離乳食は、親が手で作れ
【WEBのニュースで、市販の離乳食市場が伸びていることを知りました。確かに、品質が向上したのはよいことに違いありません。うまく使い分ければいいのかも。しかし、これでいいのかと不安にもなりますね・・・】
知る人「何を不安に感じているのかね」
問う人「いろいろあって、一言ではいえないんですけど」
知る人「一言にまとめよ、などとは言っておらぬ。思いつく限り話してみなさい」
問う人「ええと、まず思いつくのが、商品を信じ切っていいのかという、市場に対する不安。次に、どこの親も市販品に頼るようになって、乳幼児が市販品を食べるのが当たり前になると、その子たちがどんな健康状態の成人になるのかという不安。それから、親子の温かくて心のこもった関係が、それで本当に醸成されていくんだろうかという不安。今思いつくのは、だいたいこんなところです」
知る人「いちいちごもっともだ。君が挙げてくれた三点に従って、論をすすめていこう。まずは市場への信頼度の問題。結論を言ってしまえば、市場とは完全には信頼できる場所ではない。銭に支えられているのだからな、いくらでも変質していくだろう。信頼した方が馬鹿をみるのは疑えぬところだな。ただ、商品開発をしているのは、私たちと同じ庶民であり、多くは人の親だ。乳幼児の幼い肉体を破壊したくてやっているものはおらぬ。自分の子に与えられるか否か、という観点で開発をすすめるだろう。その結果として、よい製品になる。これは実にけっこうなことなのだ。だが、彼らはそれを普及させて利潤を得なけらばならぬ。手作りでも既製品でもいいんですよ、といった姿勢をみせつつ、実際は商品の購買に誘導していく。なぜか。それが仕事だからだ。職業倫理という言葉はあるが、職業自体が、その倫理を破壊する力を有している。自己の職務に忠実であればあるほど、君のような疑念派の声は封じていかねばならぬであろう」
問う人「それを選ぶか、選ばないかは、消費者の手に委ねられているわけですが、よほど確固たる信念の持ち主でない限り、企業側に靡いてしまうのでしょうね」
知る人「それが売れるとなれば、さまざまな企業やその取り巻き連中、マスコミやらライターやらが、我れ先にと勝ち馬に乗ろうとするからな。生活者の周辺は、商品情報で固められ、包囲される。ご近所さんたちの誰もが、ママ友みんながそれを買う。自分も買わざるを得なくなろうね。消費者主権などときれいごとを言っても、最後に勝つのは強者なのだな」
問う人「信念、ですね。強くならなきゃ。長い物には巻かれろ、では生き抜いていけませんよね、これからの時代は」
知る人「そうだな。二つ目にいこう。市販品を食べ続けた乳幼児が、どんな成人になるのかという不安だ。これについて、明確な回答はない。市販離乳食で育ったおとなが一定の勢力になるというのは、まだ私たちが経験していない未知の時代だからね。専門家も、満足な臨床データを持っていない。実に無責任な言い回しをすればだな、そうなってみないとわからない、という他あるまいね。だが、或る程度の推測は可能なはずなのだ。戦後の食品公害事件を振り返ってみよう。カネミ油、森永ヒ素ミルク、有機水銀入り魚類(水俣病)等々、社会問題となり、いまだに後遺症に苦しむ方々のおられる深刻な惨事があったね。これらはたぶん、氷山の一角に過ぎぬ。1970年にはいわゆる<公害国会>が召集されている。公害を主題に据えた特撮ドラマ『宇宙猿人ゴリ』が始まって人気を得たのがその翌年、1971年だった。子供向けドラマの主題になるぐらいだからな、この時期すでに公害問題はそうとう深刻なレベルにあったのだ。さて、仮に、1970年を規準としてみよう。この年に乳幼児だった人たちは、今の50代前半だ。心身ともに、さまざまな不健康要因を抱えた世代だと言ってよい。彼らの不健康と、国会にまでとりあげられた公害問題が無関係だと誰が言いきれるかね。医療は格段に進歩した。だがその一方で、医者がさじを投げた難病も増加している。世界最先端の医療技術を駆使しても治せない病気だ。医療技術の進歩に負けぬほどに、医師にとって難易度の高い症状が現れてくるのだよ。工業製品に毒された食生活がもたらした惨状だと言っても、誰も反論できぬはずだ。星新一や小松左京といった正統派SF作家たちが、作品の中で予言した未来が、少しずつ現実のものとなりつつある。人間が人間を破壊するのだから、誰にも文句は言えぬ」
問う人「自業自得ってことですか。でも、偽情報に踊らされず、まじめに商品選択して、環境への悪影響を最小限にとどめようとした人々も同じ未来で苦しまなければならないっていうのも、納得いかないですよね」
知る人「そうだね。まあ、まずは自分自身、そして、家族など身近な人たちの食生活の見直しだな。最後に三番目だ。市販離乳食に媒介された親子関係はいかがなものか。本日付のヤフーニュースに書かれた記事は、次の文章で締めてある。
手作りにこだわるより、楽しい食事の時間を作る方が大事。そんな当たり前のことを改めて学んだ。
・・・8月20日5時5分配信の読売新聞オンライン版の記事だ。はっきりと、離乳食市場拡大の一助となろうとしているのがわかるね。この結びの書き方に従えば、即席品でも店やもんでも、食事が楽しければそれでいいということになる。現実を直視せず問題を先送りする、という私たち現代人の悪しき習性が見事に露見した態度と言わざるを得ぬ。この論調が、1970年の公害国会を歴史に封じ込めたのだ。常に歴史を見世物にして、未来を築くための教科書として活用することを厭う刹那的人生観に、わが国はすっかり支配されてしまっている。話が長くなるから、ここらで締めていこう。離乳食は、母または父が手で作るのが原則である。親の手作りは、必ず子の体にジワリ浸み込んでいくものだ。これこそが親の責任なのだよ。我が子の体は自分で作らねばならぬのだ。いくら仕事で忙しくとも、食材について勉強して、どれが我が子に最適であるか、知恵を絞るのだ。そうすることで、親の意識の中に、育児というものが血肉となっていくであろう。これも人の親になる利点のひとつだ」
問う人「離乳食を市販品で間に合わせようというのは、それだけ女性が忙しくなったということの現れでもありますよね」
知る人「忙しくなった女性たちは何をしているね。歩きスマホがやめられないなら、せめて離乳食の手作りノウハウでも収集するべきだろう。空き時間もないほど多忙な人間などおらぬ。仕事中毒で有名な日本電産総帥・永守重信氏ですら、知人からもらったりんごでアップルパイをつくったりして生活を楽しんでいる。そこらのビジネスパーソンにできぬはずはないのだよ。育児のために自分の時間がとれないと嘆く女性もいるが、馬鹿も休み休み言うがよい。育児とは、次代を担う人材を育成する崇高なる仕事であり、神から授かった魂を磨き上げるという極めて神聖な作業なのだ。これはすべてに優先する。自分の時間が減るのは当然であろう。だが、例えば小説家の山村美紗氏は、デビュー作執筆の際、子供が遊んでいる庭にマイクを置き、その音を聞きながら書いたと述懐している。また、子供にみかんの皮をむかせ、その合間に書いたとも。要は時間の使い方なのだな。企業経営者でも、過労死しそうなほど忙しい人物が、年間数百冊も読書していたりする。離乳食作りが仕事の妨げになると言っている女性たちは、女性の社会進出をすすめる風潮にうまく乗っかっているだけであってだな、そこに確固たる信念などはないのだよ。夫が協力してくれないのなら、もっと夫婦で話し合えばいいではないか。夜通し夫婦で話し合えば、何らかの方向性が見えてくるはずだ。それもせず、ウチのダンナは家事に協力しないなどと不満を言う。ああ、ここらで締めていこう、と言ってから延々と喋ってしまったが、もうまとめねばなるまいね。育児とは、家事の一部分に非ず。我が国の歴史を紡いでいくために欠かせぬ大事業である。炊事や洗濯と同列に論じてよいものではないのだ。必死で働くエネルギーがあるのなら、必死で育児をせよ。市場原理に惑わされてはならぬ」
(了)
3346字。