<24時間テレビ>。これぞ日本の恥

【今年もやっていますね、<24時間テレビ>。ここまで偽善色の濃厚なクズ企画が、おおやけの電波に乗るなんて。恥ずかしくて外国人には見せられません。恥をこれ以上垂れ流さないために、私たちは何をすべきでしょうか】

 

 

知る人「<24時間テレビ>をそこまで罵倒する根拠は何かね」

問う人「障害者を見世物にして、視聴者から寄付金をかき集めている。出演者は高額のギャラをもらっている。無理やり泣かせよう、感動させようとしているような内容ばかりで辟易してしまう。それから、ええと」

知る人「もういい。君の言う程度のことなら、WEB上にごろごろ転がっている。出演拒否している大物タレントなど、批判的態度の著名人も少なくない。君ぐらいの反対意見であれば、日本テレビにとっては痛くもかゆくもあるまい。おそらく来年も同じことをやるだろうな」

問う人「では、どういうふうに批判すればいいのでしょうか」

知る人「同情と感動に値段を付けた。これが<24時間テレビ>最大の罪だ。どちらも金では買えぬし、買おうとするべきでもない。芸術を見て感動するのは、それが美しいからだ。どんなに貧しくとも、真摯なる芸術家は感動を売ろうとはせぬ。一杯のかけそばだの、コーヒーが冷めないうちに云々だのと、感動商品が書店に並ぶが、すぐ古書店行きだ。日テレは、それを24時間も垂れ流して平気なのだから、あの会社は異常者の集まりだと言う他あるまい」

問う人「そうですよね。たぶん、日テレの社員は感覚が麻痺しているんじゃないでしょうか。世間の笑いものになっていることに気付かないんだから」

知る人「それを支えるスポンサーがわんさといるからな。彼らスポンサー企業は、自社の商品・サービスの売り上げ向上につながることなら何でもやる。公序良俗違反ギリギリまでやるだろう。とりわけ、<24時間テレビ>はもはや青息吐息の企画だと薄々感じているはずだから、なおのこと、今のうちに儲けておこうという肚なのだよ。コンプライアンスだのときれいごとを言ってはいるが、奴らは金こそが正義だと信じて疑わぬ。社員一人一人は人間らしくとも、集まれば無表情の集金マシーンになってしまう。考えてみよ。スポンサーの支えがなければ、あのような茶番が成り立つわけがないのだ。テレビ局とスポンサー企業、それに、名を売りたくてたまらぬタレントどもが加わって、クズ企画が実現するわけだな」

問う人「スポンサー企業を攻めよ、ということですか」

知る人「違う。日本を代表する大企業ばかりだからな、まともに闘ったところで勝ち目はない。クズ番組を見て感動する低級な視聴者を啓蒙するのだ。世の中、馬鹿な奴ほど己が馬鹿だと気付いておらぬ」

問う人「ははあ、ソクラテスの言う ”無知の知” というやつですね」

知る人「ソクラテスの子孫がいたら、君は毒杯を飲まされるところだな。ソクラテスはそんな浅い意味で言ったのではない。・・・ああ、こんな話はどうでもよいのだがね、とにかくだな、無知蒙昧なる大衆が、<24時間テレビ>の如きクズ企画を支持しておるのだ。彼らにまず、自分がいかにオメデタイ人種であるか、気付かせねばならぬ」

問う人「はあ、なるほど。しかしですね、ひとくちに視聴者と言いましても、とんでもない人数でしょう。目を覚まさせるのは容易でないと思うのですが」

知る人「そうとう難易度が高い試みだろうな。まあ、一朝一夕で成せる業ではない。時間をかけるのだ」

問う人「どのくらいでしょうか。3年、いや、5年」

知る人「根こそぎ目を覚まさせるのは、そうだな、100年はかかるだろう。残念なことだが、わが国の主流は愚民なのだ。愚か者が国を支えている。莫大なる数だよ。政権与党が何でもやり放題なのは、有権者が無知蒙昧だからなのだな、わかるだろう。そして、愚民を愚民のままでいさせるのに、テレビというメディアは極めて重要な役割を担っている。同情も感動も、すべて上っ面だけの浅はかな使い捨て商品に過ぎないのだが、視聴者自身がそれに慣れ切っており、むしろ、真剣な、深刻な事例には拒否反応を示す。太平洋戦争がいい例だ。8月6日と9日に原爆に関する企画を放映するのは、いまやNHKだけであろう。愚民にとって、ホンモノの戦禍というのは、彼らの許容範囲をはるかに超えているに違いない。だから決してそのような番組は見ない。それより、足の不自由な人が必死で歩いたり、末期癌で余命いくばくもない病人がけなげに生きようとする姿の方が、愚民の意識サイズにピッタリはまるのだな。<24時間テレビ>最大の罪は、同情と感動に値段を付けたことだ、と私は言った。どういうことか、詳しく説明しよう。同情とは何か。他人に情けをかけることだ。そして、世間一般の同情、つまり<24時間テレビ>がかき集める程度の同情というのは、情けをかけただけで終わる。いやそんなことはない、ワタシは寄付しました・・・愚民どもはそう言うであろう。落ち着いて考えるがよい。あなたたちが寄付した額の何十倍何百倍もの高額が、タレントどものふところに収まり、テレビ局の決算書を輝かせるのだ。寄付する行動力があるのなら、まずはテレビを消せ。24時間垂れ流しがどれだけ電力を食うものか。その間、全国の家庭が居室の灯りをつけるであろう。夜更かししたために腹が減り、食わんでもよい夜食を腹に詰め込むであろう。使わないで済むはずのエネルギーが、24時間垂れ流し企画のために消費されてしまうのだ。これらを金額に換算してみよ、あなた方の寄付金など、その陰に隠れてしまうであろう。同情とはその程度のものに過ぎぬ。人の情けほど残酷なものはない。同情の目、それは憐みの視線である。カワイソウ…という目を向けられるのがどんなに屈辱的なことであるか、街を行く身体障害者に尋ねてみるがよい。情けをかけられるぐらいなら、無視される方がまだマシなのだよ。カワイソウ、と思うことで、愚民どもは満足する。気の毒な人がいると知って、自分は一回り大きくなったかのように錯覚して、人間とは云々、人生とは云々などと生意気な口をききたがるのだな。マイノリティの存在を知って目が覚めました、ワタシたちって幸せだったんですね…バカも休み休み言うがよい。誰もが明日を信じて必死で生きているのだ。腕がなかろうと、目がみえなかろうと、私たちと同じ人間なのだ。安売りの感動商品を買って自己満足に浸るのは、人間として恥ずかしい行為なのだと気付かせねばならぬ。情けという残酷な感情を商品化する<24時間テレビ>。断じて許せぬ。偽善だとの声はWEB上に溢れているが、そのような表現では全然足らぬ。道徳的には完全なる ”罪” なのだ。それを組織ぐるみで、しかも公共の電波を使ってやるのだから、邪(よこしま)人種の巣窟である。右翼団体は何をしておるのだ。こんなときこそ、街宣車を繰り出して徹底的に攻めねばならぬというのに。<24時間テレビ>とは、徳川以来の愚民政策を21世紀にも継続させる害毒である。愚かなる国民をこれ以上増やしてはならぬ。クズ企画に対抗できる勢力を支援し、<24時間テレビ>を我が国から永久追放するのだ。それには  だ。人に尽きる。まずは君の隣人を救え。愚民であることに気付かせるのだ」

問う人「はあ、しかしですね、どうやって気付かせればいいのか・・・」

知る人「あなたは愚民だ、と単刀直入に行くと、よほどの親友でもない限り、人間関係が崩壊する。こういう場合はだな、架空の人物にご登場願おう。君の知人に身体障害者がいるということにするのだ。その知人がこう言っている。曰く、 同情されるぐらいなら、無視された方がマシだ。 とね。この言葉を隣人に伝え、いや実は自分もこの言葉を聞くまでは24時間テレビに感動していたんだ、という具合に、相手の目の高さに合わせよう。そして、寄付をするのではなく、休日を利用して、障害者のためのボランティアに誘うのだ。相手にやらせるのではなく、君もいっしょに行動するのが大切なポイントだよ。障害者施設でなくとも、老人ホームなら近所にひとつやふたつあるはずだ。高齢者の中には、障害者手帳を持っている人がけっこう多い。40代、50代ぐらいで脳梗塞をやり、後遺症で片麻痺になった人は、その時点で身体障害者と認定されているであろう。このような人たちは、まず第一段階として、障害を持った自分を拒否する。次に、少しずつ自分を容認していく。その過程において、多くの人々から同情の目を向けられ、憐みの言葉をぶつけられて、情けない、ふがいない、という思いをさんざん味わっているはずなのだ。だからこそ、24時間テレビの如き偽善の茶番劇のウソを見抜くことができるわけだな。ボランティアに行って、こういった人たちの生の声を聞くのだよ。説教してはならぬ。彼らの見聞を広める手伝いをしてあげるのだ。よいか、<24時間テレビ>は、自分は決して同情されないと信じ切っている安全地帯の住民が作り上げた欺瞞の世界だ。彼らは弱いものを上から見下ろして満足する。昨今よく言われる 上から目線 というやつだな。障害者も貧困者も病者も、みな自分と同じ人間であり、勝ち組・負け組などという残酷で思いあがった言葉は口が裂けても言わぬ良識人であれば、歩けぬ人の足となり、見えぬ人の目となるのは、健常者の好意ではなく義務であることを理解するであろう。社会は支え合いの場だ。足を引っ張り合う泥仕合の場ではない。奴らは無意識のうちに、世の中を殺風景にしてしまうのだな。枯れ木も山の賑わいと言うが、それはやがて春に新芽がでるとわかっているから言えることだ。永遠に枯木ばかりの荒れ野に骨を埋めたいのか。永遠に木枯らししか吹かぬならば、風という言葉など辞書から消してしまいたくもなろう。奴らは、<24時間テレビ>制作者どもは、日本をそんな国にするために番組を作り続ける。奴らにその気がなくとも、結果としてそうなる。だが、愚民がほぼ10割の三等国に成り下がったとて、いったい誰がその責任をとるのか。当事者どもはみな知らぬ顔だ。おのれの祖国を無知蒙昧の愚民国家にしたくなければ、テレビが作り出す欺瞞を見抜く目を養うのだ。たかがテレビと言うなかれ。テレビは人間から闘争心を失わせ、無気力で、何にでもたやすく服従する役立たずを育成する恐るべきメディアである。遠慮はいらぬ。<24時間テレビ>を叩き潰すのだ」

(了)

4244字。

 

・・・テレビについては、以下の記事も参考にしていただけると幸いです。

テレビを見ると、バカになる

テレビは愚民を量産する

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