産まれてきたのは何の為

【自分がこの世に産まれてきたのは、いったい何の為なのでしょうか。考えれば考えるほどわからなくなります。こんなことで悩んでいるのは、僕だけなのでしょうか。生き生きと活動している人が羨ましいです】

 

 

知る人「そういう悩みを抱くようになって、もうどのくらい経つのかな」

問う人「社会人になった頃からですので、八年めですね」

知る人「経理部にいるそうだが」

問う人「ええ、簿記の専門学校を出て、経理マンとして就職しました。仕事は、そうですね、楽しいってほどではないにしても、経理は好きな分野ですから、業務上で問題などはないんです。でも、自分はこういうことをするために産まれてきたんだろうかって考えると、何も手につかなくなって」

知る人「今までに、カウンセラーなどに悩みを打ち明けたことは」

問う人「ないです。他人さんに話すのはこれが初めてですので」

知る人「なるほど。手につかないというのは、どんな状態になるのかな。もう少し詳しく話してくれんかね」

問う人「何をするのも嫌になって、飲食すらしなくなります。座ってるのも嫌、立ってるのも嫌。誰とも喋りたくないし、他人から話しかけられるのが怖くなったりもしますね。とにかくひとりにしてほしい、っていう感じでしょうか」

知る人「精神科か心療内科に行くべきだろうな。悩みがそこまで手枷足枷になってしまうのは、悩める人というよりは”病める人”だよ。人間誰しも悩むことはあるが、だいたい時間が解決する。君のは病的だと考えるべきだと私は思うが、自分でいかがかな」

問う人「自分を病人だとは思いたくないです。精神科なんて、絶対嫌ですね」

知る人「まあ、私は医学系のドシロウトだからな、私の見立ては見当違いかもしれぬ。ただ、はっきり言ってよいのはだな、その状態が今後も続くとなれば、君は使い物にならぬ職業人で終わることも覚悟すべきだということだな。悩みながらも少しずつ前進するのが社会人の正常な姿だ。違うかね」

問う人「このままでは・・・という危機感はあります。でも、どうすればいいのか」

知る人「経理の仕事は好きな方だとのことだが、それ以外に何かやってみたいことや、本当はこういうのになりたかった、といった願望を胸にしまってはいないかね。あればここに出してみてほしいのだが」

問う人「とくにこれ、っていうのはないです。とにかく地味で目立たない、よく言えばまじめな人間として育ちましたから、黙々と働く経理みたいな分野は向いてるんだろうなって思ってます。でも、簿記ができる人は全国にいっぱいいますよね。僕がやらなくたって、誰かがやる。今の僕は、いくらでも代替のきく存在でしかないんです。余人をもって代えがたい、っていう言葉がありますよね。ああいうのとは全く対極にいる、ただの頭数に過ぎません。頭数になるために生を受けたのだと思うと、何だかやりきれなくて」

知る人「考え過ぎだな。それだけの思考力があるなら、もっと実践的な方向に自分を向けていった方がよい。頭の中だけで考えるのであれば、悲劇だろうが喜劇だろうが、何でも作れるからな。だが、現実の君は、いかなる劇の主人公でもない。日々を地道に生きる生活者のひとりだ。頭数というなら、ほとんどの大衆はそうだろう。この仕事は自分がやったのだ、と、やたらと自己の実績を強調する職業人もいる。まあ、こういうのはサラリーマンに多いがね。が、よほど難易度の高い大仕事でなければ、誰にでもできるのだな。余人をもって代えがたい、と本人は信じ込んでいるかもしれぬが、実際はいくらでも替わりがいるのだよ」

問う人「ということはですね、世の中みんなが、誰にでもできる仕事しかしてないってことでしょうか」

知る人「それぞれの分野で必要な教育を受けた人材ならば、と但し書きが要るがね。考えてみよ、代替のきかない人物ばかりで、組織が成り立つと思うかね。言葉は悪いが、容易に首のすげ替えができるのが組織の便利なところなのだ。自分は貴重な人材だ、と思いたい者はそう思っていればよい。大切なのは、自分は役に立っているという実感なのだな。これが昨今うるさく言われる<やりがい>の本質であろう。社会に必要な仕事をして満足なら、何も文句のつけようがあるまい。世の中も組織も個人も、そしてその家族も、みんながうまくいくのだからな」

問う人「ただ、それでは僕の疑問に対する答えとしては、いささか」

知る人「君が何の為に産まれてきたのかなど、君の母親ですら知らんよ。ただ、産まれてきた以上、君には他の人たちと同程度か、或いはもっと高い程度で、役割というものがある。勘違いしてもらっては困るが、これは君にしかできぬという意味ではない。自分の役割を、自分だけの使命に昇華させられるか否か、それは君の努力次第だからな。とにかく誰にも世の中に役割があり、それを自分の務めとして日々精進するのが正しい生き方なのだ。今の君は、その役割が何か見えておらぬ」

問う人「それは何なのでしょうか」

知る人「地味で目立たぬまじめな人間だと自らを評したね。今の時代、そういう人間類型は軽んじられる傾向にある。目立ちたがり屋、一発当てたがり屋がそこらじゅうにウヨウヨいるではないか。街角で楽器を携えて歌っている若者を見るがいい。彼らは歌うことが好きだからやっているのではない。あわよくば・・・という野心を胸にしまい込んでいるのは明白だ。しかるべき手順を踏まず、世の中のオイシイところだけをさらっていこうというケチな了見に過ぎぬ。少々長くなったが、君の役割はだな、<地味でまじめ=人生の王道>というメッセージを、働きながら社会に流布していくことなのだ。まじめに働きたがらぬ国民が今以上に増えれば、この国は立ち行かぬであろう。君たちまじめ人種が次代を支えるのだ。地味でまじめな人間が、いつか必ず社会の主役になる。いいかね、

<まじめ>が世界を制覇する

・・・これを忘れるな。君のような役割の者が増えれば、この国は必ずよくなる。地味な人間に産んでくれた両親に感謝することだな」

(了)

2459字。90分。

 

 

 

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