文豪も落胆。鎌倉円覚寺で思ったこと
寺社仏閣とは何でしょう。金で買えないものに、無理やり値段をつけて売る場所なのでしょうか。鎌倉・円覚寺に行ってみてガッカリしてしまいました。参拝者の気持ちを逆なでするかの如き、無神経な行為ですよね。何とかなりませんか・・・
漱石、藤村の修業した円覚寺。今はこうなっている。
問う人 「北鎌倉の円覚寺に行きまして、落胆して帰ってまいりました」
知る人 「期待外れだったってわけか。何をどう期待して行ったのかね」
問う人 「夏目漱石が若い頃修業した場所だってことは、以前から知っていたんです。さらに最近、島崎藤村もやはりあそこで修業したと聞きまして、これは何かあるに違いないと」
知る人 「で、何もなかったのだね」
問う人 「何もないだけならまだしも、よけいなものがありました。世俗の塊に頭をガツンとやられたと申しますか、煩悩の連打でノックアウトされたと申しますか」
知る人 「ベビーカステラの屋台でも出店してたのかな」
問う人 「さすがにそこまでひどくはなかったですけど・・・入り口で入館料を払おうと思って受付を見ると、人がいない代わりに、端末機が一台置いてあるのです。なんだとお思いですか」
知る人 「券売機かな」
問う人 「もっとひどいです。suicaですよ。電子マネーで入館料を支払うようになっていたんです。風情も何もあったもんじゃありません」
知る人 「JR沿線に立地しているからとは言え、少々やり過ぎだな」
問う人 「さらにその横を見るとですね、コーラやら缶コーヒーやらの自販機が横並びでズラリ。そのまた向こうが売店、ということで、入館して十歩ぐらいの範囲に、客に散財させる仕掛けが集中しておりまして」
知る人 「散財はいささか大げさだな。財布を開かせる、ぐらいでいいと思うが。・・・ああ、そんなことはいい。なるほど、よくわかった。文豪たちが今の円覚寺を見たらどう思っただろうな」
問う人 「ふたりとも鬱傾向のある人でしたからねえ。ひどく落胆して、創作にも影響が出たでしょうね」
寺院とJR。昨今はやりの「コラボ」とはまさにこのことか
問う人 「電子マネーは確かに便利ですよ。私も普段はよく使います。しかしですね、お寺とキヨスク売店が仲良しになるのはいかがなものかと」
知る人 「寺社仏閣を訪れる人の多くには、日常のわずらわしさや都会の喧騒から逃れたいとの心情があるはずだな。効率重視のsuica端末機に寺まで追いかけてこられたのでは、心は一向に休まるまいね」
問う人 「何であんなことになったのでしょうか」
知る人 「正確には当人さんたちに尋ねる他なかろうが、まあ、察するにだな、寺の人手不足解消の手段であると同時に、文豪ゆかりの地も時流に呑まれたってことだろうね」
問う人 「JRから補助金が出てるとか」
知る人 「それは何とも言えないね。ただ、使命感のない空疎な行為であることは疑うべくもないがね」
問う人 「文学や宗教に好意を抱く人たちから、反感を買うとは思わなかったのでしょうか」
知る人 「思わなかったのか、それとも、思ったけど世俗的打算がそれを上回ったのか、私にも真相はわからん。ただ、はっきり言えるのはだな、商業主義用語を使えば、ユーザーの立場に立ってやったことではないね」
問う人 「入館者の気持ちになってみればですね、多少は手間がかかっても、アナログな動作で入館手続きする方を選びますよねえ」
寺社仏閣の商業主義路線を食い止めるには
問う人 「この傾向は続くのでしょうか」
知る人 「寺社仏閣の守銭奴的気質というのは、ずいぶん昔からあるからなあ。東京オリンピックまではまだ間があるし、売り上げ(=入館料など)の伸びが見込めなければ、原価を下げて利益を出すしかない。収支バランスに長けた坊主は意外といるからね。でも、効率重視の姿勢は、いつか参拝者に嫌悪される日が来るだろうね。小銭を財布から出すことすらなくなってきている日常の中にいれば、財布を取りだして小銭を数える行為に非日常性を感じたりするものだ。ホッと一息つける時間というのは、手間を厭わないからこそ享受できるのだからな」
問う人 「寺社仏閣が金まみれにならないようにするには、どうすればいいでしょうね」
知る人 「まじめな参拝者が増えるのが第一だろうな。初詣と学校行事は別として、鎌倉に来ること自体、非日常を求める心の現れと言ってよかろう。世の中どの分野も、真面目と不真面目の闘いだよ。真面目を勝たせたければ、これからも足しげく通うのだな。それが第一歩だ」
(了)