<働き方改革>は第一歩に過ぎぬ
【政府が推進する<働き方改革>によって、雇用に多様性が生まれ、さまざまな人々が職を得られるようになるでしょう。一民間人として、自分も何かしてみたいと考えています。国に活気が生まれるのはよいことなので】
知る人「何かしてみたい、とは、具体的に何をしてみたいと考えているのかな」
問う人「そうですね、やはり、人と人とを結びつける、マッチングのような役割でしょうか。適材適所と昔から言われますが、実際にはそれがいまだにうまくいっていませんから」
知る人「能力ある人と、その能力を求めている雇用者を繋ぐ。そういった役割だね」
問う人「そうです。言わば、 ”プラットフォーム” ですよね。僕というプラットフォームの上で、飛び立つに適した機を選ぶ。乗ってきてほしい客を確保する。そうすることで、雇用の多様性はさらに進み、活気あふれる世の中になっていくと期待しているんです」
知る人「少し違うが、かつて ”シンボリック・アナリスト” という言葉がもてはやされた。今君が言ったような、適材適所の推進役みたいな立場だったとも言えるね。あれから20年以上過ぎた。よく考えれば誰でもわかることだが、およそ仕事とは、何かと何かを繋ぐというのが最重要目的だと言ってよい。次に、繋がれた双方同士で関係を築く。彼らに教育を施したりするのも仕事の重要な側面だな。このように、 或る関係を設定・構築又は演出する・そのなかで当事者同士が価値を生む・価値の強化としての人材教育 という三点が、ほぼ仕事の全貌と言ってよかろう。もちろん、特殊な業界や業種を除いての話だがね」
問う人「職の分化ですよね。時間と場所を選ばないことによって、雇用が次々と生まれる。経済が高度に発達しているからこそできることだと思います。こんな社会の流れに、自分も乗りたいんです」
知る人「君の言うプラットフォームなら、既に大小さまざまに存在するだろう。利に敏い者は世の潮流を読むが、さらに上をいく者はその潮流自体をあらたに作り出す。このあたりが、自分の城を築いておしまいか、それとも社会のインフラ整備に貢献できるかの違いだろうな」
問う人「僕は、ただの一国一城の主では終わりたくないんです。いい世の中にしたい」
知る人「まあ、今聞いた程度の内容であれば、遠隔の空き地に掘っ立て小屋を作っておしまいだな。一国一城の主などとても望めぬであろう。人と人を結びつけるというのは、インターネットの普及によって、実にやりやすくなった。WEBでメシを食おうとしている連中は掃いて捨てるほどいる。君の考えているぐらいのことは、どこかで誰かが既に着手しているし、事業として軌道に乗せているだろう。多様性だと誰かが言い出せば、大多数が同じく多様性多様性と騒ぎ立てる。みんなが同じ方を向いている社会のどこが多様的なのか、まったく笑い話にしかならぬ。我が国はいつもこうなのだ。先行者がごまんといるのだからな、彼らに任せる方がよかろうね」
問う人「でも、なかにはよからぬ輩もいるでしょう。僕はそんな奴らと闘って勝ちたいんです」
知る人「競争が好きならいくらでもやるがよい。経済に関する闘いというものは、速さと財力で決まる。巨額資本を迅速に配備する大組織に勝てるとでも思っているのかね。無駄だ。負け戦の体験を本に書くにしても、その程度の失敗者は全国にいる。やめた方がよかろう」
問う人「世の中をよくしたいとは思わないのですか」
知る人「思っているよ、君ほどではないかもしれぬがね。<働き方改革>は政策だ。政治家の考えることというのは、必ず彼らの任期と連動している。いつ成果を得られるかわからぬような気の長い取り組みには、決して着手せぬ。だが、今回の<働き方改革>は少々異なる。第一歩に過ぎぬことではあるが、国の方向性としては妥当なところだ。ただ、君のように、労働者ではなく ”労働力” に着目し、労働市場の活性化=国の繁栄、と結び付けて考える輩が出てくるから、要注意なのだ」
問う人「当たり前のことじゃありませんか。その批判的な論調の根拠は何ですか」
知る人「仕事の質は量に大きく左右されるのだ。仕事に関して言えば、量が質を決めると表現しても間違いではあるまい。朝早くから夜遅くまで野良へ出て、汗水流して働くことで、ようやく収穫を手にするのだ。そんな一日とは、長いものだよ。単調で退屈な時間が、朝から晩まで続くのだ。これを退屈と思わず、単調な時間の連続のなかから労働の尊いエキスを抽出することに成功した者だけが、次の段階に進むことができる。気の長い話だよ。いつ結果がわかるか。いつ成果が得られるか。この問いに対する答えは誰も持っておらぬ。神は私たち人間を、働く生き物としてこの世につかわしたもうたのだ。確かに、人それぞれ雇用の背景が違う。長い通勤がかなわぬ、立ち仕事はできぬ、技能を生かしたい等々、事情はさまざまであろうな。それは尊重されてしかるべきであろう。だが、社会がそれ一色に染まってはダメなのだ。一日8時間必死になって働く人が社会を支え、次代を築くのでなければならぬ。パッケージ化された雇用をポケットにしまいこみ、ドトールやタリーズで涼し気にカフェラテをすすっている余裕者が多数派を占めてはならぬのだ。いつか国難が我が国を襲った時、祖国を救う原動力となるのは、週40時間をはるかに超えて働く労働者たちである。満員電車で通勤するサラリーマンに憐みの目を向ける輩が主力になってしまっては、そのときこそ本当にこの国は終わりなのだ。朝から晩まで必死になって、しかし悲壮感なく楽しく誇らしく働くのが、いつの時代も労働者の多数派を形成しているのが理想である。いつ芽が出るか見当もつかぬ遠大なる人材育成事業に着手せよ。君一代でできなければ、後代に託すがよい。日本が長い間かけて築いてきた人作りの仕組みが、音を立てて崩れようとしている。国は人だ。苦労を厭わぬ国民が育たぬ<自家製・働き方改革>はやめよ。人には意思がある。君が手を貸さずとも、自由にのびのび動き回るであろう。マッチング・ビジネスみたいな上前はね取り商法ではなく、真の意味での、日本の労働者を育てるのだ」
(了)
2583字。