太平洋戦争世代がいなくなる
高齢者は増えるが<功労者>は減る
妻 「お帰り。意外と早かったね。二次会ぐらいは行くと思ってたんだけど。今夜の送別会の主役は、呑兵衛の課長さんでしょ」
夫 「僕もそのつもりで気合い入れて参加したんだけどさ、当の課長が1軒目で帰るって言うんで、解散になったんだ。次の仕事に備えて、健康管理には厳しくなったんだって。午前様が当たり前だったのに、別人みたいに変わったよ」
妻 「今度の職場は、老人ホームなんだよね。二日酔いで出勤できる場所じゃないものね」
夫 「課長の就職先は、ただの老人ホームではなくて、<老健>=老人保健施設 ってところだそうだ。通常の老人ホームと何が違うかというと、老健には医師・看護師・各種療法士などの医療のプロが常勤していて、老人の在宅復帰に向けたリハビリなんかを積極的にやるらしい。運営母体は医療法人だから、職員の健康管理も厳しいみたいだね」
妻 「健康に問題のあるお年寄りのお世話をするんだから、健康でなきゃできないものね。でもさ、課長さんって、もうすぐ50歳でしょう。奥さんもお子さんもいらっしゃるのに、重労働の割には低所得だと言われている業界に行くなんて、ずいぶん思い切ったよね。心機一転というか、一念発起というか、何らかの心境の変化があったんだろうね」
夫 「課長にビール注ぎに隣の席に行ったらさ、まあ座れよなんて言われてさ、じっくり話聞かせてくれたんだ。課長のおじいさんがシベリア帰りらしくてね、敗戦後4年間、シベリアで強制労働に従事させられた人なんだって。その間、おじいさんの奥さん、つまり課長のおばあさんは、幼子の手を引いて、防空壕から防空壕へと逃げ回り続ける日々さ。国策に翻弄されたふたりの血をひく自分は、この体験から得た精神を受け継ぐべきだ、っていう思いが子どもの頃からあったらしい」
妻 「ふうん。その思いが今、老人介護という職業に結びついたってわけ」
夫 「もちろんそれがベストな選択だとは課長も思ってはいないさ。特攻隊の生き残りや、南方で玉砕を免れた人など、いまだに<戦後>が終わっていないような方々もいらっしゃるからね。老人ホームに入居しているごく少数のお年寄りのお相手だけしていれば、課長の念願がかなうというわけではない。ただ、課長がさかんに強調していたのは、戦争体験世代は日々確実に減少しているということ、これは日本にとって、忘れてはならない大切な記憶を風化させることなんだね。そう言われてみて僕も、なるほどと思ったんだ。高齢化が急速に進行して、65歳以上の人口が増えている。社会保障費の受益者が増えて負担者が減っているんだから、たいへんな問題だよね。でも、コトは経済だけにとどまらないんだ。他民族に自国を蹂躙された体験を持つのは、日本の近現代史のなかで、1945年前後を生き抜いた世代だけなんだよね。その人たちがいなくなるというのは、単にお年寄りの数が減るといった、足し算引き算のレベルとは全くの別次元だよ。そう思わないかい。あ、難しいかな、こんな話は」
妻 「ううん、全然平気。アタシもおばあちゃんから疎開体験とか聞いてるから。確かにそうだよね。戦後の日本経済は奇跡の復活だとか何とか言われたけど、そういうことの原動力になったのは、戦争体験世代の人たちだものね。戦前は戦争に勝つため、戦後は経済競争に勝つため。昭和20年を挟んで、いずれも国家の為に働いてきた人たちでしょう。日本を築いた大功労者世代だよ、あの方たちって。その世代が減っていくんだから、アタシたち、もっともっと危機感を持たなきゃダメだよね」
夫 「そうなんだ。今こうして楽な暮らしができてるのは誰のおかげか、考えてみればわかると思うんだ、良識ある日本人ならね。それがどうだい。老人を搾りかすみたいに扱う論調が世の中ではすっかり支配的になって、新しい時代には新鮮な発想力の若者しか対処できないみたいな雰囲気になっている。過去の積み重ねが現在で、未来はその先にしかないのだと誰しもわかるはずなんだから、激烈な過去を生き抜いた世代を大切にしなきゃいけないってことぐらい、思い至らなきゃいけないと思うんだよね」
戦争世代の減少は、文化遺産の減少である
妻 「ちょっと変な例えかもしれないんだけど、外してたらゴメンね。あの、いつだったかな、雑誌か何かで有名人同士が、時代劇がなくなるとどうなるか、っていうテーマで話し合ってたの。詳しいことは忘れてしまったけど、はっきり覚えてる言葉のやりとりがひとつだけあるのね。
有名人A:時代劇がテレビや映画からなくなると、どういうことになるだろうね。
有名人B:言葉が死ぬ。
・・・戦争体験世代の方々の過去は作り話じゃないから、この話は合わないかなって思ったんだけど、でも何か、共通点があるような気がしたの。言葉 という部分を 記憶 と言い換えたらどうかしら。戦争世代がいなくなれば、アタシたちって、自分に都合のいい過去を、より都合のいいように何度も何度も解釈しなおして、再加工を繰り返して、日本人として最も大切な何かからどんどん遠ざかっていく気がするのね。これって、やっちゃいけないことなんじゃないかなあって思うの」
夫 「同じ過ちを、僕たちの祖先はやってるね。維新の頃さ。急激な西欧化が、それまでのやまと民族の伝統をさんざん破壊してしまっただろう。この時、変えるべきものと、変えてはいけないものが混同して、いいものも悪いものも一掃されてしまった。維新に匹敵する大変化だった1945年の敗戦を契機として、日本はやっぱり同じ失敗をやらかしたんじゃないか。その象徴が戦争世代の存在の軽視と、激烈な体験すら<群衆の記憶>として乱暴にひとまとめにしてしまおうとする現役世代の思いあがった態度だ。今風に言えば、何でもかんでもリセットしたがるんだね、僕たち日本人ってのは」
妻 「日本の植民地時代の体験を、朝鮮民族は語り継いでるよね。でも、そういうことだけじゃなくて、例えば日露戦争の有名な日本海海戦ね、あの戦いに参加したロシア兵の子孫たちって、いまだにそれを誇りに思い、受け継いでるらしいのね。日本ではどうかしら。アタシの知る限りでは、日本海海戦最後の証人と言われた人・大倉明治さんは、1980年代に四国の老人ホームで亡くなってる。全アジアに勇気と希望をもたらした世界史上の大転換点に立ち会った人物なのに、その人生を掘り起こそうという動きは全くなかったわ。どんなことでも、過ぎたら忘れるのかしら、アタシたちって」
夫 「それはさ、日本人の本質を突いた議論だと言えるだろうね。 忘れっぽい日本人 なんていう言い方を平気でする日本人がいるけど、都合の悪いこと記憶は捨てていくってことを繰り返せば、正も負も受け継いでいる他民族からすると、ご都合主義の民族だと、いつか見切りをつけられるんじゃないかと僕は危惧せざるを得ない」
戦争世代のために、今すぐできること
妻 「でもさ、そうは言っても、太平洋戦争でご苦労された世代の方々って、どんどん減ってるじゃない。老化が進んでるんだから、医療の専門家がいくらがんばったって、限度があるよね。テレビなんかも、過去の戦争を取り上げなくなってるもの。ひとつの例として、東京大空襲があるわ。1945年3月10日に起きた大殺戮だったけど、悪いことに、というか、2011年の3月11日が東日本大震災の日なんだよね。空襲より被災者の今の様子とか、来る南海トラフにどう備えるかとか、現代のアタシたちの関心はそっちじゃない。震災の記憶を風化させちゃいけないのはよくわかるんだけど、何だか複雑な気分」
夫 「原爆から敗戦に至る一連の大事件が、軒並み8月にあっただろう。これも、日本人の忘れ癖にとって好都合に作用してるよね。8月は子供たちが夏休みだよね。だから、授業中に、きょうは広島に原子爆弾が落とされた日だとか、無条件降伏した日だとかって、教育の一環として生徒に教える機会がないんじゃないかな。8月6日が何の日か知らない子供が増えてるってのは、単に学校教育の問題にとどまらないよ」
妻 「そうだよね。でもさ、アタシたちが教育現場を変えるわけにはいかないしさ。今できることって何だろうね。課長さんみたいに、老人ホームで働くのも選択肢のひとつだとは思うんだけど」
夫 「うん、そうだね。希少な存在になった戦争世代の方々のために何かするとしたら、老人介護は有力な手段だね。でもその場合は、A施設のBさん、といった具合に、あくまで個別の対応しかできない。少なくなったとはいえ、まだまだ全国にいらっしゃるわけだから、目の前の個人のお世話をすれば、それは個人へのお世話として完結し、全国的な動きにはなり得ない。点を線、ひいては面へと発展させるには、個別対応というマンパワーを超えた何かが必要だと思うんだけど、それが何かは僕もわからないんだ」
妻 「アタシもわからないわ。地域のボランティアさんなんかが、お年寄りの戦争体験談を聞いて、代わりに子供たちに語って聞かせるような活動されてるよね。あれはあれで正しいと思うの。でも、受け継がなきゃならないのって、戦争の記憶だけじゃないと思うのね。何て言えばいいかなあ、ううんと」
夫 「戦争も含めて、生きた時代のすべてを引き継げたらいちばんいいけどね」
妻 「そう、そうよ。時代だよ。どんなに苦しくても生きていかなきゃっていう、暗雲に飲み込まれないたくましさって言えばいいかな、そういうものをアタシ、受け継ぎたいんだ」
夫 「それはつまり、 <生きる力> ってことではないかい」
妻 「うん、ひとことで言えばそうなんだけど、生きるってさ、本来重い言葉なのに、ずいぶん多用されてるじゃない。功労者問題に対して使うと、問題が何だか軽薄化したみたいで、ちょっと抵抗あるんだよね」
夫 「まあ、適切な表現が何かは置いておくとしてさ、僕たちに今すぐできることをまとめてみようか」
妻 「ううん、まとめると言うほどはアイデア出なかった気がするけど」
夫 「今すぐとなると、日常に支障のないやり方でできることに限られてしまうね。でも、中期的にみれば、一対一のマンパワーを超えなければ、活動に広がりも奥行きも生まれてこないと僕たちにもわかった。ではどうするのがいいか。何せ、戦争世代の減少はさらに続くんだからね、あまりじっくり取り組んでもいられない。いい方法を見つけたら、みんな亡くなってた、なんてことにならないようにしたいよね。ただ幸いなことに、21世紀という時代は、省力化が劇的に進んでいる。かつて100人の手をわずらわせたことが、今は数名でできてしまう。多くの功労者に対して少人数で取り組めれば、或る程度社会に影響力を与えることができるんじゃないかな」
妻 「例えば、どんな」
夫 「ありきたりかもしれないけど、鍵を握るのはやっぱりインターネットだと思う。戦争世代と今の若者との橋渡しができるとしたら、ネット環境をおいて他にはない気がするんだ。質問サイトの戦争世代版だとか、いろいろ工夫できそうにも思うんだけど、どうかな、戦争世代の方々に、まずは喜んでいただく、楽しんでいただく、というのが先かな。楽しくなきゃ、長続きしないからね」
妻 「多くのお年寄りが楽しめる仕組みというか、環境というか」
夫 「老若男女が集うプラットフォームみたいな場所を、WEB上に作ることができればね」
妻 「キーワードは 知恵 だね。高齢者の知恵をどこまで現代に活用できるかっていう」
夫 「うん、僕もそう思う。高齢の方は肉体の活動が制限されているのだから、のびのびと知恵を発揮していただけるような環境作りがしたいね。ネットワークが確立されれば、独居老人対策にもなるだろうし」
妻 「まずはさ、身近にお住まいの方から当たってみようか」
夫 「そうだね。あせってもダメだけど、のんびり構えてるのはもっとダメだものね。世の中にガツンと一発かましてやる、みたいな功名心を捨てて、虚心坦懐に臨むことで、功労者世代への恩返しができるようになっていくはずだよ」
妻 「人生の最後に、もういちど社会に登場したくなるようなきっかけを提供したいよね」
夫 「よし、できることから始めよう」
(了)
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