<好き>を仕事にするな
【好きでもない仕事を、もう20年やっています。家族を養うためにも、やらなければならないのですが、好きな職業の分野で活躍している人をみていると、失敗だったなあ、と考えてしまいます。やりなおせないものでしょうか】
知る人「もう20年やっている、というのは、どんな仕事かな」
問う人「たいしたことじゃないんです。ただのセールスマンで」
知る人「何を売っているの」
問う人「お菓子です。中規模の菓子問屋に勤めていまして」
知る人「役は付いているのかな」
問う人「いちおう、係長です。部下なんていませんけど」
知る人「そこに入社した動機は何だね」
問う人「たいしたことじゃないんです。ただ、衣食住にかかわることなら食いっぱぐれないだろうと思いまして、それで、いちばんわかりやすそうな食べ物業界に絞って探しているうちに、今の会社に当たりました」
知る人「その会社に入らなければ、今頃君は何をしていたと思うかね」
問う人「ううん、そうですねえ、何せ趣味らしい趣味が何もないものですから、まあ、やっぱり、無難な勤め先を見つけていたでしょうねえ」
知る人「自分をつまらない人間だと思うかね」
問う人「そうですね、どちらかと言えば、そう答えるしかないでしょうね」
知る人「なるほど、よくわかった。君は典型的な小市民だ。納税者として、最低限の義務を果たして暮らしている。我が国には君のような社会人が無数に、いや、無数にはおらぬが、とにかく国民の大多数が君と同じと思ってよかろうね。その意味では、赤信号を渡るお仲間がわんさといるのだから、安心してよいのではないかね」
問う人「つまり、その他おおぜいでいいじゃないか、ってことでしょうか」
知る人「それはそれぞれの生き方による。今は普通に生きるのが難しい時代とも言えるからね。目立ちたがり、一発当てたがり、辛抱できない根性無しなどが巷に溢れている。そんな連中に比べれば、君ははるかにマシな人間だと断言できるよ、ああ、これは皮肉で言っているのではなく、本当に私はそう思ってる」
問う人「最低限の義務、ですか」
知る人「そう。定職につかず、或いは、ついても足腰が定まらず、ウロウロ、キョロキョロしてばかりで、そのくせ口だけは達者で、文句や批判ばかり吐いているクズ市民などよりは、君のように、黙々と義務を果たす者の方がはるかに立派なのだよ」
問う人「僕みたいな人がいっぱいいるとのことですが、そういう人って、毎日何考えて生きているのでしょうね」
知る人「個人差があるからね、ひと括りにはできんね。ただ、息苦しくなれば、仕事以外の何かをやって気分転換しているのだろうな。副業に取り組んでいる者もいるだろうが」
問う人「趣味か副業か、ですか。ううん、何か違うんですよね。まあ、偉そうなことは言えないですけど、脇道にそれるのではなく、本業で勝負したいんです。もっと社会に貢献している、自分は役に立っている、という実感が欲しくて。贅沢な悩みですかねえ」
知る人「よくある悩みだな。今までの君の話では、方向性がふたつ考えられる。一つは、好きなことを仕事にしたい、もうひとつは、世の中の役に立ちたい、だね。ということはだな、現在の仕事は、好きではなく、世の中の役にもたっていない、というのが君の認識だと考えていいかね」
問う人「おっしゃる通りです」
知る人「自己分析が浅い、そして、社会に対する認識が低い。まずはここからあらためていかねばならぬ」
問う人「つまり、自分と世の中がわかっていない、と」
知る人「うん、呑み込みが早いじゃないか。その通りだよ。今の仕事が好きではない理由は何かね」
問う人「そうですね、一言で言えば、やりがいがないってことでしょうか。営業職ですけど、売り上げが上がっても、いったいどこの誰が商品を買ってくれたのか、それで本当に喜んでくれたのかが全くわからないんですね。不特定多数を相手にしているのだから、まあ、当然と言えば当然なんでしょうけど」
知る人「顧客の顔が見えればやりがいになるのかな」
問う人「そうも考えたんです。例えば訪問販売みたいな、相手がはっきりしている商売の場合ですね、それなら今よりずっとやりがいあるんじゃないかって。でも、結局同じじゃないのかなあ、なんて気もしたりして、その方向に踏み切れないんです」
知る人「モノを売る、という行為には本質的に不向きなのかもしれんね。人の相手は好きだろう」
問う人「ええ、好きです。人を相手にする仕事が向いていないとは思っていません」
知る人「売らなければいいのだ。人に対して、モノの売り買いをしなくて済む仕事がよかろう。モノ、というのは、有形無形に関わらずだ。商品またはサービスだな。売り買いではなく、知識や権利などの移転と、それに伴い必要経費は賄えるような職業、というのが、君に向いている仕事だ。株式会社ではなく、医療法人や社会福祉法人など、非営利の看板を掲げている団体に所属するのがいいかもしれんな。ここから、二番めの論点、つまり、社会に対する認識というところに繋がってくる。誰かの仕事で成り立っている、という広告のコピーがあるね、あれだよ。誰かの仕事が、世のどこかを作るのだな。そうやって社会は維持・運営されていく。今君がやっている菓子問屋の仕事も、規模は小さいにしても、経済社会に間違いなく貢献しているのだ。企業は多くの人を雇い、高率の法人税を払って、国家運営の一翼を担っている。誰の役に立っているかわからぬと言うがね、菓子が必要な人の役に立っているのだよ。どんな仕事にも、肝と言える部分がある。ここが最も面白いところだ。ここを味わうために働くと言ってもいいくらいだな。しかし君の場合、肝に達する前に力尽きるだろう。企業の社会的意義に対して、君自身の職業観がいつまでたっても平行線をたどるからだ。荒療治かもしれぬが、いちど、思い切って市場の枠からはみ出てみなさい」
問う人「人の役に立つ分野、といいますか、例えば介護とか、障害者支援とか、そういった方向でしょうか」
知る人「一例を挙げればそうだな。ただ、とんでもない勘違いをする場合もある。心理臨床の権威・河合隼雄氏が、かつて著作にこんなことを書いていた。君に伝えておこう。
カウンセリングを必要としている人ほど、カウンセラーになりたがる。
・・・残念ながら、この前後の文脈を覚えていないのでね、河合氏の真意とは違うかもしれぬが、私はこれを、力のない者ほど他人に力を貸そうとする、と解釈している。福祉の仕事につきたがる者は少なくないが、その人自身が社会の援助を必要としている場合があるということだよ。仕事だけではない、健康上の問題、家庭生活、老親との関係等々、他人を助けている場合ではないような状況にいる人が福祉にすすんでも、常に自らの抱える問題が頭から離れず、真に相手を思いやるに至らないのだな。これでは福祉業に従事する資格がないと言わざるをえぬ。自分の身辺をしっかり洗い出して、特に大きな問題がないのかどうか、少し時間をかけて調べなさい。自分で自分を全身CTでスキャンしてみるのだよ。たまにはよかろう」
問う人「そうですねえ、自分を振り返る時間なんてとってなかったですね。やってみます」
知る人「それでは、ようやく表題に戻ろうか。君は20年以上社会人をやっているからまだいいがね、昨今の若者の風潮として、好きな事以外やりたくないという態度、言ってみれば、 働く=好きなことを職業にすること という誤認識が幅を利かせている。好きなことを職業にした方がいいかもしれぬが、では、好きなこと、とは何かね。自分に一番合っている仕事など、社会経験の浅い若者にわかるとは思えぬ。例外はいるがね。ほとんどの若者はわかっていない。世の中が何で動いているのか知らぬ状態で、自らに最適の職業選択ができるわけなかろう。過重労働などの劣悪環境や違法行為でなければ、どんな仕事から始めてもいいのだよ。まずは身を粉にして働き、額に汗して給料を手にしてみることだな。社会人というのは、職業を通して世の中を見るのだ。社会を観る目は職業体験によって養われる。自分がそれまで無意識に買っていたモノ、当たり前に利用していたサービスを顧客に提供するために、どれほど多くの人々が働き、どれほど手間暇かけているかがわかるようになれば、需要側と供給側双方の視点を見につけたことになるからね。これが社会人と呼ばれ得る前提条件と言ってよい。片方にしか目のない者は、目をふたつ持つところから始めねばならぬ。四の五の言う暇があるなら働け、とまあ、君に言ってもしかたないのだがね」
問う人「わかりました。身近にいる若い連中に言ってやりますよ」
知る人「その前に自らの立場を強化しなさい。足元を固め、実績を作るのが先だよ。若者を導いてやるのはそれからだ。勝って兜の緒を締めよ、と昔から言うが、君はまだ戦に出ていないのだ。まずはあらためて初陣を飾れ。一番槍の手柄をわがものとせよ」
(了)3650字。120分。