趣味は私的な夢の世界
【英米ポップスを聴くのが趣味なんですが、職場の上司から、ビジネスマンならクラシック音楽に親しんだ方がよいと言われています。人事権のある人の言うことですから無碍にはできず、さりとて…どうしたものでしょう】
知る人「単刀直入に行こうと思うが、その上司に逆らうとどうなるね。出世に即響きそうかな」
問う人「即かどうかは何とも言えないですが、心証悪いのは間違いないですから、ジワジワと窓際に追いやられていくかもしれません。まあ、そうなってみないとわかりませんけど」
知る人「イヤな上司ではないのかな」
問う人「そうですね。ビジネスマンとしても、管理職としても優秀な人物ですよ。僕は上司に恵まれてるって思ってるくらいですから」
知る人「それならば、まず結論から言おう。クラシックの中で、多少なりとも興味の持てそうなものをいくつか選んで、CDを借りてきて聴いてみるのだよ。君の好きな趣味の邪魔にならぬ程度にね。それで、その上司に尋ねられたときにある程度の答えができるよう準備しておけばよい。業務ではないのだから、いちいち報告する必要はないが、訊かれてうろたえるのは得策ではあるまいね。言葉は悪いが、適当に話を合わせる術を見につけるのも、サラリーマンには必要なことだ。どうかな」
問う人「なるほど。それならできそうです。さっそくやってみます」
知る人「その上司がどういう心境で君に語ったのかわからぬが、まあ、そうだな、クラシックもいいものだよ、くらいの意見だったのなら、気にすることはないだろうね。だが、ビジネスマンはかくあるべしという観念にとらわれている輩もいる。つい先日、某有名経営者氏が、ビジネスマンに推奨する趣味として三つ挙げていた。くだらない文章だったので最初しか読まなかったのだがね、そこでこの人は、<アート>に親しむべし云々と持論を展開していた。アート=芸術だな。幅、奥行きともに極めて広大なる世界だから、とても一言では言い表せぬが、おそらくこの人物は、一流のビジネスマンたる条件として言いたいのだろうね。だが、私に言わせればだな、そんなのは余計なお世話というものだ。アートだろうが便所の落書きだろうが、その本人が好きならいいのだよ。ああ、便所に落書きしろと言いたいのではないぞ、わかるね。要するに、趣味とは何か、この経営者氏ははき違えている。世の中には大きく分けて二つの柱がある。一つが義務、もう一つが権利だ。私たちは、義務でメシを食い、権利で人生を楽しむ。義務は苦行だと言っているのではなく、好き嫌いに関わらず、とにかくやらねばならぬのが義務である。仕事がその典型だな。が、権利は違う。本人が楽しくて、誰の迷惑にもならなければ、何をやろうが自由なのだよ。趣味とはまさにそういうものだ」
問う人「格調高いものでなくてもいいんですよね、自分が納得していれば」
知る人「そう。ビジネスマンはアートに親しむべし、という考え方は、業務命令の延長線上にあると言ってもよかろうね。いい仕事の陰にいい趣味あり、と言うと、もっともなアドバイスに聞こえるのだろうが、さにあらずだ。他人から見ればバカとしか思えぬことであっても、本人が好きならそれでよい。他人が口を出すのはおかしいのだ」
問う人「切手収集でも、昆虫採集でも、好きならいいですよね。確かに、他人が口を出すのはおかしいですよねえ」
知る人「安部公房氏の名作『砂の女』の主人公は、昆虫採集が趣味だった。まあ、あれは趣味の範疇を超えていると言っていいくらいだったがね。作品の冒頭に、昆虫採集を趣味にするような人間は云々とのくだりがあるが、あれは物語の進行上で必要だったからであって、安部氏の考えではあるまい。あれも立派な趣味だよ」
問う人「趣味って何なのでしょうね。けっこう曖昧と言うか、難しいもののような気もするんですが」
知る人「先に紹介した経営者氏のような輩が、本来素朴で単純なはずの<趣味>概念を難解にしてしまったのだよ。人生は義務と権利というふたつの輪で進行するものだ。どちらか一方に偏れば、正しく前に進めなくなる。メシの種だけあればよい、というのではないのだよ。決してメシの種にはならぬとしても、権利は義務と双璧を成す最重要概念なのだ。だからこそ、損得勘定抜きで思い切り楽しめるのだな。仕事の役に立つ趣味もあるだろうが、その観点が先に立つようでは、もはや趣味とは言えぬ。義務と権利の両輪がフル回転するのが健全な生き方なのだよ。好きなことを好きなだけやるがいい。もちろん、本業の邪魔にならぬ程度にね」
(了)
1865字。