<24時間テレビ>について考える

【前回の記事『<24時間テレビ>。これぞ日本の恥』は、少々力が入り過ぎていたのではありませんか。攻撃目標を定めたら、あとはじっくりと攻めるのが正しいやり方ではないかという気がします。冷静にいきましょう】

 

 

知る人「いや、お恥ずかしい話だ。私としたことが、やや力み過ぎてしまったな。君の言う通りだ。反省せねば」

問う人「よほど頭にきていたのですね。お気持ちはよくわかりますよ」

知る人「ああ、ありがとう。・・・ん、なんだかいつもと逆だな。まあよい。ペースを取り戻そう。前回の記事 <24時間テレビ>。これぞ日本の恥 では、怒りに任せて放言してしまった。無料相談所とはいえ、これでは役に立たぬ。私はテレビを敵と定めているのだが、なかでも<24時間テレビ>はもっとも倒さねばならぬ標的と認識している。そのような意識が先に立ち過ぎた。要するにこれは、私情が先行したことによる誤りだ。私怨・私憤に任せて言葉を吐くなど、論者にあってはならぬ姿勢だというのに。落ち着いて考えればわかるのだがね」

問う人「落ち着いて考えても、許せないものは許せないでしょうね」

知る人「言うまでもない。だが、我欲の塊であるテレビ屋と闘う際に私情を盾にしていては、同類同士の醜い争いとしか見えぬであろうな。こんなときこそ、己を無にして神慮に従うべきなのだ。というわけでだな、今回は冷静になって、<24時間テレビ>の何がいけないのか、順序だてて論じていこう」

問う人「そうですね。批判の声で必ず挙がるのが、チャリティーなのにタレントがギャラをもらうなんておかしい、という点ですよね。まず、ここからいきますか」

知る人「そうだな。明日のメシの心配をせねばならぬような貧困タレントはおらぬであろうから、局や現場への交通費も含め、すべて自前でやる。そして、報酬は受け取らぬか、または全額を寄付する。ということであれば、多くの視聴者の支持を得られるだろうな」

問う人「そうなんですよね。でも、ある有名タレントがギャラを寄付しようとしたら、他の出演者の手前もあるからそれは困る、と難色を示されたそうですね」

知る人「そうするとなれば、一からやり直さねばなるまいね。あらかじめタレントたちの合意を得ておく必要があろう。意に反するのであれば出演しない、という認識で統一すれば、より大物のタレントの出演が可能になるだろうね。芸能人というのは人気商売だから、とにかく忘れられたらおしまいだ。人気番組に顔を出していれば、なんとか次の仕事に繋ぐこともできよう。そう考えると、仕事確保のために<24時間テレビ>を利用するのもやむなし、と認めてやらねばなるまい。多くのスポンサー企業の思惑が複雑に絡み合った世界だからな、純然たる美しきチャリティー企画など不可能と思うべきであろうね。だから、タレント全員がノーギャラOKということになれば、いちおう、企画としては完成だと言ってよかろう」

問う人「でも、現実にそれは難しいみたいですね」

知る人「そうだな。ここをクリアできない限り、偽善番組という汚名はずっとついて回るだろうね。さて次だ。お涙頂戴の茶番劇が多いとの批判だがね、これを理解する上で、私は結婚披露宴を例に考えたいと思う。最近の傾向は知らぬが、私が過去に出席したものでは、最後に新婦が両親に向けて感謝の手紙を読み上げる、または司会者が代読するという場面にかなり出くわしたものだ。これなど、<24時間テレビ>の根底にある精神と似通っていると言ってよかろう。感動の商品化だな。披露宴の企画も商品だからね。ストーリーの最後に、ほろりと泣かせる要所をこしらえておく。披露宴会場の運営者任せにすると、このように、あとでビデオを見返すのが恥ずかしいような内容になってしまうわけだ。チャリティー企画も同じだよ。身体障害者、末期癌の患者、生き別れの親を探す子等々、それだけでじゅうぶん注目を浴びそうな人々を、さらにテレビ特製の物語の中に配置して、演者としての役割を与えるのだ。何せ終日テレビつけっぱなしにしておいてもらわねばならぬ長時間企画だからな、視聴者を退屈させぬような工夫が要る。この点は理解してやるべきであろうな。だが、だからといって、薄幸の境遇を強調し過ぎるのもいかがなものか。淡々と描いた方が、黙々とカメラで追う方が、実は説得力大なのだが、テレビは必ず即効性のある方法を選択する」

問う人「視聴者と制作者が、同程度のレベルの人たちなんでしょうね。だからそういう浅はかな企画がまかり通るんでしょう」

知る人「その通りだな。感動の押し売りに慣れている人たちというのは、おそらく、同じ日々の繰り返しに飽き飽きしているのであろうな。何か目先の変わった話題が欲しいのだよ。要するに、暇なのだ。いや自分は忙しい、と反論するかもしれぬ。が、それはスケジュール上のことだけであって、意識の中は隙間だらけなのだ。暇人の心の中は、よからぬ情報や思想の入り込む余地がふんだんに用意されている。邪心を垂れ流す側にとっては上得意様であろう。今の世は、なんとなく何かをする者があまりに多い。そのような輩には、一日中垂れ流されるチャリティー番組は、意識サイズにぴったりなのだな。スマホの普及により、ただでさえ馬鹿の多い現代人はますます頭を使わなくなった。全国どこでも見られる歩きスマホの姿がそれを象徴している。こんな時勢に、<24時間テレビ>はうまく迎合しているのだ。時代が堕落を生み、その堕落の集積がさらに酷い時代を創る。日本滅亡への悪循環は、もうずいぶん前から始まっているのだな」

問う人「結局、民よ、賢くなれ、というところに落ち着きそうですね」

知る人「そうなのだ。 馬鹿は相手にするな …これに尽きる。日々の暮らしを大切にして、僅差の積み重ねを厭わぬ真の賢人を増やさぬことには、例え<24時間テレビ>が終了になろうとも、また後から後からクズ企画が湧いて出て来よう。私自身はもちろんだが、全国の庶民よ、勤勉であれ、楽をするな、刺激を求めてはならぬ、と声を大にしていう他ないのだ」

(了)

2484字。

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