科学だけが学問なのか
【まもなく40歳になる男性です。営業職なのですが、上司から長年「営業は科学だ」と言われ続け、科学的思考を身に付けようと勉強しているのですが、疲れ果てました。頭が悪いのは、もう治らないのでしょうか】
知る人「上司は幾つで、どんなタイプなのかな」
問う人「50代半ばでして、大学では物理をやっていた理系人間です。計数感覚は抜群で、確かに優秀な人物ではあるのですが、観察・仮説・論証といった言葉をひんぱんに使う理詰めなタイプで」
知る人「いっしょにいると疲れるだろうな。私の最も苦手な人種だ」
問う人「デカルトやらニュートンやらの著作を愛読しているらしく、僕にもそういうのを読めと薦めるんですけど」
知る人「読んでみたのかね」
問う人「書店で立ち読みしてやめました」
知る人「正解だ。今さらあんなものをひもといたところで、何の役にも立たぬ」
問う人「まあ、要するに上司の言わんとするところはですね、科学的に物事を考える習慣を身に付けろということらしいんですね」
知る人「なるほど。それで、高尚なる学術書を読めと」
問う人「はあ。僕は学生時代に文学部の史学科に在籍したんですけど、あまり面白くもなくて。何の学問も修められなかった半端な人間なんです」
知る人「それで、社会人になって後悔したかな」
問う人「してません」
知る人「それならそれでいいではないか。史学科にいたということは、歴史には関心があったのだろう」
問う人「はあ。でも、なぜか身が入らなくて。実は好きじゃなかったのかなあ、なんて」
知る人「歴史小説は好きかな」
問う人「好きです。友人には司馬遼太郎や吉川英治ファンが多かったですが、僕は吉村昭が好きでした」
知る人「けっこう。君のようなタイプはごまんといる。要するにだな、歴史は好きだが歴史学は興味の外、という種類の人たちだよ。これはあらゆる分野にあてはまるだろうな」
問う人「物語は楽しいけど、学術書でそれを分析されちゃうと、どうも及び腰になると言いますか」
知る人「歴史好きが皆歴史学者になるわけではないからな。君はごく普通のコースを辿っていると言ってよい。決して半端な人間などではないと私は思うが」
問う人「そうですか。でも、ウチの上司からすると、科学的に考えることに慣れていない奴、というふうに映るようでして」
知る人「その上司がどの程度”科学的”なのか知らぬが、おそらく、ひとつの大きな知識体系のなかで自分を磨いた経験があるのだね。学問を修めるというのは、ひらたく言えば、ある分野の知識を、一から十までまんべんなく習得することだ。興味のある部分だけ拾うのではなく、好き嫌いの別なく体系的にマスターしなければ、学のある人とは言えぬであろうな」
問う人「上司はそういうのを僕に求めているのでしょうか。かなり荷が重いですが」
知る人「物事を順序良く筋道立てて覚えてゆくのはいいことだよ。直観に頼る場合もあろうが、それは、じゅうぶんな思考訓練を経たのちでなければ、決して長続きせぬ。数年に一度しか閃きがないような人間は、ルーティンで固められた職場では役に立たぬであろう。要は自分なりの思考回路を頭の中に確保することだな。それさえできれば、理系上司など恐るるに足らずだ」
問う人「でも、やっぱり科学を勉強しなきゃいけないんですよね。物理とか、化学とか」
知る人「何を科学と呼ぶか。これはその人が何を専門とするかによって違うだろうな。一般的には、自然科学・人文科学・社会科学の三つのどれかを指すのだが、その上司が想定しているのはたぶん自然科学だろうね。自然科学者のなかには、経済学ですら非科学だとみている向きもある」
問う人「なぜでしょうね」
知る人「論証の根拠が弱いからだろう。自然科学の方が、その点ずっとわかりやすい。自然は実験室で再現できるからね。だが、人間に関わる分野はどうだ。我ら人間には心がある。それも、人の数だけ違う心がね。これを科学的に分析し、一定の結論を出すのは至難の業だ。が、自然科学者への対抗意識からか、社会科学者ほど<科学的>という言葉を使いたがるね。物理などやっている者からは、一段低く見られるから、よけいそうなるのだな」
問う人「はあ、なるほど。で、僕はどうすればいいでしょうか」
知る人「営業マンだろう、君は。それなら、こう仕掛ければこうなるのでは、という仮説を立てて、それを検証する。これを繰り返していれば、やがて自分なりの営業論、或いは営業哲学が生まれるのではないかな」
問う人「上司がそれで納得するでしょうか」
知る人「納得させるのだよ、いい仕事をして。君のようなタイプは、書物から学ぶより、徹底的に現場を歩き、そこから真理を抽出するべきなのだ。筋道立てて考える力というものは、読書をしなくても獲得できる。ただし、新聞は読みなさい。情報武装は必ず万全にしていなければならぬ。あとは現場主義だ。顧客の声がすべてだと思いなさい」
問う人「はあ。それでもやっぱり、学がないなんて言われたら・・・」
知る人「科学的でなくてもいいのだ。実験室に馴染まぬ学問はたくさんあるだろう。科学万能主義が、どんな未来を私たち人類にもたらしたかね。科学を信じるのではなく、人の心を信じるのだよ。心を学びなさい。心理学ではない。<心>だ。理詰め思考の先に待つのは、薔薇色の未来ではないのだ」
(了)
2172字。