東京五輪向け工事に物申す
【東京オリンピック開催に向けて、首都圏のあちらこちらでさかんに工事が行われていますね。よりよい街にしてくれるのはおおいにけっこう、でも、工事期間が長過ぎやしませんか。そこまで長期間にわたる必要があるのか疑問です】
知る人「東京や横浜など、オリンピック競技開催予定地では、もうずいぶん前から工事が続いているね」
問う人「そうでしょう。歩道を整備したり道路を拡張したり。きれいで暮らしやすい街になるのはとてもいいことですから、地域にとってプラスになることならどんどんやってほしいんですよ。でも、工事期間が長過ぎて」
知る人「東京駅の周辺や、横浜駅のホームなど、日々朝から晩まで膨大な人数が利用する場所で、鉄板に囲われた工事現場を目にするね。どこもみな、工事終了予定が2020年6月か7月だ。オリンピックに照準を合わせた作業であることは、誰の目にも明らかだな」
問う人「海外からの競技観戦客のことを考えての工事なのでしょうけど、彼らが来日するのはまだ1年近く先の話ですよ。未来の利用者のために、今現在の利用者が不便を感じつつ暮さなきゃならないなんて、おかしいと思うんです。政治も行政も、本当に国民の利便性を考えているのでしょうか」
知る人「考えておらぬであろうな。どうでもいいとも思ってはおらぬであろうが、オリンピックの円滑な運営と、それに伴う経済効果、そして海外での我が国の評価など、船頭たちはどいつもこいつも外ばかり向いている。外圧に弱い我が国の為政者らしい態度だな」
問う人「すべての国民がオリンピック開催に賛成したわけじゃないでしょう。反対派だってたくさんいる。それなのに、日常の利便性を犠牲にしてまでやるなんて、納得できないですね」
知る人「工事をすすめている側の連中にしてみればだな、いくらでも大義名分が立つのだよ。2019年現在ですら、海外からの客は増加している。オリンピックとなれば、それこそ捌き切れぬほど大挙して押し寄せてくるわけだから、事故のない安全な運営のため、地域住民の暮らしを犠牲にしないため、さらに、世界各地で頻発するテロ行為を防止するため、という具合に、工事を正当化する理由はたくさんある。欧米などで起きたテロ事件を例に挙げて、こんなことが我が国で起こらぬよう全力で対策と取り組んでいる、と言われれば、反論し辛くなってしまうからね」
問う人「でもおかしいですよ。場所によって工事規模は違うでしょう。区域の広さも利用者数もみな違う。それなのに終了予定は同じ2020年6月か7月。どう考えても納得できないですね」
知る人「少数の意見を封じ込めることに、わが国の為政者は実に長けている。これもやはり、徳川以来続く愚民政策の現れであろうな。彼らの考え方というのは、かつて百貨店業界などでもてはやされた ”シャワー効果” という言葉にかなり近い」
問う人「何ですか、その ”シャワー効果” とかいうのは」
知る人「単純に言えば、上から下への経済効果だよ。どこの店も、7階か8階あたりに催事場があるだろう。人気催事といえば、まずは北海道物産展だろうな。どんなイナカデパートで開催しても、この時だけはほぼ確実に客が入る。このように、まずは上の階で集客して、その客たちがやがて下のフロアに降りてきて何か買って帰る。シャワーの湯の如く、上から下へと客が流れ、金を使ってくれるというわけだ」
問う人「ははあ、つまり、オリンピックという催事場に集まった客が、下々の街に流れてサイフのヒモをひらく、という考えですね」
知る人「そう。ちょっと踏み込んで考えれば気付くと思うのだがね、君、これは富裕層が貧困層を見下ろしているのと同じなのだな。まず金持ちが気前よく札びらを切る。続いて中間層が思い切って大枚をはたき、最後に低所得者たちが小銭を手放し始める。金持ちの散財がやがて貧乏人をも煽ることになり、国家を構成するヒエラルキー全体が潤うという古典的思想だ」
問う人「思想というより、今や幻想ですよね、それ。消費パターンは、異なる所得層間で連動はしていませんよね。各層完結型でしょう。スーパーブランドとファーストファッションが併存できるご時勢なんだから」
知る人「いかにも。だが、為政者は常に国民を見くだしている。エサを撒けばやがて食いついてくると思っているのだな。その意味で言えば、東京オリンピックというのは、1億2000万人が食らいつくはずの上等のエサなのだよ。2020年夏に、そのおいしいエサが待っている、だから日々の利便性は犠牲にせよ、ということなのだ。国民を踏みつけて政権を維持することが、何せ数百年、否、千数百年にわたって続いているからな、為政者の立場に立った者は、無意識のうちにそうなっていくのかもしれぬ。ここにあるのは、当サイトで再三指摘している<日常の大切さ>への軽視であろう。どんな大物も著名人も、1年365日の積み重ねで生きている。日々の充実が、やがて人生の満足へと繋がっていくのだ。今日一日を全力で生き切ること。何より尊いのはこれなのだよ。国民の一日は国家の未来の始まりだ。その日常において国民が不便を強いられる。それも、一握りのオリンピック利権享受者たちのために。おおやけの道を、駅を、建造物を、利権獲得の道具に使われてなるものか。もはや開催まで1年を切った。どんな大声を上げようともオリンピックは実現する。だが、利権者たちは、おのれが私腹を肥やしたあとのことなど全く意識の外だ。五輪が去ったら必ず不況がやってくる。その対策への具体的な声など、どこからも聞こえてこぬではないか。金持ちが収穫した後、雑草抜きや石ころ拾いなどの地ならしをやらされるのは、常に名もなきモノ言わぬ庶民である。よいか、このまま黙していてはならぬ。愛する日本を、市場主義者たちの草刈り場にされてなるものか。私たち良識ある庶民は、オリンピック不況に呑み込まれぬよう今から準備しておかねばならぬ。今やっている工事など、どれもみなやりっ放しに決まっている。国家百年の計の上に立った作業などどこにもない。そのようなものに惑わされず、来るべき嵐に向けて万全の態勢を整えておくのだ。先日の台風15号の百倍も恐ろしい人災が、すぐそこまで来ているのだ。備えを怠るな」
(了)
2556字。