日本は砂上の楼閣か
【最近、日本の歴史が信じられなくなって困っています。ホントに2000年以上も続いているのでしょうか。軽薄な昨今の風潮を見るにつけ、自分たちが連綿と続く民族史の末端にいるとは思えないのです…】
知る人「イエスキリストが誕生した時、日本列島には私たちの祖先がすでに暮らしていた。何人住んでいたのかはわからんがね。念のため聞くが、君の質問は、こういった史実そのものへの疑問ではないね」
問う人「もちろんです。数千年の歴史を有する民族にふさわしくない現状を嘆いているわけでして」
知る人「中国や朝鮮を見ればわかるように、軽薄化はわが国だけの傾向ではない。爆買いなどともてはやされている中国人観光客を目にする機会は多いが、彼らが孔孟の子孫とはとても思えぬ。人というより、巨大な”消費者育成工場”で作られた駒と言った方がよかろう。南朝鮮も似たようなものだ。だが、わが国はさらに酷いね。人間から人格を抜き取る技術が確立され、不動の地位を築いてしまったようだ。中国も朝鮮も日本より古い国だが、人心を荒廃させる技術という点では我が国が先輩だな。とんでもないものをまき散らしてしまったものだ」
問う人「極東は歴史ある地域です。なぜ軽薄な印象が支配的になったのでしょうか」
知る人「今しか考えないという刹那主義が浸透したからだろうな。貧しかった時代、日本も隣国も、庶民は先の展望の持てぬその日暮らしだった。が、これは現代とは本質的に異なる。貧しさゆえに、先を見るゆとりなど皆無だったのだ。その日生きるのが精いっぱいだったのだからな。今はどうだ。21世紀型錬金術が蔓延したせいで、努力なしで果実を手にする者が急増している。何を血迷ったか、新入社員に年俸1000万円を確約する企業まで現れた。人生の基本は修練であり鍛錬であったはずなのだが、皆カビ臭いものとして遠ざけられてしまっているのが現状だ。要するにだな、誰もが目の届くところに金づるが転がっているから、今だけ考えていればよくなったのだ。典型的な例が、昨今はやりの”人生100年時代”という言葉だな。これは、百年の計を案ずるということではない。今の安楽がこれからも続きますように、という浅はかな願望に過ぎぬ。数十年先をちらつかせれば、今売れている商品・サービスのリピーターを増やせるからね。ソロバンをはじいた結果生み出された安易なスローガンなのだよ。100歳になったときに備えよというのではなく、現在の消費生活をまだまだ続けましょう、と煽るところでとどまっている。先を見据えた賢明な生活者を育成する目的で考案された標語ではないのだ。言い換えれば、”楽して生きよう100歳まで”といったところだな」
問う人「これでいいとは思えないのですが」
知る人「間違っているね。人生100年を言いたいのなら、長生きできる肉体と精神、そして長生きするにふさわしい社会の建設に思い至らねばならぬ。火中の栗を拾う覚悟がなければ、理想の人生を求めることなどできないのだよ。今さえよければ、今さえよければ、と繰り返しているうちに、見たくないもの、聞きたくないことにはフタをされ、多くの難題が次代へと先送りされてゆく。気の遠くなるような赤字を見ればわかるように、わが国には掃いて捨てたくなるほど難問が山積している。が、これら難問を前にして私たちが身に付けた処世術はただひとつ、 苦しいことは次へ送ろう という姿勢を貫くことだけだ。2000年以上の歴史を感じさせぬ軽薄さの正体はこれだよ」
問う人「それはつまり、世代間の断絶と言い換えてもいいのではありませんか」
知る人「その通りだ。次世代との断絶は言うまでもないが、日本を作ってきた世代との間の架橋を拒否する姿勢だな。他民族と同様、わが国でも、膨大な数の人々が生まれては死んできた。これら全てが現代人よりまじめでよく働いたとは言わぬ。しかし、民族の礎を築こうと血みどろになって闘った偉人たちも間違いなく存在した。規模の大小にかかわりなく、国家には土台がある。礎石を尊重し、何をするにも常にその上から積み上げてゆくことを意識している民族は、長い歴史にふさわしい風格を備えているものだ。礎を無視した軽薄な行動原理に支配されている限り、わが国は爆買いの舞台としての価値しかない、バーゲン会場の如き国家であり続けるであろう」
問う人「礎石を意識する、とは、先人たちの知恵を借りる、ということでもありますよね」
知る人「少々浅くなるが、まあ、そうとも言えようね。砂上の楼閣というのは、土台がなくてすぐ崩れそうなあいまいなものごとの例えだが、わが国の場合、他国に劣らぬ礎を築いていながら、それの及ばぬ遠隔地にあえて城を築こうとしているのだ。本体は盤石であるのに、歴史を無視した逸脱行為のために、あたかも砂上の楼閣の如き様相を呈している。日本列島に長く根を下ろし、大地と共に生き続けてきた日本人の歴史を、私たちの代で終わらせるわけにはいかぬ。民族の礎をあらためて見直し、刹那主義を拝した真の純日本的行動の第一歩を踏み出すのだ。それは、荒廃著しい今をおいて他にあるまい」
(了)
2090字。