【消費は美徳】・・・何と黴臭い価値観でしょう
【消費は美徳】という考え方は、二十世紀の残り滓です
悩む人 「一年中やっているバーゲンセールについていろいろ思いめぐらしていましたところ、安売りが凄く馬鹿げた行為のように思えて来てしまいまして」
由紀夫 「まあ、熟慮の末に断行したギリギリの選択でないことは確かでしょうね。夏と冬にはクリアランスセール、春と秋には○○祭だの何だのと、しょっちゅう安く売っていますから。今年もプロ野球の応援や優勝などにからめた集客手段がとられることでしょう」
悩む人 「安かろう悪かろうの時代は終わりましたし、安い時期にまとめ買いしておこうという、生活防衛的な購買行動も過去の遺物ではないかという気がします」
由紀夫 「そうですね。昔は地方へ行きますと、新しい肌着を買って新年を迎えるという習慣が残っていましたが、いまやコンビニが全国どこにでもあり、スーパーは深夜営業・元日営業など当たり前です。まとめ買いする理由もなくなりましたね。離島にでも住まない限り、生活物資の調達に困ることはありません。値段が高くても、やがてどこかの競合店が必ず下をくぐってくる。客が要望せずとも価格は下がっていきます。こんな時代に安く売るとは何なのか、ここらで考えるのもいいかもしれませんね」
悩む人 「ヘンリー・フォードの大量生産方式あたりまで遡るのかどうか、そこまではわかりませんが、客を煽るような消費喚起の方法というのは、もはや時代遅れというか、二十世紀の遺物ではないでしょうか。大量に作る➡大量に買う➡環境破壊・人心荒廃・地域崩壊となっていったわけですから、これからは二十一世紀のやり方でなければダメな気がするのです」
由紀夫 「なるほど。安売りだけを悪者にして済む問題ではないですが、短期の廉売という手法がもはや息切れしているのは事実でしょうね。あなたの言う安売りの根底にあるのはアメリカ型大量消費・大量廃棄というスタイルです。とにかく金を使わせろ、買ったものは擦り切れる前にさっさと捨てて買い替えろ、前回よりもっといいモノを買え。こういったアメリカ型に合わせた結果が今の世の中ですから、前世紀型消費喚起手法であるバーゲンを見直すのは意義あることかもしれません」
悩む人 「発展途上国や一部の紛争地域を除けば、どこもモノは行きわたっているでしょう。なぜ相変わらずの煽り商法が大手を振って闊歩し続けているのか、私にはわからないのです」
由紀夫 「根底にあるのは、前世紀型大量生産方式ですね。これを改めない限り、モノは作られ続け、店頭に並び続けるでしょう。供給が需要を追いかけていた時代から、この点は本質的になんら変わっていません。消費者ニーズなどと美辞麗句を並び立てる商人が後を絶ちませんが、自社の都合で商品・サービスの洪水を起こし、それで消費者を振り回そうとしているのが現状です。本当に必要なモノとは言い難いですから、商品の寿命=いわゆる「ライフサイクル」ははかないものです。消費は美徳だという考え方に従って成長した企業が、今、軒並み業績不振であえいでいますね。そこに楽天やアマゾンなどの新興勢力が切り込んだ。今はまだ消費行動の過渡期であり、これから二十一世紀型消費生活が形作られていくことでしょう。と言っても、ここでこうして議論していても、何も変わりはしませんがね。気付いた者が行動を起こさなければ」
金を使わなくてもできることがあるはずです
悩む人 「金を使わせようとするのは二十世紀型だと思うのですが、では、二十一世紀型とは何でしょうか。私にはまだそこまで思い至りませんで」
由紀夫 「作れ作れ、売れ売れ、買え買え。このようなサイクルが成立するのは、経済成長を前提としていたからです。今は深刻な不景気ではないですが、豊かさを実感するにはほど遠い。これは、世の中の金の流れが複雑になっているからでしょうね。かつてのように、儲かったから賞与をはずみましょう、というように単純な構造ではなくなっています。流通の仕組みと共に、人と人との利害関係も複雑になり、モノが売れたから給料が上がる、というストレートな構造が変質してしまいました。こんな時代ですから、マクロ景気の上昇がミクロ景気の充実に直結しません。これはますます、消費行動を変える強い動機になろうかと私は考えます」
悩む人 「世の中に金で買えないモノは無い、と豪語していた実業家がかつていましたよね。でも私は、こんな時代だからこそ、お金では手に入らないモノが見直されるべきだと思うのですが」
由紀夫 「それは例えばどんなことでしょうか」
悩む人 「もっと人の心に訴える何か、そうですね、例えば障害者支援だとか、母子家庭の援助とか、或いは環境保全型商品を売ることとか」
由紀夫 「今おっしゃった三つは、いずれも既存の仕組みの中にありますよね。そういったことを、もっと強化するべきだと」
悩む人 「ええ、そうですね、例えて言えば、そうです」
由紀夫 「マイノリティ支援は、受益者負担を期待できませんから、社会福祉の領域になりますね。環境に配慮した商品は既に一定の勢力となりつつありますが、大量生産品と比べると高価格ですから、それらを生活物資の中心に据えられるのはごく一部の裕福な人たちに限られます。いや、あなたの言いたいことはわかりますよ。あなたと似たような考え方の人はたくさんいる。ただ、わが国だけでも億の人口を抱えている現状で、「これなら大丈夫」と太鼓判を押せるような妙案がありましょうか。莫大な人口が一斉に回れ右するかの如き、特効薬的秘策が」
悩む人 「ううん、それはないでしょうね。由紀夫さんはあるとお思いなのですか」
由紀夫 「もちろん思っていませんよ、あなたと同じくね」
本当に金を使うべきなのは、ここです
悩む人 「はあ、ではどうすればいいのでしょう。話が前に進まない気がしますが」
由紀夫 「妙案が無い、というところに辿り着いたことで、次の思考への橋渡しはできたと言えましょうね」
悩む人 「具体的には、何をどうすれば」
由紀夫 「さきほど私は、億の人口という話をしました。労働人口だけでみても六千万ばかりいましょう。これはつまり、社会を改革するアイデアもその数だけあるということなのです。六千万人がそれぞれバラバラに持論を述べるとしたら、どうですか、世の中はよくなると思いますか」
悩む人 「いや、そのはるか以前のこととして、雑多な意見が多過ぎて収拾がつかなくなるでしょう」
由紀夫 「その通り。考えてご覧なさいな、自分の家族だけでも、考えを統一するのは容易な事ではありますまい。社会とは常に混沌としているものであり、真面目に取り組もうとすればするほど、何が何だかわからなくなる。こんな状態で必要なこととは何でしょうね。何だと思いますか」
悩む人 「優れたアイデアを捻出する頭脳ですか」
由紀夫 「違います。どんなに時代が変遷し続けようとも、世の中というのは、実は変わっていないのです。確かに商品・サービスは進歩します。流通の仕組みも格段にレベルアップするでしょう。しかし、人は変わらないのですよ、いつの時代も。人間社会の本質を見極める目。荒波に惑わされず、事の真理を見抜く目が求められているのです。これはですね、一朝一夕で身に付きはしません。厳しい鍛錬が必要です。これからの時代に必要なこと、真のお金の使いどころですね、それはね、自分に投資することなのですよ。自分を磨くと言い換えてもいいでしょう。混沌とした時代を生き抜くためには、不動の心・確かな目を持っていなければならないのです。これを見につけるには、金と時間と根気が必要です。こうすることで、衆愚の無責任な放言の中から、有益な見解だけを拾い上げる力がつきましょう。このような人間が増えることで、二十世紀型消費社会は確実に変わるはずです」
悩む人 「もちろん、私がやらなければならないのですよね」
由紀夫 「あなた一人にはさせませんよ。一緒にやりましょう」
(了)