最初に食べた勇者は誰
【最初に食べた人、というキーワードで検索してヒットする食材10選】
ナマコ ウニ タコ シャコ カニ ふぐ あんこう つばめ ドリアン キノコ
問う人 「僕の素朴な疑問にお答えいただけるとは。感謝申し上げます」
知る人 「答えられるかどうかは何とも言えない。難しい問いだからね」
問う人 「さんざん検索し尽しましたけど、何も出てきませんでした。少々疲れました」
知る人 「食べることに関心のない人間はおそらくいない。ネット上の書き込みもそれだけ多いわけだ。根拠薄弱な怪情報ばかりで辟易したのだろう」
問う人 「おっしゃる通りです。偏見に満ちた主観か、他のサイトからパクッてきた借り物かどちらかだと思いますね。女房とふたりでwebを見ていたんですけど、馬鹿馬鹿しくなってやめました」
知る人 「それが賢明というものだよ。離乳食のレシピを探す方がよほどマシだろうね」
問う人 「ところで、答えられるかどうかわからないとのことですけど、やっぱ難しいですか」
知る人 「栽培植物の起源といったことならば、植物学者や民俗学者などの専門家がいる。狩猟にもやはり歴史がある。古代人が捨てた不要物の中から判明した事実もあるしね。だが、それを最初に食べた人は誰か、とくると、わからんとしか答えられん。どの分野の専門家もそうだろう」
問う人 「誰、という訊き方が悪いですよね。僕も馬鹿じゃありませんので、固有名詞を期待しているのではないです」
知る人 「この疑問に至るきっかけは、娘の離乳食だね」
問う人 「そうなんです。土日は僕が作ることになってまして、今回はエノキと大豆の煮物にしたんです。で、器に盛る際、ふと思ったんですね。エノキも大豆も、知ってればいいけど、もし全く予備知識も関連知識も何もない場合、コワくて口にできないんじゃないか、って」
知る人 「なるほど。そこから問い合わせ内容まで、あと半歩だな。素朴な疑問と言ったがね、素朴というのでもなかろうね。web上の怪情報を批判できないぞ。君の認識には、疑問符をひとつ付けざるを得ない。何だかわかるかな」
問う人 「・・・ううん、わかりません。何でしょうか」
知る人 「初めて食べた人=勇者 という点だ。まずここから考えていこう」
問う人 「勇者ではない、とおっしゃるのですか」
知る人 「そうだ。確かに君の言った通り、野菜でも何でも、未知のものを初めて口にするのは勇気のいることだろうな。私も同感だよ。ただそれが、純然たる冒険心から来た行動ではない場合も多かった、或いは、そうでないことの方がむしろ普通だったのではないか、と私は考えるのだ」
問う人 「どんな理由から、そうお考えになったのですか」
知る人 「太古の人類は、数は少なかったが、食材もまた少なかったと考えられる。天然の食材が豊富にあったじゃないかと思うかもしれんが、それは現代に生きる私たちの視点であって、情報の無い大昔のことだ、どれが食べて良いものか、判断材料は自分の経験しかない。だが、空腹でどうしようもなければ、経験だけに頼ってはいられないだろう。知っているものとの類似性だとか、香りや手触りの良さなど、ほとんど直観に従う他あるまい」
問う人 「つまり、やむにやまれぬ行動だった、ということでしょうか」
知る人 「そう。ネットで検索した際、ナマコだのタコだのと、初めて食べた人はスゴイ、といった興味本位的な記事がごろごろ出てきただろう。それしか食うものがなければ、そんな悠長なことは考えていられないはずだ。というかだな、腹を満たすに足る環境下にいれば、冒険はしないだろう。商品でも、必ず有名企業のものが先に売れる。その企業なら安心だと消費者が判断するからだ。初めて買う商品だとしても、失敗の許せる範囲にとどめるね」
問う人 「でもですね、古代人とはいえ僕と同じ人間と考えればですよ、確かに胃の腑は満たされていたにしても、純然たる好奇心による行動もあったのではないでしょうか。(これ、何だろう)みたいな」
知る人 「それもあっただろうね。ただ、それはあくまで、コワイもの見たさ程度にとどまっていたのだと思うがね。第一義的には、食べなければ死ぬ、という恐怖心から出た行動だと私は考える」
問う人 「でも、どうなんでしょう、食べなきゃ死ぬ、でも、毒に当たれば、食べたから死ぬ、ってことにもなりますよね」
知る人 「何か食べた直後に苦しんで死んだ者が身近にいた、ということもあっただろうな」
問う人 「飢えて死ぬか、毒に当たってくたばるか。どっちにしてもこの世にはいられないんだ、なんて思ったんでしょうか」
知る人 「そこまで深くは考えなかっただろうね。ただ、死にたくないという、ほとんど本能的な衝動に従ったのだろう」
問う人 「死にたくない、ですか」
知る人 「参考になるかどうかわからんが、私の祖父の体験談を紹介しよう。君の年齢では身近にいないだろうが、私の祖父はシベリア帰りでね」
問う人 「へえ、開拓団か何かに参加なさってたんですか」
知る人 「シベリア抑留兵だ。強制労働に従事させられたのだよ」
問う人 「戦争ですか。僕の身内では、戦争に行ったのは祖父の父親あたりまで遡らないと」
知る人 「だろうね。私の祖父が召集されたのは40歳ぐらいの頃で、既に戦局の大勢は決まっていた。もちろん当時はわからんがね。南京あたりから北上して、ソ満国境付近まで行って敗戦を迎えた。国境のかなり近くにいたから、あと数日終戦が遅れていたら命はなかっただろう。ソ連が日ソ不可侵条約を破棄して満州になだれ込んできた時、同じ部隊の兵士がこうつぶやいたそうだ。
今まではシナ人が敵だったからよかったが、今度の相手はロシアだ。もう生きて還られないな。
・・・これを耳にして、ああ、俺ももうダメだ、と観念したと言ってたな。敗戦となり、シベリアに連行されたわけだが、祖父は調理師の資格を持っていてね、板前だったんだ。シベリアは氷点下40℃と異常な厳寒であったことに加えて、とにかく食うものが少ない。ロシアからあてがえられる食事など量が知れている。そんな環境だから、皆、食えるものはないか、何か食えないか、と周囲を見渡してはため息をつく。ところがあるとき、使役に使われている馬がそこらじゅうに糞を落として歩くんだが、その糞に中にキノコが生えているのに誰かが気付いた。しかし、いくら空腹とはいえ、排泄物に生える植物だ、当たって死ぬかもしれん。ところかまわず落とされる馬糞には、やはりところかまわずキノコが生え、やがてあたり一面キノコだらけになった。そんな時、かつての上官が、祖父が板前の資格を持っていたのを思い出し、キノコが食べられるかどうか調べてみろと命じたらしい。その時既に日本軍は空中分解しており、軍紀も何もあったものではないから、かつての上官だからと言って、従わねばならない義務はない。それでも、自分の資格と経験が役立つならと、馬糞に歩み寄ってキノコを抜き取り、かたずをのんで見守る戦友たちに向かって叫んだ。
大丈夫だ、食えるぞ。
・・・そう言った次の瞬間、凄まじい勢いでとびかかってきた日本兵たちによって、キノコは見る見るうちに食い尽されたんだ」
問う人 「おじいさんは、自分のキノコを確保してあったのですか」
知る人 「気付いた時には馬糞しか残っていなかった、と言って笑っていたが、おそらく当時は笑い事ではなかったろうね。長くなってしまったが、要するにだな、抑留兵たちの飢餓感の根底にあったのは、生きて祖国へ、といった芝居じみた感情などではなく、死への恐怖だったのではあるまいか、と私は思うのだよ」
問う人 「最初に食べた人も同じ、ってことですね」
知る人 「そう。だから、動物でも植物でも、食材として認知されるまでに、相当な数の犠牲者を出したのではあるまいか。フグの毒はそのいい例だろう。今でこそ誰でも知っているが、フグ漁の初期には誰も知らん。身近に死者が出ても、原因がフグ毒と判明するまでかなり時間がかかっただろうな。まさに命懸けだ」
問う人 「初めに食べた人はエライ、なんて軽いノリで言える世界じゃなかったのかもしれないですね」
知る人 「まあ、いつの世にもお調子者はいただろうから、誰も食べないなら俺が、みたいな調子で食って死んだ奴はいたのかもな。とにかく、古代人は切実な事情によって行動せざるを得なかった、という認識を持っていた方がいいのではないかな。娘が大きくなったとき、いい加減な話でお茶を濁さないよう、今から思考訓練しておくのがよかろうね」
問う人 「ですね。でも、調べると面白そうじゃないですか」
知る人 「調べるのはいいが、やたらと試食などしない方がいいぞ。君だけの命ではないのだから」
問う人 「そうですよね。女房とふたりで試します」
知る人 「家族を巻き込んでどうするのだ。死ぬなら君ひとりにしなさい」
問う人 「そのかわり、オイシイ体験も僕が独り占めすることになりますね」
知る人 「プラス志向だな。毒に当たるには惜しい人材だ」
問う人 「葬儀には来てくださいね」
(了)
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