人は死して何を残す
【祖父が108歳で亡くなりました。シベリアでの捕虜生活も、数々の地震などの災害も乗り越えて生き抜いた鉄人でした。まったくいなくなったと思えなくて…死んだらどこにいくのでしょう。妙な質問ですが】
知る人「存在感のある人の死に遭遇すると、どかんと穴が開いたように感じることがある。今の君の心境がまさにそうだね」
問う人「そうなんです。自分にとっては偉人と言っていい人でしたので、実体は火葬場で焼かれたにしても、まだ残っているものがある気がしてならないんですね。いい歳してこんなこと言うのも変なのでしょうが」
知る人「50代かな」
問う人「ええ、55になりました」
知る人「虎は死して皮を残すという。死んでも美しい毛皮を残す、それと同じように人間も名前を残さねばならぬ・・・といった意味だそうだがね。君、この諺についてどう思う」
問う人「名を残すというのは、○○氏は立派な人だったと語り継がれるようであれ、という意味でしょうか」
知る人「まあそんなところだろうな。この場合、<名>というのがどの程度深い意味を持つのかわからぬのだがね、文字通りに解釈してしまえば、やや残念な諺だと言わざるを得ぬ。<功成り名遂げる>という表現があるように、まず<功>があり、次に<名>だと私は思っている。つまりだな、実績ありきなのだよ。世の中がよくなったり、自分たちの町が住みよくなったりしたとき、完成型としての社会や地域の恩恵を受けても、そこからもう一歩踏み込んで、こうなったのは誰のおかげか、或いは誰の活躍でこうなったのか、というところまで思い至ることは少ないだろうね。それをしたのが故人だとすれば、当人はあの世から叫んでいるかもしれぬ、『それをやったのは私だよ』とね。だがね、一歩ひくことを知る者は、実績だけを残して静かに退場する。人助けしておいて、名乗らず去ってゆく人がいるだろう、あれと同じだな」
問う人「知る人ぞ知る、ってところですか」
知る人「そうだね。時間が経てば、誰かが気付くのだろうが、当人は既におらぬ。死んでから認められても意味がないと思う者もあろうが、実績があれば、名前などどうでもいいのではないかね。人々の記憶に残ったとしてもだな、その人々もいつか死んでゆくのだよ。結局は忘れ去られるのだ。歴史上の人物にでもなれば話は別だが、そんな偉人はめったにおらぬ。君のじいさんは、偉人として君の心に刻まれている。これだけでじゅうぶんだと私は思うがね。まだ何か必要なものがあるのかな」
問う人「いえ、じいちゃんとワタシの絆さえしっかり残れば、それで」
知る人「死して皮を残す、という表現がどうも嫌いでね、まあ、私の解釈が間違っているのだろうが、皮=上っ面 という印象が拭えぬ。言ってみれば”見せかけの成功”だな。今の時代、成果だけを手にしたがる結果偏重型人間で溢れておる。こういう輩は、まさに皮を残したがるのだ。あのひとスゴーイ、めっちゃエラーイ、と言われたいのだろう。評価する方もされる方も上澄みを掬うことしか知らぬ。かくして本物が忘れられていくのだな。君のじいさんは<本物>であろう。それならば、残された君にできることはただひとつ、じいさんの遺志を受け継ぐことだ。過酷な環境で生き延びたたくましさや生活の知恵、勇気など、君がじいさんから学ぶべきことは多いはずだ。それを実践してようやく、じいさんが浮かばれるというものだよ。違うかね」
問う人「おっしゃる通りです。ただ、その、何と言いますか、ワタシの疑問はそれだけではありませんのでして… あのですね、死んだ祖父の魂はどこに行ったのか、という点なのですが」
知る人「霊界という言葉がある。実際、恐山のイタコに代表されるが如く、死者の言葉を語る専門家がいるね。死んでも魂は残るはずなのだ。が、生まれ変わりだの何だのと宗教界で言われているようんことは、申し訳ないがどうも信じられぬ。君はどうかな」
問う人「同感です。百歩譲ってですね、誰かが何かに生まれ変わったにしても、いったいそれをどうやって証明するのでしょうね。昨今流行りの”遺伝子”でしょうか」
知る人「何をもってしても証明はできまい。私は常々考えるのだがね、今まで全世界でおびただしい数の人間が命を失った。死者の総数を割り出せば莫大な数になろう。これらの中には、君のじいさんのように、まじめに生きた真摯な生活者が多かったはずだ。この人たちは社会に疑問を感じていた、なぜこんな理不尽なことがまかり通るのか、どうして貧乏人が損をせねばならぬのか、等々。このような思念があまた集まり、堆積して層となったとき、一定の力となり得るのだと私は思うのだな。俗な言い方をすれば、人の思いの塊だな。この塊は、現世に向けて常にメッセージを発し続けている。真面目な人がバカをみて、要領のいい奴が偉くなれるこの人間社会を良くせねばならぬ、現世に生きる者の中から出でよ、志高き勇者よ、とね。これこそが人類の意識の中に存在し続ける<神>の正体ではあるまいか」
問う人「つまり、人が死ねば神になる、と」
知る人「神になるというか、神という力の一部の構成要素になり得ると言った方が正確かな。これはまあ、神学者などからすれば噴飯ものかもしれぬ。だが、神の名においておこなわれる戦争や、信仰心の厚い人が非業の死を遂げるなど、従来の神概念で説明できぬことがある以上、神解釈もさまざまあるべきだと思うね。堆積された思念=神 というわけだ。いつか詳細に論じたいが、今回はここまでにしておこう」
(了)
2256字。