生活に追われる。これ、すべての基本

【毎日毎日、同じことの繰り返し。でも、ヒマじゃないんですね。やらなきゃいけないことはいくらでもあります。こうしてあくせくして、人生が終わるのでしょうか。生きるって退屈なんですね】

 

 

問う人「何の為に生きてるんだか、よくわからなくて困ってます」

知る人「君の質問の中に、答えがすでに出ているね。日々同じことの繰り返しで、君の、いや、私たちの生涯は終わるのだよ。生きるとは、かくも退屈なものだ」

問う人「でも、退屈じゃない人だっているでしょう。毎日ワクワクできて、刺激に満ちた生活をしてる人が」

知る人「他人にはそう見えるだけだ。プロ野球選手を見ろ。年間140試合もこなすのだぞ。彼らが每試合楽しんでいるとでも思っているのかね。みんなそうなら、それこそ新記録続出、全員がスターだよ。そうならないのはなぜか、考えてごらん」

問う人「それは、実力の差でしょう。プロにもいろいろいるでしょうから」

知る人「素質だけじゃあるまい。どの選手も、子どもの頃から野球が大好きだった。おそらく、地元では怪童とか天才少年とか言われてた逸材ばかりだろうね。だが、プロで野球をやるとは、つまり、野球で生活することだ。確かに、野球と言う競技と、一般サラリーマンの仕事を比較すれば、野球の方がずっと華々しく、カッコよくみえることだろう。それは私も否定せぬ。しかしだな、毎日となれば、結局、ビジネスマンや荷物運搬業者と同じなのだよ。すべての仕事は、同じことの繰り返しで成り立っているからね。そう気づいた途端、大好きだった野球がつまらなく思えてくるのだろう。それを乗り越えた者だけが、殿堂入りするような名選手になる資格を得るのだね。奇を衒い、派手なパフォーマンスばかりやってた選手など、みないつの間にか消えている。イチロー選手はどうだ。彼が一度でも派手なことをやったかね。打つべき時に打ち、走るべき場面では走る。いつもいつも、当たり前のことを繰り返していたではないか。その積み重ねが、メジャーリーガーですら憧れる大スターを育てたのだ」

問う人「つまり、何でも本質的には退屈なのだと」

知る人「その通り。かつて高杉晋作がこう言ったね(実際に本人の言葉か否かは未検証)。

面白き ことも無き世に 面白く

・・・この言葉は、当時の政情にたいする不満だと解釈している人が多い。さにあらずだ。高杉はね、日常というものに秘められた底力に気付いていたに違いない。確かに退屈な日々の繰り返しだが、それを貫徹すれば、その向こうには面白い<何か>がある。彼はそう言いたかったのだ」

問う人「でも、彼は幕末の志士でしょう。きっと、波乱万丈の生涯だったのでしょうね」

知る人「時代は確かにそうだったろうな。だがな、幕末の志士といえども、朝は起きなきゃならぬし、メシも食わねばならぬ。夏の朝は玄関に水を打ち、冬は井戸の氷を割っては水を汲んだことだろう。何が言いたいかわかるかね。波乱万丈、起伏に富んだアップダウン人生に見えるような人々も、皆、日常の些事を黙々と繰り返していたに違いないのだよ。新撰組だって、来る日も来る日も人を斬っていたわけではあるまい。近所の子供といっしょにベーゴマをまわしたり、歩き疲れた老婆を背中にしょって歩いたり、と、誰もがやるようなことをしていたはずだ。どれもこれも、見方によってはどうしようもなく退屈なことばかりではないか。しかし、その繰り返しによって、私たちは人生で最も大切なことを知る」

問う人「普通の暮らしのありがたさ、ですか」

知る人「そう。そして次に来るのが、平穏無事な日常をかき乱す恐れのある出来事や政策や人物などに対する怒りだ。この時はじめて、単なる生活者が、闘う市民へと脱皮するのだよ。当たり前の次に来るのが、あたりまえでない暮らしへの不安と、それから自分と愛する人を守ろうとする防衛本能だ。これが何十万、何百万と集まったとき、民衆は巨大な力を発揮するのだな。一部の扇動者にあおられて起きた事件はやがて鎮圧されるか自然消滅するだろうが、生活の底からジワジワと湧き上がってきたこと、言ってみれば、油のように社会に滲み出てきたことは、容易に消すことができん。真の市民革命とはこういうものだ」

問う人「闘いたくば、まずは歯を磨け、顔を洗え。そういうことですね」

知る人「その通り。日常をないがしろにする奴など、何をやっても長続きせぬ。油のように滲み出るのだよ」

(了)

1805字。48分。

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