く医療のお世話にはなっていないのですか。つまり、完璧に健康だと」

悩む人 「眼科にだけは年2回ばかり行きます。3年ほど前、夫の右目が不自然に赤いので、失明したらどうするのってワタシが騒ぎましたところ、渋々、近所の眼科クリニックに行ったんです。赤いのはたいしたことではなかったのですけど、その際、目の乾き具合の検査もあったらしく、ドライアイだとわかったんですね。1日4回の点眼を指示されていまして、眼科だけは通ってます」

由紀夫 「眼科医とウマが合ったのでしょうか。それとも何らかの危機感というか」

悩む人 「ワタシが騒いでも、即行ったわけではないんです。まずドラッグストアで目薬を探したんです。ワタシも目はいいので知らなかったんですけど、市販の目薬って高いんですね、カワイイ小瓶なのに。あんな高いの買えないって言うので、じゃあ眼科に行ってよと。ですから、目を気遣ったのではなくて、市販薬より処方薬の方が安いと思って行ったんです」

由紀夫 「経済観念が動機ですか。ということは、便秘についても、処方薬の方が安いという点に思い至るまでにたいした困難はない気もしますが」

悩む人 「ダメです。ウチから徒歩圏内に胃腸科や消化器内科がないんです。内科はひとつあるのですけど、皮膚科と小児科を兼ねているところで、いつ行っても満員御礼で。土曜日なんて、ディズニーシーの方がまだ空いてると言えるぐらい混んでますので、行きたがらないんですね。電車かバスを利用すればひとつ総合病院があるのですけど、交通費を払ってまで行くものかと」

由紀夫 「最長記録というお話がございましたが、普段はどうなのでしょう。排便はどのぐらいの間隔であるのですか」

悩む人 「そうですね、本人が言うには、平均すると中5日ぐらいだと。つまり、月曜にあったら次は日曜ですね」

由紀夫 「薬の効果ではなくて、自然排便でそうなのですね」

悩む人 「ええ。でも、物凄く固い便が出るらしくて、あの、変な話ですけど、お尻が切れてしまうようです。ウチの便器はウォッシュレット仕様なのですけど、水の勢いを最弱にしないと、切れた部分に触れて痛いそうです。便秘のついでに痔も診てもらえばってワタシが言いましたら、かなり気分を害したみたいで、しばらく口きいてくれませんでした」

由紀夫 「今のままですと、痔の方も慢性化してしまいそうですね。ひどくなりますと、椅子に座れなくなりますよ。そういう人用の、便座みたいな形の座布団を買わなければならなくなるかもしれません。それこそ、ご主人の経済観念で言えば余計な出費でしょう。そうなる前に手を打ちたいですね」

悩む人 「痔の場合は、何せ、場所が場所だけに、さらに輪をかけてイヤがります」

由紀夫 「便秘が原因で痔になるのはそう珍しいことではありません。排便の有無にかかわらず、動作の度に不快感を覚えるものですから、痔が慢性化したらどうするの、と騒ぎ立ててお医者に向かわせるしかないのではございませんか」

悩む人 「そう言ってみたんですけど。気持ちもお腹の中もガンコでして」

由紀夫 「奥さんの説得次第だと私は思います。ただ、ちょっと気になりますのは、お医者嫌いの理由ですね。何かきっかけがあったのでは」

悩む人 「義父、つまり夫の父親が大のお医者様嫌いなんです。夫が子どもの頃、風邪をひいてお医者様のところに行ったら、後でとんでもない雷を落とされたのだとか。実際、義父は高齢とは思えないぐらい元気な人でして、この親にしてこの子有り、という感じですね」

由紀夫 「ご主人自身の体験で何かあったということは」

悩む人 「あります。独身の頃の体験談ですけど、ふたつありまして、ひとつはインフルエンザで熱が39度を超して、さすがの彼もまいってしまい、職場近くのクリニックに行ったそうなのですけど、ただの風邪薬を処方されて、40度を超してフラフラになって大変だった、と。あとひとつは、虫歯の治療に行った歯科医院で、高額の自費診療の詰め物をやたらと薦められて辟易した、という話です」

由紀夫 「ありそうなエピソードですね。いずれも、医者嫌いになる動機としては弱いですよ。何か他に思い浮かぶことはございませんか。例えば、お父さんのお父さん、つまりご主人のご祖父さまも実は医者嫌いだったとか」

悩む人 「そうでした。思い出しましたわ。夫のおじいちゃんの、そのまたおじいちゃんまで、代々お医者様嫌いだったそうです。夫が子供の頃、おじいちゃんから聞かされた話で、彼の家はですね、昔はずいぶん貧しかったそうなんですね。お医者様にお支払いするお金が足りなくて、待っていただいたのだとか、安くしていただいたとか、極端な場合は無償で診ていただいたこともあったのだとか」

由紀夫 「よく思い出してくださいました」

悩む人 「そうそう。何で今まで忘れてたかと言いますと、夫が凄く不愉快そうな表情をしたものですから、たぶんイヤな話題なんだろうと思って、忘れてあげなきゃって気を遣ったんです。それからこの話は全くしてませんから」

由紀夫 「よく理解致しました。奥さん、とりあえず、と申しますか、今すぐ実践できることをご提案しておきましょう。便秘は体質を改善しなければ治りません。これは生活習慣を変えるということで、奥さんの協力無しにはできないことです。1年間のプログラムをおふたりで組んで、がんばってみてください。それでもダメなら医者の指導を仰ぐ、とあらかじめ了解を得ておかなければなりませんが。どうです、できますか」

悩む人 「ええ、ワタシはそういうの嫌いじゃありませんので、できると思います。でも、由紀夫さんは何か他にお考えがありそうじゃございませんか」

由紀夫 「そうなんですが、ううん、いや、私の思い過ごしかもしれないのですがね、昔は貧しかったというお話がですね、どうも私にはひっかかるのです。全くの推測ですから、とんでもなく外れと申しますか、見当違いかもしれません」

悩む人 「ワタシは気にしませんので、どうぞお話ください」

由紀夫 「医者嫌いの遺伝子を受け継いでいる、などとデタラメが言いたいのではありません。おじいちゃんのおじいちゃんと言えば、ご主人の5代前ですから、江戸時代の方でしょう。この時期、<医は仁術>という考え方が一般に浸透していたのです。当時は貧しい時代ですから、貧者からはお金をもらわないという姿勢が珍しくなかったようですね。維新を経て時代が進み、開業医制度が発達したことで、医薬分業の必要性が問われるようになります。医者は猛反対。なぜなら、診療費をタダにする代わりに、薬代で生計を立てている医師が多かったのですね。実際、開業医に診てもらえるのは富裕層だったそうです。診療費が払えなくて忸怩たる思いを味わった人々も少なくなかったことでしょう」

悩む人 「つまり、恵んでいただいたという体験を受け継いでいるのではないか、とおっしゃるのでしょうか」

由紀夫 「体験。そう、体験です。語り継がれて、ご主人のおじいちゃんの代で途絶えさせるはずだったこと。それをうっかり孫に話した。もしかしたらその時、つまり、おじいちゃんのおじいちゃんが孫に語ってしまった時、今の話は忘れろ、と言ったかもしれません。その意味もわからず忘れようとした。でも記憶の底に残っていて、同じように、そのまた孫すなわちあなたのご主人に話した。この時、5代前の方と同じように、今のことは忘れなさい、と言われたのではありますまいか。何が言いたいかといえばですね、受け継いだのは、単なる貧困体験談ではなかったのではないか、と」

悩む人 「単なる体験談でなければ、何なのでしょうか」

由紀夫 「目」

悩む人 「目、ですか」

由紀夫 「そう、目です。視線と言い換えた方が妥当かもしれないですがね。慈恵的医療だった江戸時代に、医師から向けられた目。それは、弱者を見る憐みのまなざしです。普段私たちはなかなか気付かないことですが、他人に同情されるほど辛いことはないのです。情けをかけられるのが、弱者の立場からすればいかに屈辱的なことであるか。現代においても、慈善活動家の陥りやすい過ちがこれです。自分を弱者と思いたい弱者はいません。それなのに、多くの活動家が、いわゆる<暖かい目>を向けるのですね。ご主人がご祖父様から受け継いでしまったのは、この<善意の視線>が刺さるとどれほど痛いか、という感覚なのかもしれません。善意の恐さを知っている人は、何より、その人自身がそのような目を他人に向けるのを嫌悪します。ご主人とふたりで外出なさる際、ちょっと気を付けていただきたいことがあります。障害者や腰の曲がった老人など、一般的にみて弱い立場の人がいた場合、それらの人々に、ご主人がどんな視線を向けられるか。反射的に顔をそむけるのではないか、と私は危惧します。もしもそうならば、ご主人の医者嫌いは、善意に対する本能的な拒否反応でしょう。とりわけ最近の医者は偉そうにしていませんから、余計に慈恵的な表情に見えたりします。対処方法としてはですね、対等に話せる医師を探すことです。弱った患者を診てくださる頼もしいお医者様ではなく、職業人対職業人という関係性を保てることが要点だと言えます。恵みの雨を待つ大昔の百姓のような心情を、ご主人の代で断ち切らなければなりません。お子さんはまだ小さいのでしょう」

悩む人 「ええ、4歳の男の子がひとりです」

由紀夫 「その子に善意の恐さが伝わらないよう、今のうちに芽をつんでおく必要があります。息子さんも医者嫌いにならないように」

悩む人 「わかりました。正直言って、由紀夫さんの考え過ぎのような気もするのですけど、とにかくお医者様嫌いは必ず治すようがんばります」

由紀夫 「推測ばかりで失礼しました。実は私自身がその目を・・・ああ、いや、これでは立場が逆になってしまう。今の妄言はお忘れください」

悩む人 「忘れますわ、必ず」

(了)

 

 

 

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