サラリーマン人生、間違いでした

【全体の繁栄と秩序を優先することについて、エピクテトゥスの見解】

「あるものごとがわれわれの本性にかなっているといわれ、他のものごとがそれに反しているといわれるのは、どんな意味においてであるか。それは、われわれが自分自身を、他のすべての事物から分離され切りはなされたものとみなすという、意味においてである。すなわち、そのようにして、つねに清潔であることが足の本性にかなっていると、いわれうるのだ。しかし、もしあなたがそれを一本の足とみなし、身体の他の部分から切りはなされたあるものとみなさないならば、ときには汚物のなかにふみこみ、ときにはとげをふみつけたり、そして、ときには身体全部のために切りとられることもまた、それの義務であるにちがいない。もしそれが、このことを拒否するならば、それはもはや、一本の足ではない。われわれは、自分自身にかんして考えるのもまた、このようにすべきである。あなたはなにものか。ひとりの人間である。もしあなたがあなた自身を、分離され切りはなされた、あるものとみなすならば、年をとるまで生き、富裕であり、健康であることは、あなたの本性にとって快適なことである。しかし、もしあなたが、あなた自身を、ひとりの人間でありひとつの全体の一部分であるとみなすならば、その全体を理由として、ときには病気になること、ときには航海の不便にさらされること、ときには困窮すること、そして最後に、おそらく早死することが、あなたの義務となるだろう。そのばあいに、あなたはなぜ不平をいうのか。あなたは、そうすることによって、足が一本の足であることをやめるように、あなたがひとりの人間であることをやめるのだということを、知らないのか」

出典:アダム・スミス『道徳感情論(下巻)』水田洋訳 岩波文庫 2003年

 

 

由紀夫 「営業本部長になって12年目ですよね。いまさら過去30年のサラリーマン生活を後悔しても遅いですし、意味のないことでしょう。不惑の歳をとうに越えた男性の言葉にしては、いささか」

悩む人 「由紀夫さんは優しい方と伺っていましたが」

由紀夫 「相手によりますよ。あなたはもう海千山千のベテランだ。必要に応じて、言葉の角をとって丸くしたり、平べったくしたりして加工を施しながら聞くのは、お手のものではありませんか」

悩む人 「遅いと分かっていて後々まで悔やむのを、後悔と言うのでしょう。悶々とした気持ちを導いていただけるのが、この<懊悩>カテゴリーの役割ではございますまいか」

由紀夫 「その説得力ある言葉を、なぜ息子さんに向けられないのでしょう」

悩む人 「向けたつもりでいたのですが、当人はそう感じていなかったようです。ハタチになったばかりの息子は、少年の頃からギリシャ哲学に親しみ、大学は哲学科を選びました。集団生活に適応し辛い自分をよく理解している、このまま研究者にでもなってくれれば、と期待していたのです」

由紀夫 「それが急に実業家になるだのと言いだして、ついに自由人たることの証としてひとり旅に出てしまったと。サラリーマンという立場を嫌悪し侮蔑さえしているようですね。しかしそれは、父親たるあなたの責任でしょう。組織人としての生き方を正しく伝えてこなかったから、と言わざるを得ませんね」

悩む人 「そこは反省しています。接待やらゴルフやらで家庭を顧みなかった点を修正しようと思っていますから。ただ、息子に言われてから我が身を振り返ってみると、確かに、嫌われても仕方がないと思い当たることがありまして、それで後悔の念が前に出て来てしまったのです」

由紀夫 「思い当たる点、というのは」

悩む人 「30代の頃、起業家養成塾のようなところで指導を受けまして、独立しようと考えていました。が、次長昇格の内示をもらい、多額の営業報奨金を受け取ったことで気持ちが鈍ってしまい、そのまま会社に居続けたんです。あらかじめ妻に相談していたのですが、あなたの人生だから、思い通りやる方がいい、と言われていました。妻は独立を期待していたようで、息子が小さい時分、お父さんは会社を作ろうとして諦めたのよ、と話してしまったらしいのです。息子はそこを突いてくるのですよ。はっきり言葉には表しませんが、ワタシにはわかります」

由紀夫 「奥さんの期待が大きかったのかもしれないですね。それだけ、自分の夫を高く評価していたのですよ。でも、今や年俸1000万を軽く超すビジネス・エグゼクティブになったのだから、それはそれで奥さんは認めているはずでしょう。違いますか」

悩む人 「ええ、認めてくれているとは思います。ただ、自分の能力を試す機会を逸したことが、悔やまれてならないのです」

由紀夫 「新浪剛氏をご存じでしょう。サントリーの社長ですが、その前は三菱商事の重役で、かつ、ローソンの創業経営者として腕を振るっていました。彼が三菱在席時代、やはりあなたと同じく、独立を考えたようです。その際、三菱の先輩社員から止められたのですね。曰く、独立した連中が扱っているのは、せいぜい2、3000万程度だ、三菱の大看板背負ってなきゃできないことはたくさんある、とね。思いとどまらず独立していたらどうなったか、これは誰にもわかりません。新浪氏自身もわからないでしょう。ただ、独立していれば、全国展開の大手コンビニで存分に腕を振るうことはできなかったし、日本最大の酒類メーカーのトップとして声がかかることもなかったでしょうね。独立して1000万以上稼いでいる人は少数派ですよ。ベンチャービジネスなど、千三つ(せんみつ、と読む。1000創って、成功はせいぜい3つ)という言葉が表している通り、ほとんど失敗します。営業本部長として采配の対象となっている部下の、1割りも雇えませんね、独立して会社を興しても。今の営業部を、戦闘能力の高い精鋭集団にすることが、あなたの最大にして最高の役割だと思います。どうです、そう感じませんか」

悩む人 「ええ、それは。新浪氏のことは初耳ですが。そうですか、あの方がそんなことを考えてらしたとは」

由紀夫 「役員昇格の可能性だってまだありましょう」

悩む人 「ありますね、ええ、確かにあります。そうですね、ああ、いや、ダメですね、いい歳をして馬鹿なことで悩んでしまって」

由紀夫 「馬鹿ではありませんが、言ってしまえば、やや見苦しいです。威風堂々、勤めを果たしてくださいな。奥さんもそう望んでいますよ。それより何より、息子さんのご認識を正す方が急務と思われます。ふたことめにはサラリーマン、サラリーマンと、俸給生活を軽く見過ぎですからね。今はいい時代だと言う人もいますが、私は悪い時代だと大いに懸念する者のひとりです。独立するのが有能にして勇ましく、会社にとどまるのは無能で臆病だと。インターネットが自分の可能性を開くと勘違いしている愚か者が後を絶ちません。確かに、情報の伝達スピード・扱える量とその範囲など、大革新が進んでいます。しかしこれは、ネットが使える環境に居る者全てに共通しており、結局は早い者勝ち、或いは強い者勝ちということに落ち着くでしょう。楽天が成功したのは、インターネットの力を信じる者がほとんどいなかった時期に猛烈な営業攻勢を仕掛けて地位を築いたからでしょう。三木谷氏の経営力は高く評価されるべきですが、先行者利益というハイリスクハイリターンが潜在していたのも事実です。戦後復興と朝鮮特需が重なったように、時流に乗るのも大切なことなのですが、その流れに乗りきれる手腕を持つ経営者は少数しかいません。このように、今は何かできそうな時代だからこそ猶のこと、組織に留まるのは勇気が必要とも考えなければなりません。自分より組織の可能性を優先するのが臆病な態度だと、息子さんはとんでもない思い違いをしていますからね。サラリーマンの起源は、明治初年の役人です。かつては限られたエリートだったのが、いつの間にか組織にぶら下がる無個性人種みたいになってしまったのは、右肩上がりの経済の時代、組織の歯車という側面が強調され過ぎたからでしょう。21世紀の今、<サラリーマン>という言葉は、肯定も否定も含まない中立的概念しか表さないものになったと言えます。俸給生活の原点に還れ、そして、サラリーマンを舐めるな、と言っておやりなさいな。認識を改めておかないと、とんでもない穀潰しになりますよ。いくら嫌われてもいいから、社会にまともな人財を送り出すことを優先していただきたいですね。ご理解いただけましたか」

悩む人 「サラリーマンを舐めるな、ですか。由紀夫さんのおっしゃる通りだと思います。息子は勤めに出ることを軽く考えていますね。父親として恥ずかしい限りです」

由紀夫 「世の中は楽しいことばかりではない、と言う者がいますが、それどころではなく、楽しくないことだらけです。

おもしろき こともなき世に おもしろく

・・・これはですね」

悩む人 「高杉晋作の言葉ですよね、あ、違いましたっけ」

由紀夫 「そこまでわかっていれば、悩むことなど何もありますまい」

悩む人 「サラリーマンを舐めるな、ですね」

(了)

 

 

 

 

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