誠実な日本人よ、どこに
【誠実とか正直とかいう表現が、最近は褒め言葉ではなくなった気がします。計算高いのが普通みたいな風潮が定着したのではないでしょうか。ギブ・アンド・テイクもいいかげんにしてくれと言いたいですね】
知る人「自分はこうしたのだから、あなたはこうしてくれ、或いは、自分がこうした場合あなたはどうしてくれるのか・・・世の中どこへ行っても、何をやってもこんな感じだ。そう言いたいのだろう」
問う人「そうなんです。いちいち例を挙げるまでもないと思いますが、とにかく何をするにも見返りを要求されるのですね。僕はまだ若いので昔は知らないですが、ずっと日本はこんな国だったのでしょうか」
知る人「まあ、私も戦後生まれだからな、あまり古い時代のことは知らぬ。だが、昔の小説や映画や、その他、時代を映したものに触れてみると、確かに今ほど殺伐とはしていなかったようだな」
問う人「お年寄りの話なんか聞くと、必ず、昔はよかったって言われますよね」
知る人「あれは老人の常だ。いや、年配者の、と言った方がいいかな。自分より若い者に対して、その若者が知らない時代の話をして懐かしがるのはよくあることだからね。君だって、学生に自分の若い頃を話すことがあるだろう。それと同じだよ。ただ、昨今の風潮の変化には、年配者の常だなどと言って見過ごしてはならぬものがある」
問う人「それが僕の言うギブ・アンド・テイクということですよね」
知る人「そう。今の我が国を支配している巨大な力が、人間関係も規定してしまった。言うまでもなく、<市場原理>だ。すべてが需要と供給の二語に収斂してゆく。結果として、常に損得感情が先行する人間関係が当たり前になってしまったのだな。見返りを求めない者を愚か者呼ばわりする。儲けた者だけを成功者と呼ぶ。その反動として、ボランティア的な無償行為を実体以上に賛美するのも見逃せないね。一服の清涼剤として、何かを美談に仕立てるわけだ」
問う人「そうやって均衡を保っているつもりかもしれませんが、世の中はじわじわといびつになっていく気がするんですよね」
知る人「つい最近、米国の某大富豪氏が、金持ち税みたいなものを自分たちに課すべきだと主張して話題になっただろう。あれなどまさに、不均衡社会を象徴する出来事と言ってよかろうね」
問う人「どうすれば、もっと過ごしやすい世の中になるのでしょうね」
知る人「有償行為に対抗できる無償行為を確立する、というのも一つの考え方だが、それよりも、金の持つ力を過信する風潮から改めていくのが先だな。社会を回しているのは間違いなく金なのだがね、これを汚いことのように思う傾向がある。我が国は金銭感覚を養うための教育をしないからな。金とは何か、幼少の頃から分かっていれば、成人してからそれに振り回されなくて済む。金で買えるもの、買えないものの区別ができていれば、今のように、何に対しても見返りを要求するあさましい態度は影を潜めてゆくであろう」
問う人「お金の力を過信するな、と」
知る人「そうだ。人間関係の基礎にあるのは金ではない。家族を見よ。師弟関係を見よ。恋人同士を。親友を。金がなくとも成立するはずだ。何でも金で買えるという過信が、遺伝子すら操作してしまう恐ろしい時代を生んだのだよ」
問う人「どうすれば世の中は変わりますか」
知る人「金に勝てる人間が増えることだろうな。今、カネはヒトの上位に居座っている。よく言われるように、 ヒト➡モノ➡カネ の順に戻さねばならぬ」
問う人「はあ、しかしそれはいったい、どんな人間なのですか。イメージが湧かないのですが」
知る人「金では測れぬ能力を見につけるしかあるまい。何があっても、わが国ではすぐに経済効果が測定される。失われた人命より、経済的損失が大きく報道される。人間が人間を舐めているのだよ。たかが人間だ、とね。AIを鬼神の如く恐れるのを見てもわかるだろう。足し算引き算でしか世の中を測れぬ人間の末路だ。人間の歴史を紡いできた力は金ではない。無数の先人たちの知恵と学習と実行力なのだ。言葉では説明できぬ人間を目指すのだ、わかるかね」
問う人「よくはわかりませんが。ただ、何となく」
知る人「まずはそれでいい」
(了)
1716字。