晩成する大器とは

【40代既婚男性です。幼少の頃、祖母から ”おまえは大器晩成型だね” と言われたことがあります。あれから30年過ぎましたが、妻子持ちとなった他は特に変化なく、このまま終わるのかなあと思っています】

 

 

知る人「要するに何だね、自分は大器でもないし、晩成型でもないのでしょうか、と尋ねたいのかな」

問う人「そうですね、質問という形にするなら、そうなりますね」

知る人「昔、即席麺のコマーシャルで、 ”3分間待つのだぞ” というのがあったが、君の場合、まるでバアサンに ”30年待つのだぞ” とでも言われたかのようだな。ただじっと待ち続けて、中年になった今、何も変化なしと嘆いているのか。この30年間で自分はこれをやったと言えるものが何かあるだろう」

問う人「ううん、そうなんですよね、何かなきゃいけないはずなんですが・・・中程度の大学に進み、世間並みの企業に就職して、そこで知り合った、これもやはり世間並みの女性と結婚して、娘二人の父親になりました。まあ、それなりにはやってきたつもりでいますが、必死で取り組んだこととなると、何もない気がするんですね。誰もがこんなものなんでしょうか」

知る人「そんなものだろうな」

問う人「そうですか」

知る人「・・・・・・」

問う人「何か言っていただけないのですか」

知る人「言うべき言葉が見当たらぬ。今から一念発起して努力精進して別人のように輝きたいのか、それとも、このまま年を取ってじわじわと消えていってよいのか。君のような凡人はたくさんいるから安心しろとでも言ってほしいのかね」

問う人「祖母がナゼ僕にそう言ったのか、理由が知りたいんです」

知る人「それならバアサンに直接聞きなさい」

問う人「もう亡くなりましたが」

知る人「霊媒師にでも呼び出してもらえばよかろう」

問う人「あの、本気で言ってるのですか」

知る人「ここは冗談を語る場ではない」

問う人「・・・・・・」

知る人「こんどはそっちが黙ってしまったな」

問う人「言うべき言葉が見当たりませぬ」

知る人「バアサンにそう言われたとき、君はどう思ったね」

問う人「意味が分からなかったので、あとで母に教わりました」

知る人「意味を聞いてどう感じたのかね」

問う人「ふうん、と言っただけで、特にどうとも感じませんでした」

知る人「40代の今は」

問う人「もうそろそろ、人生折り返しですから、自分はどうなるんだろう、という気はしますが」

知る人「このままで終わるとの危機感は」

問う人「不思議とないんですねえ、これが。まだ何とかなると言いますか」

知る人「救いの神が現れるかもしれぬと」

問う人「そうなんですよね、待っていれば何かいいことがあるような、ないような」

知る人「ううん、否定せぬところが面白い。能天気人種が急増殖を続けている我が国においてさえ、君のシアワセ度は群を抜いていると言う他ないね。おそらく、そのまま老化して、 ”そうか、人生ってこんなものか” などと納得して安らかに河を渡るのであろう。シアワセ見本市の総合カタログ縮小版みたいな男だ。そのような性格を授けてくれた親に感謝するのだな」

問う人「ずいぶん念入りにおっしゃいましたねえ。まあ、聞いたのはこっちですから、仕方ないけど」

知る人「ここは有料の相談所ではないからな、私は遠慮会釈なく言うことにしている」

問う人「怒った人なんかいませんでしたか、今までに」

知る人「いたね。昨年だか一昨年だか忘れたが、さんざん私を罵倒して去った若者がいた。当サイトを過去に遡れば出てくるがね。まあ、そんなことはどうでもよかろう。君の人生だからどうなろうが知らぬ。だが、ほんの毛先ほどにせよ、微小な不安または悔恨の念無きにしも非ず、というのが今の君の内心であろうと察する。その些細な部分が癌細胞の如く育ってしまう前に、ここで話しておこう。大器晩成という言葉は中国からきたものだが、その由来は知らぬ。調べればわかるだろうが、そんな暇はない。今の我が国でこう言われるのは、どんな人物だと思うね」

問う人「高齢というか、少なくとも、若いとは言えない年齢になってから成功した人のことではないですか。僕はそう認識していますが」

知る人「その通りだ。君がかつてバアサンにそう言われたということはだな、その時点の君には、若いうちに花を咲かせるような芽も種もないと思われたからだろう。そうではないかね」

問う人「ですよね。この子は近々何かしでかすぞ、と期待していれば、もっと別な表現になりますよねえ」

知る人「そう。青年期にそう言われておれば、バアサンの言葉は励ましにも慰めにもなっていないと感じたであろう。40代の現在なら、気休めはやめてくれと言うところであろうな。大器晩成の実例はこの際置いておくとしてだな、私の考えを述べておこう。分野によっても違うものだが、普通、人の能力というのは、なかなかおもてに顔を出さぬものなのだ。大器だから晩成せぬのではなく、本来、人は晩成するものなのだな。韓国や中国を見るがいい。幼児教育が大流行しておる。我が子に一旗揚げさせようと、親が必死になっているようだが、まあ、何というか、私たち大和民族からすれば兄か姉のような存在である朝鮮人、親の如き支那人が、見るも無残な刹那主義に陥ってしまったのは実に嘆かわしい。数千年の歴史を有する民族とは思えぬ。後輩国の日本から逆輸入された風俗や邪心の影響も多分にありそうだがね。とにかく、促成栽培の末路ほど惨めなものはない。人間には下積み期間が必要なのだ。思い通りの人間になれるか否かは別として、日本人の正道を歩むのであれば、時間と闘うのではなく、時を味方にせねばならぬ。一分一秒も無駄にせず、日々に感謝しつつ精一杯の努力を積み重ねていれば、いつか必ず芽が出るのだ」

問う人「ずいぶん気の長い話ですよね。今の若い子たちなら、ふふんって鼻で笑いそうな」

知る人「そうだろうな。国も、地域も、家庭も、正道を歩むことを教えておらぬからな。よいか、よく聞け。時を重ねることの利点はたくさんある。まず第一に、これは誰でもわかるだろうが、経験による知識が増え、頭の中に膨大なるデータベースが構築されるのだ。それに伴う人脈も大きな特長だな。さらに、これが最も重要なのだが、頭と心と体に蓄積された経験値・経験知・経験血というものは、ある量を超すと、変化し始めるのだ。熟成と表現してよかろうね。その結果、まったくの未経験分野に対しても、理解への道が開かれるようになる。経験を熟成させる。熟成されるまで経験を積む。これが時間をかけることのメリットだ。こうなれば誰にも負けぬ」

問う人「でも、時間かけ過ぎて死んじゃっても意味ないですよね。収穫があるから種まきは楽しいんでしょう」

知る人「いかにも。そうならぬために最も、そして唯一の心掛けがある。何だかわかるかね」

問う人「ううん、何だろ。計画性、かな」

知る人「うん、それも大切だな。だが、無計画に事を始めてはならぬということは、まともな成人なら誰でも知っていよう。そうではない。当たり前過ぎて肩透かしを食らったような気になるだろうが、 健康 だよ。心も体も健やかであらねばならぬ。老化とは、腰が曲がって頭がぼけることではない。熟成された人間になることなのだ。だが、君の言うように、収穫前に死んでしまっては意味がない。だからこそ、逆説的表現でわかりにくいかもしれぬが、 死ぬ気で健康管理せよ と言いたいのだ。大成するための条件は何だと問われれば、私は必ずこれを挙げる。古今東西において、不健康に足を引っ張られて志半ばで倒れた偉人がどれほどいたことか。私たち庶民の中でも同じだよ。健やかなる心身を得ていれば何事か成し得たであろう、と思われる人物はそうとういたはずなのだ。不健康こそ、運命の分かれ道と言ってもよいぐらいだ。君がどんな人間で終わりたいかは知らぬ。自分のことは自分で考えるがいい。他人を頼ってはならぬ。だが、ひとつだけヒントを与えよう。今私が力説したこと、つまり、健康の大切さだな、ここから逆に考えてみるのだよ。どんなに素晴らしい目標であっても、健康と引き換えにしなければ得られぬようなものは、決して目指してはならぬ。これは君だけにとどまらず、君の家族についてもあてはまるのだ。家族の誰かが我慢を強いられるようなことであれば、いくらやりがいがあっても即刻中止せよ。他人の忍耐が己の満足の条件であってはならぬのだ。本物の成功者とは、自分だけでなく、周囲の人々をも幸せにするだけの力を持っている。よいかね、君が大器か否か知らぬが、何事か成したいと言う気になったのなら、自分も他人も幸せになれる方法だけを考えなさい。これこそが真の 大器晩成型人種 なのだ」

(了)

3539字。

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